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ジョセフ・アルバースとバウハウス 
ガラス作品からパブリックワークまで

亀山裕亮(学芸員)× 本橋仁(建築史家)

20 Nov 2023

Keywords
Architecture
Art
Arts and Culture
Bauhaus
Conversations
Design
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代表作〈正方形讃歌〉で知られる画家、ジョセフ・アルバース。ドイツ生まれの彼は、アメリカに渡り油彩を始めるまで、バウハウスに長く在籍し数多くのガラス作品やプロダクトを制作した。DIC川村記念美術館で開催された「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」展担当学芸員の亀山裕亮氏、建築史家の本橋仁氏に、バウハウス時代のアルバースについて話を訊いた。

 

 

本橋 僕は2018年に京都国立近代美術館で展覧会「バウハウスへの応答」を担当しました。でも、そのときはバウハウスと日本の関係が中心だったので、今回対談のお話をいただいて、アルバースを改めて勉強させてもらいました。そもそも今回、なぜアルバースの展覧会をされることになったのですか。

 

亀山 当館のコレクションとの関係も一つですが、日本で今までアルバースの回顧展はやっていなかったということ、それから教育とのつながりですよね。バウハウス時代の同僚や学生との関係の中でアルバースを軸にすると、いろんなものが見えてくるんじゃないかと。〈正方形讃歌〉だけだとちょっとわかりづらいので、そこの意味を浮かび上がらせられるようなイメージで攻めてみました。

  • DIC川村記念美術館「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」会場風景
    ©︎ The Josef and Anni Albers Foundation

──まずはアルバースがどういった人物で、どのようにバウハウスに関わるようになっていったかを伺えますか。

 

亀山 アルバースがバウハウスに入学したのは意外とあとになってからで、1920年です。彼が32歳になる年で、当時最高齢の学生でした。それまでは小学校の先生をやりながら絵の勉強をしていて、どちらかというと表現主義的な作風の、さらに具象画を主に手掛けていました。一方、彼の父親が家具・塗装の職人で、クラフトマンシップといったものにかなり親近感を持っていたようです。バウハウスに入る前から、実はすでにステンドグラスの勉強をしていて、地元の教会に設置するといったこともやっている。彼はクリスチャンでもあったので、実はこうした制作の裏にはキリスト教の信仰によるものもあったようです。

彼がなぜバウハウスに入ったのかは、はっきりとわかっていないのですが、工房システムや職人的な教育制度に心が惹かれるところがあったという推測はできるかと思います。

 

──バウハウスに入って、アルバースはガラス作品の制作に取り掛かります。

 

亀山 ガラスをやりたいという意思は最初からあったようです。アルバースはグロピウスが彼を壁画工房に入れたいと思っていたのを拒否して、自分でガラス作品を作っていたそうです。それを学期の終わりの展示に出して、彼としてはもうそれきりでバウハウスを追い出されるだろうと思っていたらしいのですが、それを見たグロピウスにまた評価されて、ガラス画工房に入ることになった。しかし当時、ガラス画工房は事実上存在しない状態で、アルバースが入ったあともどうもそんなに盛り上がっていたわけではない。結局、ヴァイマールからデッサウに校舎が移るときに、ガラス画工房はなくなってしまいます。そこは時代の趨勢すうせいというか、結局、当時のバウハウスでは、ステンドグラスがあまり建築に必要という認識にはならなかったのかもしれません。

 

本橋 建築におけるガラスのイメージは、バウハウスのデッサウ校舎がドラスティックに変えたようなものです。そのことと、ステンドグラスの人気のなさみたいなことはつながっていると思います。たとえばゴシック建築をイメージして欲しいのですが、ステンドグラスは明かり取りとして、ある種、絵画的に内から見るために組み込まれるものであって、外観には全く寄与していないでしょう? ガラスの存在が外から全面的に見えるようになるのは1851年のクリスタル・パレスあたりからで、ブルーノ・タウトのガラス・パヴィリオン(1914年)、そしてデッサウ校舎(1926年)に至って、ガラスは完全にモダニズムの表象となります。だから、内向きにしか効果をもたらさないステンドグラスが下火になるのも必然な気がします。

 

