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「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」出展作家対談
下道基行 × 能作文徳

下道基行(美術家) × 能作文徳(建築家)

20 May 2020

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Art
Arts and Culture
Conversations
Ecology
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服部浩之氏(秋田公立美術大学大学院准教授)をキュレーターに迎え開催された第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館展示 「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」。本展では、美術家、作曲家、人類学者、建築家からなる異なる分野で活躍する4名が協働し、生態系における人間のあり方を問い直す。
津波によって海底から陸へ運ばれた巨石「津波石」の映像を発表した下道基行氏、エコロジーを起点に建築を思考する能作文徳氏が、これまでの作品から「窓」の起源まで、分野を横断し環境と人間の営みを語る。

作品の中の「境界」

能作文徳(以下:能作) 下道さんの作品には「境界」をテーマに思考しているものが多いのではないかと感じています。ですから、まず今回はそこから考えていきたいと思います。日本の旧植民地に残された鳥居を撮影した『torii』(2006–)など境界を扱ったシリーズが色々とありますね。

下道基行(以下:下道) 中学生が“身の回りの境界線” について書いた文章を新聞の連載にする『14歳と世界と境』(2013–)もそうですし、これまでの多くの作品で境界や何かの「間」に位置する存在を取り上げています。

  • 下道基行氏

初めに境界という意味で興味をもったのは「トーチカ」だったかもしれません。トーチカは戦時中に海から上陸してくる敵を狙撃するためのコンクリートの構造物ですが、本土上陸に備えて日本の海岸線に多くつくられたものが、実は今も日本各地に残っている。『戦争のかたち』(2001–2005)ではこうした日本全国に残された戦争の遺構を巡って撮影しました。

トーチカはフランスの思想家・都市計画家のポール・ヴィリリオによる『トーチカの考古学』(仏:Bunker Archéologie)にでてきます。中世の都市は城壁で囲まれていて、そこに弓矢で撃つための穴がついていますが、トーチカはそれと同様に広がっていく都市空間の一番際、外と内の際の辺りにつくられる建造物としてある。

能作 境界でありつつ、ポイントにもなるものですね。

  • 下道基行『戦争のかたち』(2001–2005)

下道 はい。2004年から、シリーズ『戦争のかたち』の砲台やトーチカの調査を下敷きにして新しいプロジェクト「Re-Fort PROJECT」をはじめます。これは、戦後放置され廃墟化した戦争の遺構を様々な人と実際に再利用するプロジェクトで、2009年(5回目)と2015年(7回目)に今回の展示キュレーターの服部浩之さんと一緒にプロジェクトを行いました。
2015年にはトーチカの入り口を塞いで、銃眼の穴を利用して内部に像を投影させるカメラ・オブスキュラの装置をつくりました。

そうするとトーチカの中に置いた紙に海が反転して映り込む。こうして元々は海から向かってくる敵を狙撃するためのものだったトーチカの「窓」から、そうではない別の風景があらわれてくる。僕は時間をかけて、その風景を鉛筆で描き写していきました。時代によって変化するものと変化しないものの存在を意識していました。

あるいは僕は単純に、浜辺のような場所が好きなのかもしれない。どこか知らないところからやってくるものが流れ着くフィルターのような場所だから。

  • 下道基行『Re-Fort PROJECT 7』海を眺める方法 Ⅱ(2004-)

能作 確かに。

下道 中心のような場所ではなくて、様々な環境が偶然に混じっているような場所に惹かれる気がします。トーチカももともとはある外側と内側を分ける場所につくられているけれども、飛行機の時代になりインターネットの時代になり、これまでの境界は消えていきつつあるのかもしれない。トーチカ自体が漂着物みたいなものですよね。

「津波石」から見えてくるもの

下道 今回ヴェネチア・ビエンナーレで発表した『津波石』は、八重山諸島の海中にあった巨石が津波によって岸に打ち上げられたものです。それがこうして時間が経って、石の上に木々が茂って森のようになっていたり、あるいは神聖なものとして人々がそれに物語を付与したり、渡り鳥たちがそこに卵を産んでいたりと、新しい意味や価値がそこに誕生している。さらに津波石という「主人公」を決めることで、そうした状態や環境が見えやすくなる。

