WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 窓をかさねる

第6回 記憶をもった窓

鈴木のぞみ

22 Apr 2024

Keywords
Architecture
Art
Columns

私は幼少期から絵を描くのが好きで、以前はキャンバスやパネルを支持体に、油絵の具を用いて、自らの手と絵筆を介して絵画を描いていた。そこから現在の写真を用いた作品制作へと移行したのだが、そこに至る経緯には、窓に対する思索があった。

「窓をかさねる」の連載を繋いでくれた中尾拓哉さんのテキストにあったように、アルベルティの絵画論以後、絵画はしばしば開かれた窓に喩えられてきた。西洋の伝統的な絵画とは一般に、布のキャンバスや木製のパネルを支持体とし、油絵の具やアクリル絵の具などを媒材として描かれる。それは、色彩の表現性や作品の保存性などの観点から築き上げられてきた伝統的・慣習的な約束事である。しかし、そのような媒材は、私自身が作品を制作する上でコンセプトに合わせて選択した素材ではないことに違和感を覚えるようになった。代わりとなるメディウムを模索する中で、それを塗布すれば何でも印画紙のようにできるという(実際は物理的にケミカルプロセスに耐えることができる素材に限られる)液体状の写真乳剤の存在を知った。それは、私が絵画を描く上で必要に感じていた、媒材となる素材を選択する際の必然性や、支持体と描かれるイメージとの間の親密な関係性を築かせてくれるメディウムだと感じた。

では、日常の事物を支持体とし、写真乳剤を用いて像を定着する場合、そこにはどのようなイメージがありえるのか。私は事物の来歴からそこに宿る記憶を見出して可視化できないかと思索するうちに、窓ガラスを支持体にして、窓越しに見えている風景を焼き付けるという制作方法に至った。しかし、なぜ、窓だったのか。オリバー・ウェンデル・ホームズは、最初の写真であるダゲレオタイプが銀メッキされた鏡面状の銅板に像が定着されることから「記憶をもった鏡」と呼んだが、私がはじめに支持体に選んだのは鏡ではなく、窓だった。つまり、「記憶をもった窓」を制作したのだ。

その背景として、まず、私が絵画に対する問題意識からメディウムを写真に移したことが挙げられるだろう。そして、絵画と同様に、写真もその誕生から窓のように喩えられてきたことがある。窓越しに外界を切り取った眺望が見える窓ガラスも、金属や紙、ガラス板などに定着することで外界を切り取って見せる写真も、私たちの視覚認識を大きく変えたものだ。この連載の中で畠山直哉さんや杉浦邦恵さん、菊竹寛さんがジョン・シャーカフスキーによる『ミラーズ・アンド・ウィンドウズー1960年以降のアメリカ写真』について触れられていたように、外界に開かれた窓は写真のメタファーとして語られてきた。また、多くの写真家が窓を被写体として撮影し、窓越しに見える風景を多様に捉えてきた。一方で、写真と窓の類似性は、その構造にも見出すことができる。小穴投影現象から発展させた機構である「カメラ・オブスクラ」とは、ラテン語で「暗い部屋」という意味である。したがって、ピンホール(孔)・カメラ(部屋)に穿たれた「孔(=穴)」と、「部屋(=カメラ)」に穿たれた「窓」とは同じ意味をもつといえる。窓と写真には切っても切り離せない関係性があるのだ。

  • 鈴木のぞみ『窓の記憶:関井邸2階東の小窓』2012
    外されていた窓、写真乳剤 620×790×30mm

『窓の記憶:関井邸2階東の小窓』は、私が以前住んでいた埼玉県の浦和区でスタジオ兼ギャラリーにしていた古民家の台所の床下に一対の窓ガラスが保管されているのを偶然見つけたために制作したものだ。役目を終えた木製の窓がかつてその家のどこにはめられていたのか調べてみると、2階にある小さなアルミサッシの窓の大きさとおおよそ一致したことから、もとはこの場所にはめられていたのだろうと推定した。おそらく、木枠の窓ガラスの一部がひび割れたために新しい窓に交換したのだろう。その場所から窓越しに見えていた向かいの風景をモノクロームの35mmフィルムで撮影し、写真乳剤を塗布した窓ガラスに実寸大になるように引き伸ばして像を直接定着した。この作品は、私が窓ガラスを支持体に、窓ガラス越しに眺められていた風景を指向対象として定着した最初の作品だ。

ロラン・バルトは『明るい部屋』において、ある特定の写真が指向対象(そこに写っているもの)と常に共にあり、切り離すことができないという二重性について、窓ガラスとその窓越しに眺められる風景というメタファーを用いて、次のように述べている。「『写真』は薄い層を成す対象ものの部類に属していて、その二つの薄い層をこわさずに引き離すことは不可能なのである。たとえば、窓ガラスと風景がそうであり、また、言うまでもなく『善』と『悪』、欲望とその対象がそうである。この二重性は、頭で考えることはできても、知覚することはできない」と。その理由として、「何を写して見せても、どのように写して見せても、写真そのものはつねに目に見えない。人が見るのは指向対象(被写体)であって、写真そのものではないのである。〔中略〕要するに、指向対象が密着しているのだ。そしてこの特異な密着のために、『写真』そのものに焦点を合わせることがきわめて困難になるのである」という。このような例はあくまで観念における窓ガラスと風景のメタファーによる写真の密着性であるが、私が制作した『窓の記憶:関井邸2階東の小窓』は、窓越しの風景を指向対象として写真に写し、窓ガラス自体を支持体として直接像を焼き付けることで、実体として形にしようと試みた作品であると考えられるのかもしれない。

