28 Dec 2023
なぜ窓ではなかったのか。私が企画した展覧会「メディウムとディメンション:Liminal」のカタログに寄せた自身のテキストのタイトルは「Apartment――壁と扉、あるいは時間と空間について」だった。「壁」は不可逆な時間、「扉」は移動可能な空間のメタファーである。では、それらの要素をあわせもつ「窓」でもよかったのでは? とおりぬけられないという意味では壁であり、とおりぬけようと思えばとおりぬけられるという意味では扉でもある窓。窓はあいまいな存在である。
「Liminal」展は2022年、神楽坂にある木造アパート「柿の木荘」で開催された。このアパートの改修工事の前後の時間と空間の境界に広がる展覧会である。柿の木荘は1966年に建てられ、かつては賃貸アパート、2016年からは主にアーティスト・イン・レジデンスの滞在施設として使用されたが、パンデミックの影響により存続できない状態に陥り、2022年にテナントスペースへと改修されることになっていた。
改修前は四畳半一間が12部屋あった。12組の人たちが住むことのできたこのアパートに、12組のアーティストを呼び、12部屋にそれぞれ展示をしてもらったのだ。そして改修後、壁が壊されてテナントスペースとして広くなった新たな間取りで展覧会を開催し、改修前に撮影した12部屋の展示の写真と新旧の間取り図を掲載したガイドブックを来場者全員に配布した。
「Liminal(境界的)」な時間と空間が、過去と現在のあいだで「消えていくもの」と「現れてくるもの」、そして「変わるもの」と「変わらないもの」の双方に開かれていく、それがキュレーションの意図である。改修前の部屋にはそれぞれ窓があった。改修後、いくつかの窓はフィックス窓(はめ殺し窓)となったが、窓の数は変わっていない。
なぜ窓ではなかったのか。この問いは「窓をかさねる」の連載のバトンが鈴木俊晴さんから渡され、そのテキストの最後に玉山拓郎さんの名前があったこととも無関係ではない(もしかしたら、これから書くことは玉山さんの『Something Black』、つまり森美術館の窓を真っ赤なフィルムで覆い、巨大な家具のような、建築物のような構築物が黒く塗られていたインスタレーションともどこかでつながっているかもしれない)。私たち3人をつなぐ直近の出来事といえば、この「Liminal」展だからだ。
玉山さんは「Liminal」展の出品作家で、改修前の四畳半一間から改修後のテナントスペースへと変化する空間の中に、モーターで、注意しないと気づかないほどにゆっくりと回転する鏡面仕上げの球体を梁から吊り下げた。改修の前後で同じ位置に吊るされた鏡の球体は、空間の変化など気にもせず、変わらずにただ回転し、空間の鏡像だけを均質に映し込んでいた。思えば、そこにも窓が映り込んでいた。
鈴木さんには「Liminal」展のカタログへの寄稿をお願いした。論考のタイトルは「あそこが、オステルリッツの駅。記憶喪失|アウステルリッツの激戦。わたしをそこへ連れて行って――ぎなた読みとしてのキュレーションと複数の融通する環世界」だった。このタイトルは、マルセル・デュシャンの言葉遊びに言及していて、「La bagarre d’Austerlitz(アウステルリッツの激戦)」は「Là-bas, gare d’Austerlitz(あそこがオステルリッツの駅)」、「M’amenez-y(わたしをそこへ連れて行って)」は「Amnésie(記憶喪失)」というように、それぞれに韻がかさねられる畳韻法となっている。デュシャンが1921年に『オステルリッツの喧騒(La bagarre d’Austerlitz)』と題したのは、外側はレンガの壁、内側は木の扉という作品だった。何よりもそこには透明なガラスがはめられていた。つまりそれは窓なのだ。
窓は光や風、そして眼差しをとおりぬけさせるものであり、体をとおりぬけさせるものではない。窓枠をまたいで、たとえば向こう側に降りられる場所があれば、窓をとおりぬけるということもできるが、そうなると扉のような気もしてくる。だからラテン語の「limen(敷居、玄関)」を語源にもつ「Liminal(境界的)」とは別のかたちで境界的な存在なのだろう。
デュシャンの『オステルリッツの喧騒』の窓はフィックス窓だから、やはりとおりぬけられない。アルベルティが絵画を「開いた窓(finestra aperta)」とし、透明なガラスに例えたように、デュシャンもまた、絵画と窓をかさねていた。ただし、絵画と窓の関係は逆転していて、まるで既製品を選ぶように、「絵描きと見なされるかわりに、私は今度は窓屋と思われたかったのだ!」と言ったのが彼らしい。言語学者の植田康成氏によれば、イタリア語の「窓(finestra)」やフランス語の「窓(fenêtre)」の語源は、ラテン語の「fenestra」に由来し、「仕切り壁あるいは城壁の開口部分、あな」の意だという。
「窓屋」としてのデュシャンには『オステルリッツの喧騒』の1年前に制作した「窓」がある。ただしその「穴」は塞がれていた。『フレッシュ・ウィドウ』と英語で名付けられた窓は「フランス窓(French Window)」のミニチュアを大工につくらせてガラス部分を黒い革で覆ったもので、タイトルの「なりたての未亡人(Fresh Widow)」は言葉遊びになっている。この作品はエメラルドグリーンの窓枠と、その向こう側の景色が黒いことから、マネの描いた『バルコニー』(1868–69)を思い出させる。そして、同じくフランス窓をモチーフにしたマティスの『コリウールのフランス窓』(1914)のことも。