亀山 ガラス・パヴィリオンに関しては、アルバースも知っていたのではないかともいわれていて、そのあたりからガラスに対する関心があったのかもしれません。バウハウス時代には、グロピウスとアドルフ・マイヤーの設計したゾマーフェルト邸やオッテ邸の窓をはじめ、工房でのステンドグラス作品をいくつか手掛けていますけれども、全て第二次世界大戦中に破壊されてしまいます。結局、ステンドグラスという形では、あまりうまくはいかなかった部分もあるのかもしれない。デッサウに移転してからは、むしろ砂吹きのガラス絵画に注力していくことになります。

 

  • ジョセフ・アルバース
    ゾマーフェルト邸(ヴァルター・グロピウス設計、ベルリン)のステンドグラス
    1921年頃
    © 2023 The Josef and Anni Albers Foundation / JASPAR, Tokyo
    撮影者不詳

──彼のバウハウスでの学生時代のガラス作品には、ほかにガラス瓶の底やガラス見本、ワイヤーなどさまざまな素材で構成されたアッサンブラージュ作品があります。材料はしばしば街のごみ置き場で拾っていたそうですね。やはり貧しかったことが制作の理由なのでしょうか。

 

亀山 当時は貧しく、あまり材料もなかったことが一つの理由とされていますが、お金があっても実は彼はこれを作ったかもしれないと思います。ガラスという素材、ガラスでこそできるものを考えるにあたり、既存の製品を一から見直さなければならないというのが、彼の思考回路にあったのかもしれません。

 

  • ジョセフ・アルバース
    《破片の入ったグリッド絵画》
    1921年頃
    ガラス、針金、金属、板金の枠
    35.6×29.8 cm
    ジョセフ&アニ・アルバース財団
    © The Josef and Anni Albers Foundation / JASPAR, Tokyo, 2023 G3217
    Photo: Tim Nighswander/Imaging4Art

 

本橋 これは〈正方形讃歌〉までずっとつながる話だと思うんですけど、結局、彼は既製の材料を選択することしかしていません。色についても同じ。絵画に使う絵の具にしても、混色していない既製品そのままの色を使っている。

 

亀山 選択することは、彼にとって制作の手続きとしてすごく重要ですよね。一から作ることにはない偶然性やひらめきが、選択することによって常に引き出されてくる。そういったことをこのときに知ったのかもしれない。実際には、「偶然は入れちゃいけない」とアルバースは言うんですけど(笑)。「美術はただの自己表現ではないんだ」とも。

 

──キャプションには妻のアニ・アルバースが、彼の死後、遺品整理をしていたときにこの作品を見つけて目に涙を浮かべたというエピソードもありました。

 

亀山 アニはバウハウスに入学する前に彼と出会っていますが、ちょうどその頃に制作していたものと同種の作品だったようです。ただ、ジョセフはこれらの初期のガラス作品を結構アメリカに持っていっているのですが、そんなに公にはしていない。案外、積極的に見せたくはない作品だったのかもしれません。

 

──その後、アルバースは砂吹きのガラス絵画に移行していくわけですが、これはどのようなものなのでしょうか?

 

亀山 ガラス絵画は非常に作り方が難解なんですね。白いガラスの上に薄い色ガラスを被膜して乗せ、一部をステンシルで削り取り、黒い部分は塗料をそこに入れる。それを窯で焼成して完成するというものだそうです。

  • ジョセフ・アルバース
    《上に向かって》
    1926年頃
    砂吹き加工された被せガラス、黒い塗料
    44.6×31.4 cm
    ジョセフ&アニ・アルバース財団
    © 2023 The Josef and Anni Albers Foundation / JASPAR, Tokyo
    Photo: Tim Nighswander/Imaging4Art

──アルバースが生み出した手法なのでしょうか?

 

亀山 アルバース自身はそう言っていますけど、参考となるものはあったかもしれないとも思います。今回は裏側から作品に光を当てていますが、光は必須ではないとも彼は考えていたようです。ガラス絵画には、タブローといったものと同じように、壁に掛けられるガラス作品という特質があったと思います。アメリカに行って、彼はぱったりとガラス絵画をやめてしまうんですが、実際、バウハウス時代には結構な数を制作しています。

 

本橋 光を当てなくても良いガラスのタブローというのは面白いですね。今回の展示では光を当てているから、図録の図版と実際に見たのとでは印象が全然違いました。

 

亀山 ここでも彼はガラスならではのものを作りたかったのですね。かつ、ステンドグラスの場合は色と色の間に枠が入るので、それをなくしたいというのが一つ問題意識としてあったと思います。1枚のガラスの中に、色が面(つら)に並んでいくといったものを見せたかった。枠がないことで色やガラスだけをより純粋に見せられることもあったのかなと思います。

