November 2, 2020

内藤礼 うつしあう創造

内藤 礼(美術家)

「地上に存在していることは それ自体 祝福であるのか」を問い、作品とそれをとりまく環境が対話する作品を制作してきた美術家、内藤礼氏。今年、金沢21世紀美術館で開催された個展「内藤礼 うつしあう創造」では、壁面のガラスや天窓から差し込む自然光のもと、SANAA設計による建築空間で作品が展示された。本展では、作品《窓》をはじめ、さまざまな開口や映り込みから、見る/見られるが交錯する。作品における「窓」をテーマに作家に話を訊いた。

 

──金沢21世紀美術館は、外壁や内部壁面にガラスが採用された特徴的な建築で、展覧会では光庭(中庭)や通路も含め作品構成がなされています。本展ではこうした建築空間をどのように考えられましたか。

一般的な美術館ではあり得ないような、いろいろな風景や出来事の瞬間が入り込んでくる美術館ですよね。通路を歩く人々や、街中の通りの向こうの人がガラス越しに見えたり、自然の光、空の変化も全部目に入ってくる。それは内省していく場としての美術館を考えると、真逆のあり方かもしれないですけれど。たとえばそこに木があること、働いている人の姿が見えること、空が一瞬かげったこと——21世紀美術館は、こうした作品の置かれている環境で起こるあらゆることを、良いも悪いもなく、すべて受け取るような建築として造られている。

  • 1. 内藤礼《精霊》 2020年

私の作品においては、建築がもっているそうした性質と、建築が導くすべての瞬間が、関係をもつようにしたい、受け入れたいと思いました。変化が豊かであることは、不安定ということでもあります。けれどもその不安定な要素も含めて、見ようと思わなくても見えてしまうすべての瞬間を見ないで済ませるのではなく、あるいは作品には関係ないものと思うのではなくて、すべてをうつす、「うつしあう」ことに今回の作品と構成で向き合おうと思いました。そして、そこで「地上の生の光景」を感じ取れるだろうかと。

──ここでの「うつしあう」とは、どのようなことでしょうか。

「うつす」は、「移す」「写す」「映す」「遷す」など、さまざまに表すことができますが、大きな意味では同じだと思っています。今回の作品と構成では、「生と死」ということが根底にありましたが、対立して見えるものは元々ひとつのものだったのではないか、と考えるようになりました。それがふたつに分かれたからこそ、元に戻ろうとしたり関係をもとうとしたりする。それがひとつの「うつしあい」だと思います。展覧会では、それが人と自然の関係や、私とあなた、光と闇、作品と鑑賞者、作品と作家と、いろいろなレベルで起きています。

  • 2. 内藤礼《母型》 2020年、《無題》 2020年、《ひと》 2011-2020年

──今回の展覧会では、日中は外部やガラス屋根からの自然光のみという環境のもとで作品が展示されました。内藤さんは、これまでも作品に自然光を取り入れておられますが、きっかけがあれば伺えますか。

きっかけは2001年の直島での家プロジェクト「きんざ」の《このことを》です。空き家になった小さな民家と庭を作品にするというお話でしたが、下見に行ったときはまだ家財道具が残っていて。あまりにも住んでおられた方の個としての生活を感じ、そこに私が触れてよいとは思えませんでした。そして、何世代も暮らしてきたその家の原型であるなら、私もその家に触れ、連なることも許されるかもしれないと思い、床も天井も全部取り払って家としての最小限の構造だけにしました。屋根と壁、そこに柱が6本残っている状態です。そうすると、ずっとふさがっていて隠れていた土が出てくる。そのとき「土の上に家が建っている」という当然のことに対する、何か驚きと発見がありました。

そのときに壁の一部が崩れ落ちて、足元から光が漏れていました。滞在中、雨が降る日があったのですが、そこから水がキラキラ光って跳ねるのが見えた。その足元から見えた水、外の気配が非常にリアリティーが強かった。「内と外」ということをくっきり感じさせる内容があったわけです。これもある意味小さな「窓」かもしれないけれども。

──開口部というか。

ええ。それで床はその土をたたき直すことに決めて、建物の足元にだけ明かり取りを1周ぐるりとつくりました。すると光だけではなく話し声や外の気配が、全てそこから感じ取れる状態になった。そのときに、生きている人のいとおしさのようなものを感じたんだと思うんです。近所の人かもしれないし、観光で来られた方かもしれない、名前も分からないけれども、ただ歩く人の足元だけが見えたときに。

