
16 Jun 2026
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「名を知らぬ樹木」を辿る小説家 福永信さんによる連載第2回目。それは20数年前のとある展示会場につづいていました。立ち止まらずにはいられなかったその風景とは。
(前編はこちら)
「THE STANDARD」という展覧会が昔あった。
今でこそ珍しくはないが、“地域の建物や環境を展覧会の場に活用し、マップ片手に巡りながら見る”タイプの、国内では先駆けのような展覧会だった。瀬戸内国際芸術祭の前哨戦のようなものだったかもしれない(キュレーターは異なるが)。
2001年の秋のことだった。物珍しさから、日帰りで見に行った。瀬戸内海の直島だ。昼過ぎに宮浦港に着いて、夕方に出る帰りのフェリーに乗り遅れないようにしなければならず、島の3つの地域をメインにして展開するこの展覧会の全ては見られなかった。駆け足で回ったなら踏破することもできたのだが挫折した。途中で足止めをくらったのだ。ある「新人画家」の絵に目を奪われてしまったのである。
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左から『Surfboard』(2001)、『Where you wonʼt itʼs not endless』(2001)
描かれているのは海とか水辺みたいだ。
子供が水遊びしている。でも、活発な感じがない。まどろんでいる。眠りと覚醒の間にいる「微睡」の世界。その曖昧な雰囲気が、絵を見ているこちらを取り巻き、(眠っているときみたいに)動けなくしてしまう。
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左から『Surfboard』(2001)、『Bikini』(2000)、『Where you wonʼt itʼs not endless』(2001)
画家の名前は、全く初耳だった。何者だと思い、受付の人に聞いた。受付の人も画家の素性を知らぬようで「私も気になってるんですけど、デュッセルドルフで制作をなさってるようですが全然情報がなくて……」と、申し訳なさそうに言っていた。資料には、村瀬恭子という画家の名前と、簡素なプロフィールがあるくらいだった。
そのことがまたミステリアスな印象を深め、この画家のこれらの絵にも、もう2度と出会えぬかもと、フェリーの時間ギリギリまで見ていた。腕時計を見てびっくりして、めちゃくちゃ走った。
潮風に当たり、遠ざかる島を眺めながら、ポストカードもなくグッズもなく、頭の中には見たばかりの何枚かの絵の記憶が焼きついた。展示場所は元診療所だと説明があった。島にひとつだけで、数ヶ月前まで使用されていたという。
強烈な思い出ではない。忘れてることもしばしばだ。もう25年も昔のことなんだから当たり前かもしれない。でも、ふと、うとうとした午後、昼寝から目が覚めるみたいな、そんなとき、あの島の、元診療所の、病室の、まどろんでいるような絵の、展示の様子、その空間、あの不思議な明るさを思い出す。
この「明るさ」は、どこから来てるんだろう?
いつも謎だったのだが、明るさの正体が、今回わかった。
「窓」だった。
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左から『Forest』(2000)、『Shade』(2000)
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『I donʼt know where I am』(2001)
なぞなぞの答えを知ったときみたいに、なあんだ、そんなことか、と思う。窓が、明るさをもたらしていた。午後の日差しが室内に入り込んでいたのだ。
窓から、木々も一緒に入り込み、壁に枝をのばし、黄色く、赤く、色を変え、絵になって、そして、絵の、ややのけぞったふうな姿勢の少女の、赤い髪をからませた。現実と絵、2つの異なる世界を結びつけ、からみ合わせていた、あの午後の日差し、光の明るさ。役目を終えた窓は、私の記憶の中から退場したということかもしれない。
確かに窓という存在は地味なものだ。立派な、奇抜なデザインならいざ知らず、記憶に残りにくいかもしれない。記憶に残る「普通」の窓は、家とか学校とか、自分の時間がしみ込んだ場所のものくらいだろうか。
そういえば、前編に登場してもらった黒井千次は『漂う 古い土地 新しい場所』(毎日新聞出版/2013)というエッセイ集で、自身のもっとも古い記憶としてこんなイメージを挙げていた。
ある曇った日の午後、いつも遊んでいる部屋の窓を開けて首を出し、なにげなく左を向いた。とそこに、同じように窓から首を出して右を向く女の児の顔があった。こちらより少し年嵩の、色の浅黒い面長の児だった。隣家の子供だ、とすぐにわかったが、一緒に遊んだこともなかったし、名前も知らないのでそのまますぐに顔を引込めた──
どんな窓か、それは読者にわからない。どんなデザインか知らない。でもそれはこうして記憶に残った。そして、彼の文章によって、「普通」の、単なる平凡な「窓」として、読者の頭に浮かぶことになった。3歳のときの「名前も知らない」「女の児」を見たこの窓と、90歳の彼が仕事机から「名を知らぬ樹木」を見たあの窓は違う窓だけれども、でも、どちらも同じ、言葉の中の「窓」だ。彼の、かけがえのない記憶の中で、そして、読者の頭の中で、そっと開かれている窓なのだ。
今回、貴重な記録写真をお借りしたが、それらを見ながら気付いたことがある。壁の絵の反対側の部屋にも、同じように「壁に描かれた絵」があったことである。写真を見るまで記憶から部屋ごと完全に抜け落ちていた。
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『I donʼt know where I am』(2001)
写真には窓が映り込んでいない。だが、はっきりと窓の存在を感じることができる。窓からの明るさを浴びて、やはり枝に赤い髪を引っ掛け、しかしこっちは前傾姿勢、妙な姿勢だが、昼寝の世界で、まどろんでいるようなあの子が描かれている。
あ、そういえば、まどろむの中にも「まど」が……。
(次回は8月公開予定です)
福永信/Shin Fukunaga
1972年生まれ。村瀬恭子との仕事には共著『あっぷあっぷ』(2004)のほか、村瀬恭子『Fluttering Far away/遠くの羽音』(2010)に福永が寄稿、『美術手帖』(2010/7)ではインタビューを、『星座と文学』(2014)ではなぜか筆談を、また資生堂の『花椿』(2013/10)では「楽しかった思い出」というタイトルの掌編を福永が、ドローイングを村瀬が描いた。本連載(全5回)のバナーも村瀬の担当。