『コリウールのフランス窓』と『フレッシュ・ウィドウ(なりたての未亡人)』の黒い窓は戦争との関係が指摘されている。1905年にマティスは『開いた窓、コリウール』と題し、色鮮やかな窓外の景色を描いた。そして同じ窓を、1914年8月の第一次世界大戦勃発直後、9月初旬に南仏コリウールで描き、パリへと戻った10月におそらく未完のまま残したのだ。『コリウールのフランス窓』は窓の向こう側が真っ黒に塗られていた。
デュシャンは、窓に貼られた黒い革は靴と同じようにワックスで磨くものとしていたが、それ以上に、黒い革は空襲時に室内の光が外に漏れないようにする覆いに見える。戦時下のパリでは飛び交うツェッペリン飛行船から隠れるため、6時には商店街の半分が閉まり、ネオンサインのみならず、最低限の明かりですら最初のサイレンで完全に消灯されたと伝えられている。あるいは「なりたての未亡人」というタイトルと黒い窓が結びつき、第一次世界大戦の最中に死んでいった兄のレーモン・デュシャン=ヴィヨンの死を嘆き、未亡人となった義姉シュザンヌとともに喪に服すものだった可能性もある。そこから、より広くフランス兵士の夫を奪われた未亡人たちを慰めるものだったということも考えられよう。エメラルドグリーンの窓枠と黒く覆われたその向こう側に、マネ、マティス、デュシャンのフランス窓がかさなっていく。
さらに、窓に黒い革が貼られていたことに踏み込んでみたい。1915年から1923年にかけて、ガラスを支持体にした大作『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(大ガラス)を制作していたデュシャンは、このガラス作品を動かせばあらゆる風景を取り込める移動式の窓として考えていたふしがある。絵画には地と図、つまりこちら側とあちら側という関係性があるが、デュシャンは背景を描くことから解放されるために、透明なガラスを用いたのだった。ガラスであれば、背景を描かなくてもよいのだと。そんな彼による黒い平面と透明なガラスの関係で思い出すのは、1914年の『チョコレート摩砕器、No.2』である。そこでは背景を削除するために背景が黒く塗りつぶされていた。そしてその後にこの「チョコレート磨砕器」の図像が透明なガラス、つまり『大ガラス』の中心に移されたことを考えれば、もともと透明なガラスである窓に「何も景色がない」ことを示すためには、反対に黒い革を貼る必要があったのかもしれない。
ところで『フレッシュ・ウィドウ』の窓は(開かなそうだけど)実際には開くのだから、平面的な景色は立体的な景色へと開かれていく。漆黒の闇はとおりぬけられるということなのだろうか。フランス窓は、窓枠が天井から床面まである両開きの窓なのであり、もはやそれはほとんど扉なのだが、『フレッシュ・ウィドウ』がそうしたフランス窓のミニチュアだからか、それが開かれたとき、まるで目のメタファーのように思えてくる。
「Liminal」展は時間という壁、空間という扉を行き来する展覧会だったが、そこには窓を支持体にした作品があった。鈴木のぞみさんの『Other Days, Other Eyes』である。既存の建築物に設置されていた窓を外し、その窓から見える景色の写真を撮影して、外された窓ガラスにその写真の像を焼きつけるという作品だ。なかでも『Other Days, Other Eyes:柿の木荘2階東の窓(夜)』という作品に転写されたのは、夜の景色だったため、ガラスは黒い像で覆われていた。それはデュシャンの『フレッシュ・ウィドウ』を想起させる黒い窓である。実は、鈴木のぞみさんは同じ柿の木荘の2階の窓の昼の景色を2016年に撮影し、2017年に作品化していた経緯があった。ならば、と今度は同じ窓から夜の景色を撮影してもらえないかとお願いしたのである。戦後に建築された木造アパートにはめられていた窓、つまり夜の景色が写された黒いガラスの日本窓と、黒い革で覆われたフランス窓。デュシャンと鈴木のぞみさんの窓をかさねるために。
鈴木のぞみさんの窓ガラスには、今見えている夜空の星々が数光年前の光であるように、過去の時間の景色=光が定着している。だから既存の建築から外して作品化した窓を、もとの窓がはめられていた場所に戻せば、過去の景色と現在の景色が文字通りかさなり、二つの時間と空間が物質を通して、遅れてかさなることになる。これを写真の性質として考えれば、その通りなのだが、ここでは窓の透明性を通じて、平面的な景色と立体的な景色がかさねられていくことになる。ロシア語の「窓(окно)」はラテン語の「oculus(目)」に由来するという。『大ガラス』には「眼科医の証人(Témoins oculistes)」と呼ばれる覗き穴を思わせる部分がある。そういえば、デュシャンは『大ガラス』を「ガラス製の遅延」と呼んでいた。『大ガラス』の制作が8年かけられた後に放棄されたのが1923年。今年2023年はちょうど100年である。『大ガラス』には、100年経っても、新たな解釈が生み出され続けている。それは、いまなお目をひとつの光へとたどり着かせない大きな覗き穴=窓なのだろう。
中尾拓哉/Takuya Nakao
近現代芸術に関する評論を執筆。特に、マルセル・デュシャンが没頭したチェスをテーマに、生活(あるいは非芸術)と制作の結びつきについて探求している。著書に『マルセル・デュシャンとチェス』(平凡社、2017年)。編著書に『スポーツ/アート』(森話社、2020年)。主な論考に「リヒターと1960年代のマルセル・デュシャンの再評価」(『ゲルハルト・リヒター』青幻舎、2022年)など。近年のキュレーションに「メディウムとディメンション:Apparition」(青山目黒、2023年)、「メディウムとディメンション:Liminal」(柿の木荘、2022年)、「ANOTHER DIAGRAM」(T-HOUSE New Balance、2023年)。現在、女子美術大学、多摩美術大学、東京藝術大学、東京工業大学、立教大学、早稲田大学非常勤講師。