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記事

ドナルド・ジャッドと窓 
インテリア、そしてリノベーションをつうじて開口部を考える

寺田慎平

07 Feb 2024

Keywords
Architecture
Art
Arts and Culture
Design
Essays

0. はじめに ― なぜ、今、ジャッドか

アメリカのミニマリズムの代表的な芸術家であるドナルド・ジャッド(1928-1994)の作品は、建築界でもその愛好者が多い。おそらくそれは、建築的な暗示が彼の作品に含まれているからだと思うが1、彼が建築作品も構想・実現していることはもしかすると、少なくとも日本ではあまり紹介されてこなかったのかもしれない2

そこで本コラムでは、そんな彼の建築作品を、その開口部とともに紹介していこうと思う。ここでは、彼によって実現された建築作品の多くがインテリア、あるいはリノベーションのプロジェクトであったことに注目したい3。ジャッドのアプローチをインテリアとリノベーションの側面から捉え直すことは、現在日本の建築界が置かれている状況を踏まえても示唆に富む内容だと思うので、この場を借りて彼の建築活動について、アメリカを離れてここ日本で再考する機会としてみたい。

 

1. 三次元オブジェクトから建築へ

 

私は今なお個々のばらばらの作品をつくろうと意図しているが、それにやや飽きてしまった。(略)私はあいまいな空間の中にただ鎮座しているような巨大な作品を制作するのに少し飽きて、部屋における空間とより密接に関わることをしたいと考えた。4

 

ジャッドというひとりのアーティストによる建築作品について、これから紹介していこうと思うが、本題に入る前に簡単に彼のバックグラウンドに触れておきたい。彼の活動は非常に広範で、ざっと羅列してみても批評、美術、建築、家具、屋外彫刻とそのジャンルは多岐に渡り、建築作品はそんな彼の活動にとってはほんの一部といっても差し支えない。そこで、寄り道にはなるが彼が建築的提案をするに至るまでの道程を少し辿ることで、彼の関心の変遷を確認・整理しておくことは、彼の建築的提案の理解に役立つだろうと思う。

ジャッドは1940年代末から50年代の間にいくつかの学校に出入りし、主に美術と哲学を学んだ。50年代末からの批評活動を起点に自らのキャリアを始めたジャッドだったが、その制作物は絵画という二次元平面から、徐々に三次元のオブジェクトへと移行していく。そして60年代には作品が床置きされるようになることで、作品と場所との関係の考察が始まり、60年代末以降、制作物としての家具や建築的提案をつうじて場所自体への介入が行われていくようになった。

次元的な作品への移行は、偶然の出来事によって到達したと彼は説明する5。そうして生み出された彼の作品には「スタック」や「プログレッション」と呼ばれる作品群も含まれるが、ここでは後の建築的提案を予見させる2つの作品を紹介しておきたい。

まずは《無題(DSS 76)》(1965)について(図1)6。ジャッドの作品のなかでも高さが抑えられた作品で、床置きされ、上部に傾斜面をもち、有孔鋼板でできている。ここでは作品がつくりだす斜面が床や壁といった水平・垂直で構成された周囲の環境から独立していることが重要だが、より注目すべきは、高さが抑えられ、その独立したオブジェクトとしての存在感が最小限に抑えられた結果、自律しながらも同時に周囲の環境に開かれた作品となっているところだ。その点において、周囲の環境に(逆説的ではあるが)反応するような初期の事例と考えたい。

  •   図1 ドナルド・ジャッド《無題(DSS 76)》(1965)
    穿孔された16ゲージ冷圧鋼板、20.3×304.8×167.6cm
    Donald Judd Art © Judd Foundation / Artist Rights Society (ARS), New York
    © 2024 Judd Foundation / JASPER, Tokyo E5493

ここで同時代のミニマリズムの動向を確認しておくと、ジャッドは他の同時代のミニマリストたちと比べて、作品の周囲の環境との関係について、そこまで関心を払っていないようにみえることが分かる。同時代の作家たちが、オブジェクトの独立したかたちを捨て、より状況や環境に依存した(ポスト・ミニマリズム的な)作品を制作していくなかで7、ジャッドの作品は消極的な姿勢を見せているのが面白い。