アーティストというのは一般に、大胆に物を動かしたりくっつけたりして、誰も見たこともないものや環境を生み出したりするような存在かもしれない。けれど僕自身は、基本的に風景の中にあるものを動かしたくないタイプで、すでにそこにある環境を面白がっていきたい。だからカメラをもって撮影しているんだと思います。環境を変えたいわけじゃなくて、そこに生まれた環境や、面白いバランスそのものと出会いたい。だから、それは保存されているような古い建物も同じで、移築したものとかは何かこう……。

能作 そう。どこかが違うよね。

下道 土地と切り離されてしまっている。だから自分が手を加えるというよりは、そこにできた環境を発見する瞬間みたいなものを大切にしている。そういう意味で、対象を土地とくっついている状態で拾い取れるのが写真とか映像という手法だと思っていて。

能作 なるほど。

──今回映像という手法を採用されたのはなぜですか。

下道 最初は写真を撮影していたんですが、鳥たちの小さくて素早く飛び回る美しさが写らない。岩は動かないから本来は写真で十分ですが、そこでたまたまもっていたデジタル一眼レフで動画を撮影したら、写真より面白い映り方をした。

能作 一方で津波石自体が、もともと津波によって動かされてきたものというのも面白いですね。

  • 能作文徳氏

下道 岩にカメラを向けて15分くらいじっと待っていると、なんか逆に楽しくなってくる。馬鹿げてて。ほとんど何も動かないから。でも同時に、石の上に茂る風で揺れる草や、岩の上を飛び回る鳥たちの小さな時間を感じる。石はもちろん動いていないんだけど、そのゆったりとした時間も映りこむというか。鳥や木や人などそれぞれのもっている時間の “振り子” の違いが見えてくる。

──展示では、人類学者の石倉敏明さんによる津波石についての文章が組み合わされています。これまで津波石は、八重山諸島の人々にとってどのような存在として受け止められてきたのでしょうか。

下道 津波石についての研究は2011年以降に盛んになっていますが、石垣島の郷土史家の牧野清さんが1968年に「八重山の明和大津波」という本で初めて本格的に津波石に光を当てたと思います。

とはいえ、実は地元の人にとって津波石はあまり見向きをされていない存在だと思います。浜辺で漁をするためや、道路の脇の “目印” として名前がついている岩は結構ありますが。大小様々に無数に存在するので、いうなれば生活の近くにあるただの岩です。いくつかの巨石には言い伝えや信仰の対象にもなっていますが、破壊されて建築資材として転用されたりもしているみたいです。

ただ、津波石を主人公に観察してみると、様々な形で人間も含めた生き物や自然との関係が見えてきて、津波石というものが “広場” のような存在として感じられてくる。市場が立ったり人々が集うことのできる空き地のような。

  • 下道基行『津波石#05』(2016)

今回の展示の主題は、美術家と作曲家と人類学者と建築家とキュレーターという異業種のコラボレーションだと思っています。その上で、『津波石』の作品自体も、さまざまなものに開かれた“広場”的な役割を果たしているのではないかと思います。

──異なる分野の4人が展示をすることになったきっかけは。

下道 キュレーターの服部(浩之)君から出展についての話があったときに『津波石』の映像を見せたら、これは面白いと。で、人類学者と建築家も入れたコラボレーションとして企画を考えたいといわれました。僕は実際に津波石を見に行って、岩の上に家を建てたり、それを異化させたりするのかなぁとも想像していました。

能作 それは初めて聞きました。

下道 さらに『津波石』の映像には音がないから、それなら実際の会場の空間内で音を鳴らしたいという話をして、最終的にロボットが自動演奏する「ゾンビ音楽」をつくっている、安野太郎君が面白そうだねということになった。