  • 3. 内藤礼《このことを》 2001年 家プロジェクト「きんざ」、直島、香川 ベネッセアートサイト直島
    写真:畠山直哉

この作品では鑑賞者はひとりずつ家の内部に入るので、その意味では自分が中にいるときは、地球上の全人類が外にいるわけでしょう(笑)。自分はひとりでいるけれども、世界に生きている人たちの気配を感じる。自分以外の、同じように生きている人が今、このひとつの地球の上を歩いているという感触みたいものが強くあった。何か、そのときにそれまで感じたことのないような感情が芽生えて、それがきっかけです。

それまでの作品では、テントの中に自分で照明を設置していました。いつ入っても同じ、その状態を維持するのが作品だと思っていたのですが、1日の変化を受け入れるようになりました。土と光によって。

──豊島美術館もまた、ある意味では巨大な開口部によって自然に開かれた作品との見方もできるかと思いました。建築家の西沢立衛氏との協働による作品ですが、これも《このことを》での体験の延長にある作品といえるでしょうか。

はい。《このことを》の制作中に、場というのは、それが光でも音でも匂いでも人間でも、そして、闇でさえも、そこにあるものやそこで起きることを受け入れるほどに豊かになると考えるようになりました。豊島美術館の《母型》もまさに「受容」が私の最大の課題でした。

  • 4. 内藤礼《母型》 2010年 豊島美術館、香川 [建築:西沢立衛] ベネッセアートサイト直島
    写真:鈴木研一

──ところで先日上梓された「空を見てよかった」(新潮社、2020年)の中で、内藤さんはベランダから自宅の窓の明かりがともる部屋を見たとき「なにかひとりのひとの小さなけれどもそれがすべてである人生を垣間見たような、切なさに胸が締め付けられました。」と書いておられます。あるいは、「〈生の外側〉から〈生の内側〉を見る慈悲の体験だったのではないか」(「内藤礼-明るい地上には あなたの姿が見える」水戸芸術館、2019年)とも。この体験についてお伺いできますか。

そのときは「自分を見た」と感じました。普段とは別の部屋で仕事をしているとき、たまたま夕焼けがきれいでベランダに出たら、かろうじて歩けるくらいの幅の通路が続いていることに気づいて、外から初めて自分の部屋を見た。窓はよく「スクリーン」といわれたりするけれども、そういう風に。外は薄暗くて、部屋の中には誰もいないけれど、明かりがついているので明るく、くっきりと見える。

そのとき走馬灯のように自分がそこに暮らしている風景や感情、私の生の全体が、ふわーっと見えたように感じました。あとになって友達にその話をしたら、実は窓の外から自分の部屋を見るという修行僧の修行があるそうです。

  • 5. 内藤礼《母型》 2020年、《ひと》 2020年、《ひと》 2020年

それを聞いたとき、納得しました。その修行も自分の「生」を外から見ることで、私が体験したような、それに近い感情を引き起こすためにあるのではないでしょうか。当時、家の周りには同じぐらいの高さの建物が全くなかったので、その意味ではそれまで誰も見たことのない風景ですよね。そうした風景として自分の部屋を見たというのも大きかったかもしれません。

──本展でも《窓》と題された作品(図版7)がありますよね。壁面に設置された横長のガラスによる作品で、日中でも微かにしか自然光の入らない展示室に設置されています。先ほどの窓辺での体験がこの作品に繋がったのでしょうか。

はい。最初に、このベランダでの体験がかたちになるのは2009年の鎌倉での展覧会(「内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」、図版6)で、5年ぐらい間があるのではないかと思います。

鎌倉の作品では、鑑賞者が靴を脱いで、通常展示物の置かれるガラスケースに入って出てこられるようにしました。ガラスケースの中を「生の内側」、展示空間を「生の外側」と捉えて、展示空間にいる「生の外側」の存在──亡くなった人や生まれる前の者、動物や精霊という生きている人間以外のものたち──が、ガラスケースの中の生きている存在を見つめるというふうに。

ガラスケースの中には、布やリボンなど、そういうかわいらしいもので小さな風景をたくさんつくって、捧げものとして小さな水を置きました。ガラスケースの前の風船は、「生の内側」の人たちを慰め、励まし、讃え、祝うための「飾り付け」です。

  • 6. 内藤礼《地上はどんなところだったか》 2009年
    「内藤礼 すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」 神奈川県立近代美術館 鎌倉、2009年
    写真:畠山直哉

だから、生きている人が死者を慰めることがあるけれども、これは逆です。生きている人が死者のまなざしで、生きている人を見つめる。ベランダの外から家の中を見たときの私の感情が、そうだったと思います。生きている人へのいとおしさや慈悲、さきほども話したけれども、そういうものが自分に対して生まれた。

今回の《窓》の作品は、その鎌倉での作品から繋がるものです。空間内にいる人は背後の出入り口から空間に入ってこようとする人を、前面のガラスの映り込みを通して「生きている人が、いま、こちらに現われた」というふうに、見る。窓枠に着地する、くしゃくしゃの笑っている女の人のグラビアや小さな草模様の布もまた、生を表わし、生を讃える「飾り付け」です(図版8)。