しかし、そんなジャッドが唯一反応してしまう周辺環境の特性として「傾斜」が挙げられる。《無題(DSS 241)》(1971)はセントルイスのピューリッツァー邸のためにつくられた屋外の斜面に設置された作品で、2枚のステンレス製の壁が二重の囲いを形成している(図2)。内壁の高さは137.2cmと一様で、上部は地形と平行するかたちで傾いている。一方、外壁の高さは138.5cmから174cmの間で変化し、上部が水平になるように設定されている。この作品は、内壁の傾斜が敷地の傾斜から決定されている点で、環境に依存しているといえる8。ただし注意したいのは、最高174cmという外壁の高さである。この高さの設定により、敷地の下方からは内部を覗くことができず、相変わらずジャッドの周辺環境に対する消極性しか確認できないのだが、上方から見たときに限り、その内壁が敷地形状に反応している様を確認できるという一種のイリュージョンがここでは生じている。こうしたイリュージョン性はこれまでの作品からも確認できるが、その特性が敷地から導かれている点に、これまでの作品との一貫性のなかにある、より状況や観者に開かれた性質を見出すことができる。

  • 図2 ドナルド・ジャッド《無題(DSS 241)》(1971、ステンレス鋼、174×247.7×369.6cm)の断面図(筆者作成)

さて、ジャッドの建築的提案を紹介する前に、ここで確認しておきたかったのは、同時代の作家が周囲の環境に依存した(サイト・スペシフィックな)作品を制作するなかで、ジャッド自身の作品は周囲に対して、消極的な姿勢を見せているということである。しかし本節冒頭の引用文で示した通り、それでも彼は作品が置かれる空間に密接に関わりたいと言う。そのときに彼がとった手法が、三次元的作品を積極的に周辺環境に開くのではなく、消極的に、なるべく余計な意味が生じることを抑えながら空間や場所自体に介入していくという方法であった。

また、彼の作品には有孔鋼板や筒状のかたちといった「(観者が)覗き込む」という性質があることにも言及しておきたい。この性質は彼の他の三次元作品にもみられるし、建築における窓という要素がもつ重要な役割も暗示させる。

 

2. インテリアとして ― 既存の状態を注意深く読み込む

 

意図していようがしていまいが空間というのは生じるものであり、意識していようがしていまいが空間の意味というのは生じるものなので、ニュートラルな空間など存在しないのだ。これが私の作品の周囲に関する関心の始まりだ。9

 

1968年11月、ジャッドはニューヨークの現・ソーホー地区にある地上5階建ての鋳鉄造のビル《スプリング通り101番地》に引っ越し、居住兼制作の場とする10。この建物はもともと1870年にニコラス・ホワイトにより設計されたもので、ジャッドはこの地区の文脈と建物のビルディング・タイプから、その本来の用途について、上層階で布地の製品を制作し、下階でそれを販売していたのではないかと推定している。加えてジャッドは、自身がこの建築に対して試みた改修とその目的に関しても以下のように簡単に述べている。

この建物は修復だけされるべきで、基本的につくり変えてはならないと私は考えた。これは19世紀の建物なのだ。もともと壁が存在したような形跡はなかったから、各階がかつて開けていたことは、ほぼ確実だった(略)。
現況から、やるべきことははっきりしていた。各階はオープンフロアとしなければならない。[コーナー部で]直交する窓を妨げてはならない。そして、いかなる改造も調和させなければならない。私の希望としては、まずこの建物が生活と仕事に実用的であることと、そしてそれよりも重要で絶対的な条件として、私や他の作家の作品を設置するための空間となることだった。(略)作品の配置と、それに応じて改修を設計することに、とても多くの時間を費やした。はじめからすべては徹底的に配慮され、恒久であるように意図され、幾つかを除けば、今でもそうである。11