──会場設計について教えてください。

能作 下道さんの『津波石』の映像、安野さんの「ゾンビ音楽」のリコーダーとバルーン、そして吉阪隆正が設計した日本館を共存させる方法を探りました。日本館の中の床には穴が開いていて、ピロティにつながっています。その真上には天窓があります。その床にバルーンを挿入することを考えました。また螺旋を描くように配置された柱の運動性のようなものを意識して、映像のスクリーンを車輪つきで対称になるように配置しました。

  • 第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館展示 「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」 展示会場風景
    撮影:ArchiBIMIng  提供:国際交流基金

展示壁については、『津波石』や「ゾンビ音楽」には白い壁は合わないと感じて、白い仮設壁を剥がして、その奥にある躯体を見せたらどうかと議論しました。しかし仮設壁を取り外すことは難しいことが分かり、緑がかったダークグレーの色を塗ることを決断しました。下道さんは「どぶ」のような色といってましたね。色はすごく難しいですが、人間の知覚を変化させます。この色は宮古島の鳥の声を取材した時に訪れた薄暗い森の中のイメージです。そこに天窓からの光が入ってきます。

窓の起源

下道 そういえば、もうひとつ、「Re-Fort PROJECT」や『津波石』のことを調べた時に出会った気になる建築があって。「産屋」(うぶや)というのは知っている?

能作 産屋?

下道 子どもを産むときに使われる小屋なんですが、海の近くの集落のそれには窓が1カ所、海側についているものがあるそうです。生死といったことと海は関連して考えられていたのかもしれません。

能作 以前、民族学者の佐藤浩司さんの「窓の起源を探る」という窓学の研究発表を聞いたんですが、そこに18世紀頃のアリューシャン列島の民族の住居が出てくる。「土まんじゅう」と呼んでいましたが、竪穴式住居みたいに土を盛って半地下状にしている。それは入り口が上にあるんです。天窓ですね。だから窓の起源は天窓だと。

下道 面白いですね。

能作 中で暖房とか煮炊きをするから煙を抜くのがひとつの機能的な理由なんですが、それには宗教的な意味もあって、天窓から死者を送るとか、あるいは魂の出入りをさせるという。

天窓の上から男性ははしごを降りて住居に入らないといけないらしい。一方で女性や子どもは横の小さい入り口から入る。その窓の起源という話と、さきほどの産屋は、何か近いものがあるのかなと思いました。

  • 展覧会公式カタログ(英語版、Case Publishing、 2019)
    デザインは田中義久氏によるもの

下道 内陸に暮らす人なのか、海の側に住む人なのか、そうしたことも関係してくるかもしれない。そういう意味では、光を取り入れるために窓を多くつくる現代の住宅とは違い、わざわざひとつしか開口部をつくらない建物というのを考えていくと、様々な意図が見えてくるのかも。

能作 なるほどね。そういう意味では、日本館も「穴」が開いているじゃないですか。

下道 ね、上に。

能作 僕は日本館を設計した吉阪隆正はそうした感覚をもった人だと思うんです。単にそこからトップライトを入れたいというよりは、何か魂を抜けさせたいといった感覚があるのかなと、あの建築のかたちを見ると思う。

──現在取材している能作さんの事務所兼自邸《西大井のあな》(2017–)も、上下階を貫通する「穴」を起点にした建築ですね。図録には、下道さんと服部さんが初めて建物を訪れたときに衝撃を受け、一緒にプロジェクトをつくれることを確信した、ともあります。

下道 安野君とここに来たときに「何か新しい身体感覚を生む家だね」という話をした。何かを失うことで、何かが生まれる。この家は床に穴を開けたことで、人間の中に眠る身体感覚を蘇らせる。穴が開いていて危険なんだけど、面白い。

能作 この建物は4階建てなので、建物を仕切っているのは壁というより床です。この床に穴を開けて垂直方向に広がりをつくりたいというのが穴を開ける動機でした。それだけでなく、天窓から光が下の階に届けられたり、空気の循環ができたり、上にいる人に声をかけたり、いろんな関係性が生まれました。

  • 能作文徳+常山未央《西大井のあな 都市のワイルド・エコロジー》(2017–)