  • 7. 内藤礼《地上はどんなところだったか》金沢21世紀美術館 2020年
  • 8. (左から) 内藤礼《恩寵》 2020年、《顔(よろこびのほうが大きかったです)》 2020年、
    《color beginning》 2020年

──来館者は会場に入ると、はじめに美術館の建築の窓を通して、展示室の中の《ひと》を目にします(図版5)。さらに最後の展示室には、行き来可能な出入り口だったところに造作物をつくることで「窓」状にするという作品《無題》(図版9)があります。

境界があることで、見えているけれども行けないという体験が生まれます。あるいは入れないというか、立ち入らない。(作品の)そばにいるのに、遠くで起きている出来事のようです。《ひと》は小さいから、余計距離を感じます。

一方で最後の展示室に設けた開口部からは、エントランスや通りの向こうの人たち、つまり日常や社会、生活、そうしたものが見えます。最後には、人を見るんです。実はずっと《窓》の作品のように、鑑賞者は互いに見たり見られたりしているのですが、この空間の開口部の向こうに見える人たちは、自分たちが見られていることには気付いていない。それも少し不思議な体験だと思います。けれど、だからこそ窓越しに自分にとって知らない人に対して感情が湧いたときに感動がある。

──最後には、作品ではないものが見える。

それは美術作品ではない。あの最後の風景は、現実世界です。でも作品構成の最後にそこにたどり着くというのは想像したこともなかった。初めてそんなところに自分がたどり着いたなという感じがしています。そこまでいってしまうと、これからどうするのかなという感じもしますけれど(笑)。

  • 9. 内藤礼《母型》 2020年

──本展では夜間開館もありましたが、真っ暗な中でその場にいる全員がひとつの窓を共有していて、そこから光が差し込むのを見たとき、なにか励まされるような思いがしました。

夜になると、光の源はあの窓だけです。一方、日中は、光や作品に色はなく空間全体がモノトーンなので、色彩があるのは窓の向こうの風景だけです。窓の向こうに見える世界は、本当にカラフルで。

この展覧会の作品を制作するなかで、色彩の新しい発見がありました。延期が決まった4月に、《窓》の部屋の絵(図版8)を描きました。それは、色彩が現われることの驚きと喜びを自らに問う行為でした。色彩の発見があったから、あの絵が生まれたんです。この世は色彩にあふれている、色彩と光と生は同時に現われる、分けることができないと思ったことと、あの絵が現われたことはつながっています。

  • 10. 内藤礼《母型》 2020年

──講演の中では「目の前にあるものはよいものであると考えるようにしている」という言葉がありました。作品を通して一貫して生を問い、肯定していこうとされるのはなぜでしょうか。

「肯定する」ことは別の言い方をすれば、受け止めるということ……。死ぬことは避けられない。でも、自分の命も含めて、何もしなくてもこんなに与えられているという驚きはずっとあります。それは特に自然を通してかもしれないけれども。人間が誕生したというのも、私が生きていること、命が続いていくことも、人の意思で起きているわけではない。受け止めきれない、決定的なもののなかにいて、人に与えられている幸福に気づきたい。それが生きようという力になるのかもしれません。

 

内藤 礼/Rei Naito
美術家。1961年広島県生まれ、東京在住。1985年、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。1991年、佐賀町エキジビット・スペースで発表した「地上にひとつの場所を」で注目を集め、1997年には第47回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の日本館にて同作品を展示。主な個展に「みごとに晴れて訪れるを待て」(国立国際美術館、大阪、1995年)、「Being Called」(フランクフルト近代美術館企画、カルメル会修道院、フランクフルト、1997年)、「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」(神奈川県立近代美術館 鎌倉、2009年)、「信の感情」(東京都庭園美術館、2014年)、「émotions de croire(信の感情)」(パリ日本文化会館、2017年)、「Two Lives」(テルアビブ美術館、2017年)、「明るい地上には あなたの姿が見える」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、2018年)、「うつしあう創造」(金沢21世紀美術館、2020年)。パーマネント作品に《このことを》家プロジェクト「きんざ」(ベネッセアートサイト直島、2001年)、《母型》(豊島美術館、2010年)。

展覧会「内藤礼 うつしあう創造」
会場/金沢21世紀美術館
会期/2020年6月27日(土)- 2020年8月23日(日)
https://www.kanazawa21.jp/

 

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内藤礼《母型》 2020年
「内藤礼 うつしあう創造」展示風景 金沢21世紀美術館 2020年
写真:畠山直哉

図版1−2, 5, 7-10
「内藤礼 うつしあう創造」展示風景 金沢21世紀美術館 2020年
写真:畠山直哉