このテキストから、ジャッドの空間に対するアプローチに関する2つの重要な要素、「恒久展示(パーマネント・インスタレーション)」と、「生活と展示の両立」を確認できる。特に「恒久展示」とは、ジャッドが後にテキサス州マーファに移動する動機のひとつでもあり、彼の建築的提案に重要な影響を与えているように思える。ジャッドは恒久展示について、以下のように説明している。

の作品の制作は(略)、配置と同時に行われる。多くの美術館にあるような、空間的、社会的、時間的に[制作場所から]切り離されたものではない。周りを取り囲む空間も作品にとって不可欠であり、作品そのものと同じくらいその配置についても検討を重ねている。ニューヨークとマーファでのインスタレーションは、他の場所での作品の配置方法の規範となっている。私の作品は(略)しばしば不適切な形で展示されてしまい、展示期間もきまって短い。適切かつ恒久的に配置できる場がどこかになくてはならないだろう。(略)私はインスタレーションと建築を、自分の作品を守るために行っている。視覚芸術、空間芸術をその場限りのパフォーマンスにしてはならないのである。12

このジャッドの「恒久展示」という考え方は、彼のインテリアの作法でも徹底されている。それは、あまり手を加えず、そこに無駄な意味を付加しないようにしながら空間を明確にするという方法である。

作品を壁や床に置いてみたら、それがどこにあるのかはっきりとしないような感じがした。距離を調整しながら、作品を部屋の片角ないし両角に対応させるように壁や床に設置したり、もしくは屋外で地面[のテクスチャーや形状など]が変化する地点に対応させるように設置したりすると、作品との間の空間が以前よりもだいぶ明快になり、作品と同じような明確さをもつことが分かった。そうして一方向または二方向の空間をはっきりさせたなら、全方向にはっきりさせたくなるのは自然な流れだろう。13

《スプリング通り101番地》において、彼は空間を明確にするために、生活空間に作品を設置し、同時に空間に直接介入を行った。その建築的介入として注目したいのは、3階から5階の3つの空間における、床・壁・天井という3種の平面に対する一連のアプローチである。各階を確認していくと、3階がスタジオ、4階がリビング、5階が寝室となっているが、3階と5階の床はオーク材で揃え、壁と天井をプラスターで仕上げている。3階は巾木をもたないため、床と壁と天井がそれぞれ分離した平面として定義される。一方、5階では床と同じオーク材による高さ20cmの巾木が壁面の底部を囲い込んでおり、床全体が浅く窪んでいるようにみえる。この操作により5階を、床から高さ20cmの「生活空間」とそれよりも上部の「展示空間」の二層からなる空間へと仕立て上げている。それから4階は天井と床が同素材で仕上げられ、平行する同質の平面として定義されている。さらにこの床・壁・天井の特性を明確化するために、ジャッドは各階から余計なものを取り除いていく。すなわち、4階のヒーターは取り除かれ、照明に関しては3階と4階は天井に直接埋め込まれ、5階に至っては照明器具は存在せず、ベッド脇にアームライトが置かれるのみである(図3)。

  • 図3 ドナルド・ジャッド《スプリング通り101番地》5階内観
    Donald Judd Art © Judd Foundation / Artist Rights Society (ARS), New York
    © 2024 Judd Foundation / JASPER, Tokyo E5493

次元的な作品を制作する際、ジャッドにとって正面や側面、上面や下面の扱いは重要であった。上部を凹ませた箱型の作品や、ステンレスとプレクシグラスで組み立てられた筒状の作品、あるいは「スタック」シリーズにおける側面と上・下面の扱いの違いにみられる操作は、箱がどのように成り立っているのかをそれぞれ明らかにし、作品を明確化させていた14。《スプリング通り101番地》における床・壁・天井への操作は、空間を明確化させるためのジャッドの実践として、これらの作品の系譜のなかに位置付けられる。