  • ジョセフ・アルバース
    《フーガ》
    1926年頃
    砂吹き加工された被せガラス、黒い塗料
    24.8×65.7 cm
    ジョセフ&アニ・アルバース財団
    © 2023 The Josef and Anni Albers Foundation / JASPAR, Tokyo
    Photo: Tim Nighswander/Imaging4Art

本橋 これは完全に表だけに色が付いているんですか。

 

亀山 そうですね。

 

本橋 アメリカに渡ってから彼は絵画に向かっていきますが、そこでもとにかく塗りは「薄く、薄く」といった話をしている。ガラス絵画にはガラスの厚みがあるので物質感はありますが、面としては完全にフラットですよね。「厚さゼロ」といったことがすでにこの技法で表現されている気がします。

 

亀山 「厚さゼロ」は彼の目指したところだと思います。来場者の方に「これはディスプレーですか」と何度か聞かれましたが、そのたびに「ディスプレーではなく、ガラスです」と言って。

 

本橋 〈正方形讃歌〉の実物を見たときも、5ミリぐらいの白い枠がちゃんと残されていることが印象的でした。ほんとに細いんだけど、この周囲の白場があることで、色の付いた部分が完全なフラットだとわかる。これは他の、いわゆるミニマルアートの作品とは異なりますよね。ミニマルアートは、キャンバスごと含めた立体として平面がある。でもアルバースは色が塗られた表面だけが作品なんだということがものすごく強調されている。サイドまで意識が向いている感じがすごくしましたね。

  • ジョセフ・アルバース
    《正方形讃歌》
    1959年
    油彩、メゾナイト
    121.9×121.9 cm
    ジョセフ&アニ・アルバース財団
    © 2023 The Josef and Anni Albers Foundation / JASPAR, Tokyo
    Photo: Tim Nighswander/Imaging4Art

亀山 そこがこだわりですよね。これがフランク・ステラとかだと、色と色の間に色の塗られていない余白を入れてしまう。それによって「俺はキャンバスなんだ!」というのがどーんと見える。今、コレクションでステラの作品も出していますけど、実物を比べてみるとむしろ違いが際立つ部分がありますね。

 

──ヴァイマールからデッサウに校舎が移転するに従って、アルバースの作風においてもステンドグラスの枠がなくなり広いガラス面が目指されていくのは、窓の歴史的な変遷にも重なるようで興味深いです。ガラス絵画には、『ウィンドウ』をはじめ、建築とか建築部位のモチーフが実はたくさんありますよね。『シティー』『スカイスクレーパー』『ピラー』、『パーゴラ』とか。

 

亀山 典型的ですよね。『ウィンドウ』は改めて見て、複雑な作品だなと思いました。線と面、表と裏、プラスとマイナスで描かれている両方の窓がある。地と図がはっきりしない、そういったものを図式的に表していて、そこにさらに窓というある意味で表と裏をつなぐようなモチーフが入ってくる。それがわざわざ窓をモチーフにした一つの意味かなと思います。

  • ジョセフ・アルバース
    〈フォーミュレーション:アーティキュレーション〉第I集の21(《スカイスクレーパー》《ウィンドウ》)
    1972年
    シルクスクリーン、紙
    38.1×101.6 cm
    バッファローAKG美術館(ジョセフ&アニ・アルバース財団より寄贈)
    © The Josef and Anni Albers Foundation / JASPAR, Tokyo, 2023  G3375
    Photo: Brenda Bieger, Buffalo AKG Art Museum.

『シティー』は、ドイツ時代からすでに英語の『シティー』というタイトルになっていたんですよね。まさにアメリカの摩天楼みたいなものが想像されていた。それがアメリカに渡ってから、グロピウスからの依頼を受けて『マンハッタン』というタイトルのパブリックワークになっていたりします。

  • ジョセフ・アルバース
    《マンハッタン》
    1963年
    フォーマイカ(メラニン化粧板)
    8.1×16.8 m
    パンナムビル、ニューヨーク
    © 2023 The Josef and Anni Albers Foundation/JASPAR, Tokyo
    撮影者不詳

──アルバースがグロピウスと協働する機会というのは割とあったのでしょうか。

 

亀山 アメリカでも、グロピウスのいたオックスフォードの学生の建物のレリーフ状の壁画を手掛けたりしています。アルバースのパブリックアートは彼の後期の大きな問題としてあって、その最初期の作品が『アメリカ』です。ここでもガラス絵画のイメージを何とか壁にしようと、3種類の大きさのれんがを組み上げています。空間と作品のつながりといったことを、それまでアルバースはおそらく考えることがなかったので、苦労したようです。