窓ガラスに定着された風景の構図は、かつてその窓が在った場所から窓枠越しにすでに切り取られていた光景であり、撮影者である私の恣意的な判断や作為などの主観を超えた視点で窓が捉えた日常風景だ。それは、私たち人間が室内から見ていた風景であり、同時に、窓という事物が対峙していた風景を捉えた、窓の眼差しだと考えられるだろう。窓のシリーズは私のライフワークとして、これまでに日本国内のさまざまな場所や韓国、イギリスなどの市井の人々の家にあった窓に、そこから見える土着的な風景を定着する作品制作を続けている。

『Other Days, Other Eyes:柿の木荘2階東の窓』は、神楽坂にある柿の木荘という木造アパートが改修のために一部の窓をアルミサッシに取り替えたことで不要になった2階の木枠の窓ガラス2組に、2016年から2017年にかけて撮影した写真を定着した作品だ。取り外された窓の中から、木材の色味や風化の具合から推測して対となる組み合わせを決め、それらの窓がかつてはめられていたかもしれない部屋として角部屋の201号室の北向きと東向きの窓から見える風景を撮影し、実寸大に引き伸ばして写真を定着した。

  • 鈴木のぞみ『Other Days, Other Eyes:柿の木荘2階東の窓』2017
    解体された家の窓、写真乳剤 1740×2760×30mm 東京都写真美術館蔵
    撮影:木暮伸也

それから5年の歳月を経て2022年に中尾さんが企画された「メディウムとディメンション:Liminal」展のために、私は再び柿の木荘を訪れ、新たに3組の窓の作品を制作した。かつての柿の木荘には1階と2階あわせて同じような間取りの部屋が12部屋あり、それぞれの四畳半一間の部屋には引き戸の腰窓が設えられていた。101号室と102号室の窓には、改修前まで実際にそこで使われていた窓に、その窓越しに見える庭の風景を撮影して定着した。柿の木荘には過去の改修時に取り外した2階の窓ガラスが保管されたままで、私は1組の窓を2016年の制作時と同じ201号室の東向きの窓として再び制作し、以前焼き付けた昼の風景ではなく、夜の風景を撮影して定着した。

柿の木荘の窓の木枠にオリジナルとしてはめられていた昭和の型板ガラスは「さらさ」という名前の模様で、ガラスの一部が割れてしまったために入れ替えられていたのは「ときわ」や「かすり」などの模様の型板ガラスであった。1966年の建設から長く使われ続けている柿の木荘の建具の窓ガラスに残された痕跡からは、大家さんやかつての住人の営みが窺える。柿の木荘のそれぞれの引き戸は同じ大きさのため、入れ替え・組み替えも可能だ。それゆえに、もしかしたら同じ場所にあったかもしれない窓として、同じ場所から見える昼の風景と夜の風景を定着する作品を可能にした。柿の木荘の窓ガラスには複数の記憶がありえ、記憶がかさねあわされたのだ。

ここで、連載第1回目の畠山さんの『Slow Glass』シリーズにもう一度かさねたい。菊竹さんのテキストにもあるように、ボブ・ショウによるSF小説『Other Days, Other Eyes(去りにし日々、今ひとたびの幻)』に登場する「スローガラス」という発明品は、光が入って出てくるまでに時差があり、かつてそこにあった光を遅れて映し出す物質だ。私は学生時代に読んだ港千尋さんの『映像論』を通してスローガラスを知り、ボブ・ショウの小説を夢中になって読んだ。特に、最初に書かれた『Light of Other Days』という短編に登場するスローガラス製の窓と、私の窓ガラスの作品との間に類似性を見出し、2015年以降に制作した窓ガラスの作品には、「Other Days, Other Eyes」というシリーズ名を付与している。過去の光を遅れて届けるという遅延は、写真に固有のものだ。このように振り返ると、私が絵画から窓、窓から写真へとメディウムを模索するなかで、はじめに「記憶をもった鏡」ではなく「記憶をもった窓」を制作したのは、必然だったのかもしれない。

鈴木のぞみ/Nozomi Suzuki

1983年埼玉県生まれ。2007年東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻卒業。2022年東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。平成30年度ポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスにて研修。主な展覧会に2023年「Words of Light」師岡制作所(埼玉)、2022年「潜在景色」アーツ前橋(群馬)、2017年「無垢と経験の写真 日本の新進作家vol.14」東京都写真美術館(東京)、2017年「Mirrors and Windows」表参道画廊(東京)、2016年「NEW VISION SAITAMA 5 迫り出す身体」埼玉県立近代美術館(埼玉)などがある。2016年「VOCA展2016 現代美術の展望―新しい平面の作家たち」VOCA奨励賞受賞。2022年作品集『LIGHT OF OTHER DAYS』(rin art association)刊行。作品は東京都写真美術館、アーツ前橋に収蔵されている。

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