インテリアのプロジェクトとして《スプリング通り101番地》をみたときに興味深いのは、前節で述べた傾斜地での《無題(DSS 241)》の制作行為が同時代のミニマリストたちの姿勢とは異なるものであったのと同様に、既存の状況を注意深く読み解き、余計な意味を生じさせることを極力排することで、周辺環境に依存することなく自律的に空間を成立させているところだ。

そして余計な要素が取り除かれた結果、既存部で最も明快にされた要素は「窓」になる。インテリアのリノベーションをつうじて、照明器具を用いることのない生活を可能にする要素としてこの十分に大きい窓を顕在化させつつ、2階のダイニング・テーブルを窓と同寸法で制作することで窓のプロポーションを強調している15。この点に、ジャッドによる消極的な周辺との関係構築の特徴がよくあらわれている。

 

3. リノベーションとして ― 合理的アシンメトリーを用いた開口部の位置

 

アートと建築双方において、[シンメトリーを用いたり、あるいはより細かな注意を払いながらアシンメトリーを用いたりする際の]真っ当な理由とは、構造物が立っているその土地の形状である。既存の建物もその理由となる(略)。
建築において、あらゆる側面がシンメトリーに基づいて考えられなければならない。私にとっては、古い建物のドアや窓を対面するように、あるいは軸線上に並ぶように再配置するという、ただそれだけのことでも大きな改善となる。機能を抜きにすれば、ドアや窓が行き当たりばったりに配置されるべき理由はない。
16

 

ジャッドは1960年代をニューヨークで過ごした後、70年代にテキサス州マーファに移住する。彼の実現した建築作品の制作は、前節で述べた《スプリング通り101番地》、それから後年のスイスとケルンでの作品を除けば、すべてここマーファで行われた。本コラムでは《スプリング通り101番地》の次に彼が手がけ、長年に渡り彼が介入を続けた《マンサナ・デ・チナティ》を紹介したい(図4)。

  • 図4 ドナルド・ジャッド《マンサナ・デ・チナティ(ウェスト・ビルディング)》「南の部屋」内観
    Donald Judd Art © Judd Foundation / Artist Rights Society (ARS), New York
    © 2024 Judd Foundation / JASPER, Tokyo E5493

ジャッドは自分の住処と作品の設置場所を求め、アメリカ南西部やメキシコを旅し、マーファを発見する。「ブロック」(つまり街区)とも通称されるこの場所とジャッドが関係をもったのは1971年のこと。もとはラッセル基地の航空機の格納庫であった2つの建物のうち、東側の棟を大きな作品を保管するために借りたことから始まる。1973年にこのブロックの東側と西側の建物を買い取り、翌年には2階建ての建物を含めた他の部分を買い取り、そこから彼の建築的介入がスタートする。ニューヨークの《スプリング通り101番地》は内部にしか介入できなかったインテリアのプロジェクトだったのに対し、マーファの《マンサナ・デ・チナティ》は複数の既存の建物を含む街区一帯が敷地となるため、インテリアだけでなく外構や建物同士の関係も重要になっていった。

まずは街区全体の構成を確認しよう(図5)。既存の建物は《イースト・ビルディング》(図5内a)、《ウェスト・ビルディング》(図5内b)、それから《2階建ての建物》(図5内c)の3棟であり、建物を買い取った後、ジャッドは街区の境界線上に「外壁」(図5内d)を建造し、敷地を囲い込んだ。《イースト・ビルディング》と《ウェスト・ビルディング》は敷地の南側のエリアに位置しており、各々の1階部分は大きく「北の部屋」と「南の部屋」、およびそれらに挟まれた「中間の部屋」という三層で構成されている。敷地の北側のエリアは庭として開かれており、風呂場、事務所、倉庫といった小さな建物や、犬小屋、鶏舎、温室、菜園、パーゴラ、プールといった庭を構成する要素が徐々に建設されていった。そして《イースト・ビルディング》と《ウェスト・ビルディング》の間には、「外壁」と対応するようにコの字型の「内壁」(図5内e)が入れ子状に建造されている。