  • ジョセフ・アルバース
    《アメリカ》
    1949–50年
    煉瓦
    2.3×2.5 m
    ハーヴァード大学グラデュエート・センター、ハークネス・コモンズ、スウェイン・ルーム
    © 2023 The Josef and Anni Albers Foundation/JASPAR, Tokyo
    Photo: David H. Wright

──今回の展示ではアルバースの教育者としての側面にも光が当てられています。バウハウスに留学した日本人留学生のことも取り上げられていますが、アルバースの教育は日本にも伝えられたのでしょうか?

亀山 彼はバウハウスの教育において、ある意味ですごく大きな力を持っていたのではないかと思いますが、アルバースの授業課題がどの程度まで直接的に日本で教えられていたかについてはわからない部分も多い。ただ、日本で最初にバウハウスに留学した水谷武彦は戦後、東京美術学校の授業で、紙をばっと生徒に渡して「これで何か作れ」という、アルバースがやっていたといわれている授業をそのままやっていたらしい。

 

本橋 予備課程はバウハウスの根幹となるもので、水谷はそれをアルバースに学びました。水谷が日本に帰国後教えていた東京美術学校時代の構成教育の授業を受けた清家清のノートを見ると、色紙が使われているんですよね。色紙を使って、ぱっぱっぱっと色を置く。アルバースはイェール大学に行ってもそれをやっているし、水谷も同じことをやっています。

  • DIC川村記念美術館「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」展示風景。色彩演習での生徒作品
    ©︎ The Josef and Anni Albers Foundation

ただ、アルバースが教育でやろうとしていたのは、生徒と同じ立場に立って、教師と生徒の垣根、ヒエラルキーをなくすといったことですが、日本のバウハウス授業では、割と高踏的な印象を受ける場面もある。だから実際には、本当のバウハウス教育というものは、東京美術学校の建築学部でもなかなかできていないかなという気がします。他にも、バウハウスのデザイン理論を学び、新建築工芸研究所を設立した川喜田煉七郎という人物もいますが、彼はバウハウスに行っておらず、帰国した日本人から知識を吸収したものです。だからバウハウスでの教育を、体験をもって実践することはできていません。

 

亀山 でも川喜田の本には、すごくたくさんアルバースの課題の図版は出ている。でも何かが違うんですね(笑)。紙細工みたいなものが何十ページにも渡って載っていたり、アルバースはこれはやらないんじゃないかな……というのが結構ありました(笑)。

 

本橋 紙の切り方が教え込まれている(笑)。それが面白いところでもありますが。

 

亀山 でもああいったやり方は、日本ではある意味では王道というか、受け入れられ得るやり方だったのかもしれない。

  • DIC川村記念美術館「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」での川北煉七郎、武井勝雄による書籍『構成教育体系』展示風景
    ©︎ The Josef and Anni Albers Foundation

本橋 その後、川喜田は完全に技術、テクニックを志向するようになるんですね。それは戦争とも関係していて、次第に合理的で有用なほうへと向かっていく。バウハウスでも、2代目校長のマイヤー時代にものすごく工業に近接していきますね。歴史的に見れば、こうしたデザインにおける作家の芸術性と工業生産との距離は常に揺れ動きます。たとえば、バウハウス以前の話として、ドイツ工作連盟時代のドイツでは、すでにデザインの規格化を推し進めようとするヘルマン・ムテジウスと、芸術家の個性を擁護するアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデとの間で起きた規格化論争があった。工芸やデザインが商業的にどこまで近寄って良いかは常にせめぎ合いがある。バウハウスも最初の頃は、ちゃんと芸術としてのデザインをやろうとしていたのが、マイヤーのときに工業、イコール有用なほうに一気にシフトしてしまう。そんなこともあり、マイヤーは2年でバウハウスを出ちゃうわけですけどね。

 

──アルバースはそういったそれぞれの校長からの影響は受けず、やることは一貫していたのでしょうか。

 

亀山 彼は、素材の特性や表面の特性を把握して最適な加工を施せば、最小の材料や労力で最大の効果を得ることができるということを「経済性」と呼んでいます。アルバースは、マイヤーが校長になる少し前からガラス絵画の制作を手掛けていますが、この「経済性」というキーワードを特に押してくるのはマイヤー時代のテキストで、合わせているんじゃないかという部分はあります。彼のバウハウス雑誌の論考でも「経済性」という言葉は全面に押し出されている。英語では「エコノミー」とされていることが多いので、「経済」の印象が強いですが、ドイツ語では「節約」とか「効率的」といった言い方もされていて、多様な側面を含む言葉だったのではないかと思います。