  • 図5 ドナルド・ジャッド《マンサナ・デ・チナティ》配置図と主要開口部の位置(筆者作成)
    a:《イースト・ビルディング》
    b:《ウェスト・ビルディング》
    c:《2階建ての建物》
    d:外壁
    e:内壁
    1:《イースト・ビルディング》「南の部屋」
    2:《ウェスト・ビルディング》「南の部屋」(点線部は1984年時の図面に記載されている開口部)
    N: 平坦なエリア
    S: 傾斜したエリア

ジャッドは第2節で確認したインテリアのプロジェクトと同様、《マンサナ・デ・チナティ》でも既存の状態を尊重し、空間を明確にしていく。外壁と内壁が既存の建物の壁と同じく日干しレンガ(アドビ)でつくられ、外壁の高さも建物の壁の高さと合わせて9フィート(2.75m)に設定されているのがその代表例であろう。そしてこのプロジェクトをリノベーションのプロジェクトとして見たとき、重要なキーワードになると筆者が思うのは「合理的アシンメトリー」というジャッドの考え方である。第1節で紹介した《無題(DSS 241)》(図2)の制作について振り返るなかで、彼は次のように述べている

1970年、(略)セントルイスのジョセフ・ピューリッツァー邸の敷地に大きな作品を制作した。それはステンレスでできた、入れ子状の2つの矩形の壁で構成され、外側の壁の上部は水平、内側の壁は土地の傾斜と平行になっている。この不一致状態は、壁が設置されている敷地に紐づいているので、合理的なアシンメトリーだ。17

前述のように《無題(DSS 241)》は、一方で周囲への消極的な姿勢を維持しつつ、他方では環境に応じてサイト・スペシフィックでもあろうとするような作品であった。この作法のことをジャッドが「合理的アシンメトリー」と呼んでいるのだとすれば、同様の手法は彼のリノベーションにも見てとれるのではないかと筆者は考える。そこで《マンサナ・デ・チナティ》における「合理的アシンメトリー」の所在を2つの観点から考察していく。

第一に軸線上に配置されていない開口部について、《イースト・ビルディング》と《ウェスト・ビルディング》を例に分析してみよう。まず、《イースト・ビルディング》の「北の部屋」へのエントランスには大きな回転扉が建物の中心に配されており、「中間の部屋」および「南の部屋」(図5内1)へ通じる2つの開口部もその軸線上にある点でまさしくシンメトリーだといえる。他方、同棟の「南の部屋」への外部からのエントランスは軸線上ではなく建物の西側に配され、その位置は部屋の中央でなく「中間の部屋」の2階へと伸びる階段に正対するよう配置されている。これらのレイアウトは《スプリング通り101番地》の事例で確認したように、既存の状態をつぶさに観察しながら、空間を明確にすることを優先して階段と開口部の関係を決定している点で「合理的アシンメトリー」と呼べそうだ。

対して《ウェスト・ビルディング》では、この「合理的アシンメトリー」の傾向はより複雑である。同棟の三つの部屋のうち開口部がシンメトリーをなしているのは、扉が部屋の中央に位置し、書庫として利用される「中間の部屋」のみである。そして現地に行くと、さらに面白いことも分かる。「南の部屋」(図5内2)においては、1984年時の図面18と異なり、部屋の中央に位置するはずの開口部が、中央ではなく南側に寄った位置にあるのだ。これはなぜだろうか。

もし開口部の位置が1984年以降に変更されたのであるならば、この現場での開口部の調整もまた、作品の設置との関係で生まれた「合理的アシンメトリー」だと考えられる。一方、1984年時点で「南の部屋」の恒久展示が完了していたのであれば、図面の開口部の位置はその後意図的に修正されていることになる。実際の空間上では「合理的アシンメトリー」を重視しながら、図面上ではシンメトリーを優先させている点が興味深いのだ。