もともとアルバースはイッテンから授業を受けて、初めはそれを基に考えたと思うのですが、彼はイッテン的な精神主義やリトミックといったものはすごく嫌いだったみたいで、むしろ排除してやっていた。だからある意味では方向転換しやすかったようです。

 

──後期の版画集に収められた作品《水のなかで》は、もともとはガラス絵画として制作されたものですが、ここにも経済性の話が出てきますね。

 

亀山 元のガラス絵画ではステンシル部分を同じ長さの平行線と同じ高さの曲線だけで構成することで、切り方を単純化しています。ガラスという素材、ステンシルで削り取るという砂吹きの技法があって、さらにそれに合わせたイメージが出てきて、その3つがぐっと重なっている。そこに経済性があるということだと思います。

  • ジョセフ・アルバース
    〈フォーミュレーション:アーティキュレーション〉第I集の2(《水のなかで》)
    1972年
    シルクスクリーン、紙
    38.1×101.6 cm
    東京国立近代美術館
    © 2023 The Josef and Anni Albers Foundation/JASPAR, Tokyo

本橋 モダニズムの始まりっていうのは、経済のキーワードと一体なんですよね。どこをモダニズムのスターティングポイントにするかですけど、コルビュジエとかのああした抽象的な問題より、実はもっと先に、大量供給の住宅問題に建築生産を含めてどう立ち向かうかというのが先にあった。結局、グロピウスもバウハウスの校長を退いた直後に、銅を扱うメーカーに入社して、そのなかでカッパーハウスなんていう乾式の大量供給できる住宅の開発や発明をして特許を取ったりする。たとえばヴァイマール共和国時代にドイツで建設されたジードルンク(実験住宅団地)といったものも、どう安く造るかということが基本的にある。でもそれは安いものを造りたいっていうだけでもないんですよね。安く造ることに、新しい価値観、建築の美学といってよいかもしれない価値がある。だから、日本で最初のジードルンクのような形態をした建築は、富裕層向け住宅になっちゃってるわけです(笑)だからそれは即物的に、物質を物質として扱って、無駄な力を入れないという美学でもあって。やはりアルバースはモダニストだったのだろうと思います。

 

──アルバースは「経済性」という言葉をバウハウス以降もずっと使っていたのですか。

 

亀山 そうですね。労力と効果のバランスについては常に気にしていたみたいです。アメリカに渡って、第二次世界大戦後のアメリカでいくら素材を使えるようになっても、そのことは彼にとってはずっと大事なんですよね。ドイツで貧乏だったから、初めはそういう理由だったかもしれないんですけど、どんなに金があろうと、彼はそれを言い続けた。一つの倫理観ですね。

 

 

亀山裕亮/Yusuke Kameyama
美術史家。DIC川村記念美術館学芸員。修士(美術)。慶應義塾大学助教(有期)を経て現職。著書に、『ムンクの世界:魂を叫ぶひと』(共著、平凡社、2018)、『ムンクへの招待』(共編著、朝日新聞出版社、2018)などがある。

本橋仁/Jin Motohashi

建築史家。金沢21世紀美術館レジストラー。博士(工学)。メグロ建築研究所取締役、早稲田大学建築学科助手、京都国立近代美術館特定研究員、カナダ建築センター(CCA)を経て現職。建築作品に「旧本庄商業銀行煉瓦倉庫」(1896年竣工、2017年改修)、著書に『クリティカル・ワード 現代建築──社会を映し出す建築の100年史』(編著、フィルムアート、2022)、『HOLZ BAU[増補版]ホルツ・バウ──近代初期ドイツ木造建築』(共編著、TOTO出版、2022)などがある。

 

展覧会概要

「ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室」
会場/DIC川村記念美術館
会期/2023年7月29日(土) - 11月5日(日)
https://kawamura-museum.dic.co.jp/art/exhibition-past/2023/albers/

 

Top: Josef Albers, Manhattan, 1963, Formica panels, 28 x 55 ft (8.1 x 16.8 m), Pan Am Building, New York City © 2023 The Josef and Anni Albers Foundation/JASPAR, Tokyo. Photographer unknown

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