第二に、ジャッドが《マンサナ・デ・チナティ》で手がけた最大の建築的介入、すなわちアドビの入れ子状の「2つの壁」にも「合理的アシンメトリー」は見てとれる。「外壁」を用いて敷地を既存の建物の壁と同じ高さで囲い込むことで、街区と建築、建築同士の関係に一貫性を生み出しているが、この建築複合体をまとめあげるのが、敷地の傾斜に対応した、第二の壁としてのコの字型の「内壁」である。

側の2つの大きな建物の間には現在、そこの地形と平行に少しだけ傾斜している内壁が建てられている。他の部分の地形は外壁と同様、水平である。この片方は傾斜し、片方は平坦な2つの壁と2つのエリアは、いわばひとつのアート兼建築作品──普通ならその区別が重要だが──をつくりだしている。(略)これらの壁と地形の関係にまつわる相違は、セントルイスの作品[《無題(DSS 241)》のこと]の(略)アイデアとつうずる。19

傾斜した「内壁」が地形を顕在化させる。ここでさらに興味深い点は、水はけという機能も備えていることだ。

地の半分がわずかに傾斜していることと、水はけの問題もあることに対して、2棟の大きな建物の間にあるエリアにさらに傾斜をつけ、2階建ての建物の周囲を含むそれ以外のエリアを平坦にならすことにした。2つのエリアの境目に沿って敷地は横半分に分割され、ここで排水も確保している。斜面は、この境目にある低い擁壁の北西の角に向かって二方向に下っていく形となっている。20

「傾斜」というジャッドがこれまで消極的に反応していた周辺環境に対して、《マンサナ・デ・チナティ》の「内壁」では屋外作品と同様の手法を用いて調停しながら、水はけの問題を解決する建築的な解決方法として統合されていった点に、ここでは注目したい。そして最後に、外壁に設けられた敷地へのエントランスの位置が、やはり外壁の中央ではなく内壁との関係で合理的なアシンメトリーを満たしていることも指摘しておきたい。

以上の2つの観点から、「合理的アシンメトリー」を考えたときに明らかになるのは、「シークエンス」というもうひとつの建築的解決を、ジャッドが導入していることである。というのも、エントランスから入場した観者は、敷地内をそのまま直進することで、やがて傾斜した内壁に沿って《イースト・ビルディング》から《ウェスト・ビルディング》の順に、ジャッドが時間をかけて恒久設置を試みた展示室を見てまわるよう促されるからである。そしてそれぞれの展示室へのアクセスについても、作品の見え方に注意して「合理的アシンメトリー」を用いて決定された開口部の位置から入ることになる。

彼が《マンサナ・デ・チナティ》で成し遂げたことは、これまでの作品の手法を用いながら、水はけの問題を解決し、さらには独立した空間とオブジェクト同士を関連づけるシークエンスを導入したことだ。「合理的アシンメトリー」というジャッドが周辺環境と関係を築く際に好んで用いた手法は、こうしてリノベーションにおける新規の壁と開口部の位置を決めるための合理的な決定要素になっていったのであった。

 

4. 建築として ― ミニマル・アーキテクチャーの窓

ここまでジャッドの建築的アプローチを、インテリアおよびリノベーションのプロジェクトとして確認してきた。そして、ニューヨークでは彼の消極的な空間へのアプローチが窓という建築的要素を強調しており、マーファでは彼の好んだ「合理的アシンメトリー」という作法が壁や開口部をつうじて、水はけやシークエンスという建築的な解決手段として確立していくことを確認できた。

のようにジャッドの手法を建築的に解釈していくと、開口部としての窓を顕在化させているといってもいいかもしれない。ジャッドの作品自身の特性を分析すると、覗き込んだり、光を取り込んだりといった窓を暗示させる要素も確認できる。さらに、壁や巾木を用いて、境界を際立たせることもまた、開口をつくる方法のひとつだと捉えることが許されるならば21、彼の関心は、まさしく三次元的な窓を穿つことであって、その制作行為はきわめて建築的な操作であったと考えることはできないだろうか。そんなジャッドの試みは、現代のわれわれがインテリアやリノベーションを含んだ空間を設計する際にも大きな示唆を与えてくれるし、ひいては建築とミニマリズムの関係を再考するきっかけになるような気もしている。

 

 

注釈

1 たとえば、ロザリンド・クラウスはジャッドの作品に古典建築の柱廊などがもたらすパースペクティブの効果との類似を指摘している。Rosalind Krauss, “Allusion and Illusion in Donald Judd”, Jed Perl(ed.), Art in America 1945-1970, Literary Classics of the United States, 2014, p.765. (初出:Artforum 5, May 1966.)

2 日本の建築界において、ドナルド・ジャッドの建築作品を紹介するものとして大島哲蔵「ミニマリズムとアーバニズム:Donald Judd in Marfa」(『SD』第390号、鹿島出版会、1997年3月、56-60頁)や「ドナルド・ジャッド:空間と認識のコンシステンシー」(『SD』第415号、鹿島出版会、1999年4月、89-112頁)などが挙げられるが、2000年代以降、彼の建築作品を再解釈・再定義するような試みはあまりみられなかったように思う。しかし近年、彼の建築的提案を再考する研究も国内外であらわれてきている。荒川徹『ドナルド・ジャッド:風景とミニマリズム』(水声社、2019年)、Rebecca Siefert, “Into the Light: Lauretta Vinciarelli”(Lund Humphries, 2020.)など。

3 ウルス・ペーター・フリュッキガーの作成した年表によると、ジャッドの建築的作品35点のうち実現されたものは23点、そのうちリノベーションの作品は19点になる。(参考:Urs Peter Flückiger, “Donald Judd: Architecture in Marfa, Texas”, Birkhäuser, 2007, pp.146-148.)

4 John Coplans, “An Interview with Donald Judd”, 埼玉県立近代美術館、滋賀県立近代美術館(編)『ドナルド・ジャッド1960-1991』1999年、162頁。(初出: “Don Judd”, Exhibition Catalogue, Pasadena Art Museum, Pasadena, California, 1971, pp.19-63.) 以下、特に記載のない場合、英語の引用文献の翻訳は筆者が行った。また引用文中の筆者注は[ ]内に記載した。

5 「はじめの三次元作品のひとつは、失敗した絵画のキャンバス地を利用して、それを折り返そうとしたが、うまく平坦に折返せなかったところから始まった。(略)私は浅めのレリーフから、奥行きのあるレリーフへ、そして自立する作品へと至ったのであった。」John Coplans, “An Interview with Donald Judd”, 埼玉県立近代美術館、滋賀県立近代美術館(編)『ドナルド・ジャッド 1960-1991』1999年、155頁。

6 ジャッドの作品は基本的にすべて《無題》になるので、ここでは1975年のカタログレゾネに準じた番号(DSS)を付記した。The National Gallery of Canada(ed.), “DONALD JUDD: Catalogue Raisonné of Paintings, Objects and Wood-Blocks 1960-1974”, Ottawa, 1975, pp.91-280.

7 「1960年代の前半、絵画的な幻影主義を克服して実在に至ろうとする衝動が「物体」による自立存在を願望させ、その方途として基本的構造(プライマリー・ストラクチャー)ないし非関係性(ミニマル・アート)に着目させていたのに対して、60年代の半ばごろから、「存在」の自立性を絶対的なものというより相対的なものとして見る意識が高まっていった。(略)形の理念をまとった物体が崩れれば、事物は「モノ」一般あるいは「物質」に還り、(略)モノないし物質は何らかの存在様態のシステム(たとえば数的配列、繰返し、層など)において、あるいは何らかの変容過程の定式において在ることが自覚されてきた。(略)かくてモノないし原物質が形の理念によらずに存在の自立性を相対的に──たとえば重力の影響を受け入れて──あらわす芸術、すなわち物性の芸術の可能性が開かれたのである。ゴムやフェルトのようなグニャリとした軟かな物質が好んで用いられるアンチ・フォーム、土や石の集積、変位、散布等を手段とするアース・ワークの登場である。」峯村敏明『彫刻の呼び声』水声社、2005年、116-117頁。

8 ジャッドは他にも、ニューヨークの《グッゲンハイム美術館》(床が傾斜している)での展示作品やフィリップ・ジョンソンの《グラス・ハウス》の敷地内に制作された作品などで、敷地形状に反応した作品を試みている。

9 Donald Judd, “21 February 1993”, Flavin Judd(ed.), Donald Judd Writings, David Zwirner Books and Judd Foundation, p.811.(初出:Donald Judd: Large-Scale works, exh. cat. Pace Gallery, New York, 1993, pp.9-13.)

10 同年2月に68,000ドルで購入。ソーホー地区は1960年代にアーティストたちがロフトにアトリエ兼住居を構え始め、画廊も60年代中期から70年代にかけて数多く立地するようになった地区である。

11 Donald Judd, “Spring St 101”, Architektur, Westfälischer Kunstverein, 1989, p.18.

12 Donald Judd, “Judd Foundation”, Flavin Judd(ed.), Donald Judd Writings, David Zwirner Books and Judd Foundation, p.285. (初出: “Donald Judd: Complete Writings 1975-1986”, Van Abbemuseum, Eindhoven, 1987, pp.9-10.)

13 Donald Judd, “21 February ʻ93”, Flavin Judd(ed.), Donald Judd Writings, David Zwirner Books and Judd Foundation, p.812.

14 「私はいつもエッジや突縁部に関心をもっていた。(略)素材の厚みに関するより正確な知識を介して、作品は恣意的な要素のより少ない、より厳密なものとなる。このような作品はエッジをより明確に示し、強調する。」
John Coplans, “An Interview with Donald Judd”, 埼玉県立近代美術館, 滋賀県立近代美術館(編)『ドナルド・ジャッド 1960-1991』1999年、162頁。

15 :村山にな『FUNCTIONAL ART IN A DYSFUNCTIONAL SOCIETY: DONALD JUDDʼS FURNITURE(機能しない社会に挑む機能する芸術論:ドナルド・ジャッドの家具と場のデザイン)』文眞堂、2015年、78頁。

16 Donald Judd, “Symmetry”, Architektur, Westfälischer Kunstverein, 1989, p.190,192.

17 Donald Judd, “Marfa, Texas”, Donald Judd Writings, David Zwirner Books and Judd Foundation, p.426.

18 :Donald Judd, “Mansana de Chinati”, Architektur, Westfälischer Kunstverein, 1989, p.50. ジャッドは自身の手による建築図面は残しておらず、ジャッド財団に保管されている資料もごく簡単なスケッチがほとんどである。ドイツのミュンスターでの個展「ドナルド・ジャッド:建築」(1989、ヴェストファーレン・クンストフェライン)のカタログに掲載されている図面は展覧会にあわせて作成されたもので、1984年との記載がある。

19 Donald Judd, “Marfa, Texas”, Donald Judd Writings, David Zwirner Books and Judd Foundation, p.430.

20 Donald Judd, “Mansana de Chinati”, Architektur, Westfälischer Kunstverein, 1989, p.50.

21 原広司「境界論」 『空間〈機能から様相へ〉』岩波書店、1987年、131-175頁。

Top image: © 2024 Judd Foundation / JASPER, Tokyo E5493

寺田慎平/Shimpei Terada

1990年東京都生まれ。2015年スイス連邦工科大学(ETH)チューリッヒ校留学。2016年 クリスト&ガンテンバイン(バーゼル)勤務。2018年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修了(都市史)。2018-2023年ムトカ建築事務所勤務。主な担当作「天井の楕円」(2018)、「F.I.L. FUKUOKA」(2019)、「PEERLESS」(2019)、「GO-SEES AOYAMA」(2020)、「GO-SEES PREMIER」(2021)、「WOTA office project」(2021)、「Music」(2023)など。現在、メニー・カンファレンス共同主宰。建築とその周辺領域を横断するためのプラットフォームを目指してメディアプロジェクトを展開させながら、2023年にw/設立。個人でもデザインと執筆を行う。

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