人間が滅んだ後の世界

──異分野のコラボレーションという話がありましたが、建築家との協働という意味では、下道さんの作品は、SANAAによる住宅を転用した「S-HOUSEミュージアム」にも常設展示されていますよね。

下道 そうですね。これは住宅だった《S-HOUSE》を現代美術のコレクターでもある花房香さんがプライベートの小さな美術館として生まれ変わらせようと始めたもので「展示する作家を固定し、10年計画で作家ごとに毎年新作を加えて展示し続ける」というコンセプトがあります。そこで美術館のアドバイザーで建築家の周防貴之さんに、「風呂とトイレの部屋を、下道君、10年間担当できますか?」といわれて(笑)。

能作 でもあの建物は風呂場が一番、面白いんです。

下道 狭いL字型の両開きになっていて。ただ、美術館への改装について少し気になったのが、家全体を美術館にするにあたって、人が住んでいた痕跡を消して家自体を建築当時のようにきれいにしていったこと。

一方で、風呂場にはかつて住んでいた人が貼ったであろうタイルといった、建築家が意図していないものや使用感が意外と残っていた。だから逆に、僕は前の人が住んでいた感じをそのまま保存して展示をしようと思った。人の生活の遺跡みたいに。

ただやっぱり風呂場で展示をすると、写真とかがふにゃふにゃになっちゃうし、使えないメディウムもあるので困りましたね。さらにそれに対して色々と提案すると、周防さんに「この風呂場の建築的なよさがなくなってしまう……」といわれることもあったり。こうしたやりとりが今も続いているのですが、そういう意味で、建築家が入ると空間がまた別のものに見えてくるから面白いですね。

──建築家としてはこうしないでほしい、というある種のせめぎあいがある。

能作 今回の日本館も割とそうだったね。初め、服部さんは日本館を土で。

下道 埋めたいと(笑)。

能作 最初にメールでそれをいわれて、いや、勘弁してくださいと思いました(笑)。

下道 僕がいったんだよ。古墳や洞窟みたいにしたいといって。

能作 アイデアとしては面白いと思うんですが。でも日本館それ自体がもう既に遺跡みたいなものだから、そういう風に見立てたらどうですかと。

下道 当初のキーワードには「廃墟」というのもありましたね。「人間が滅んだ後の世界」のイメージ。世界が終わった後にそれが残っていて、という。

  • 《西大井のあな》にて、下道氏(左)、能作氏(右)

能作 ひとつ、今回の対談で下道さんに聞いてみたかったのが、作品をつくる上で東日本大震災の影響があったのか、ということ。以前下道さんは関東大震災の後に民芸運動や今和次郎といった存在が出てきたと話していたことがありましたが、そうした災害後の新しい動きと、人間の考え方みたいなものは、どのようにリンクしてくるのでしょうか。

下道 まず、震災から数カ月後に被災地に行ったとき、更地になった場所にものすごい瓦礫の山ができていた光景を目にしたのは大きかったですね。粉々になった家とか、車とか、家具とか、いろいろなものがただのゴミのような状態で山積みになっている。何といえば良いのだろうな……。「ここから始めないといけないのだろうな」という感じ。

誤解を恐れずにいうと、写真家の中にはそうした被災地の圧倒的な様子に魅せられて撮影をした人もいたと思うんです。既にそこには思いもよらないような、ある意味で「フォトジェニック」な風景も、それに対する意味づけも用意されていて。でも自分は絶対にそうした写真は撮らないようにしようと思った。というか、何も撮れなかった。

ただ、唯一カメラを向けたのが、コンクリートのカケラで作られた小さな橋と寄せ集めの椅子が並んだ新しいバス停だった。ああ多分今和次郎もこういう感覚でバラックを見ていたんだろうなと。

逆に今は世の中のもの全部が、ある目的のためにつくられているものばかりになり過ぎていると思っているんです。だから、その旅の後に自宅で撮影を始めた『ははのふた』(2012–2015)という作品は、お皿やコップなどいろいろなものをふたの代わりにしながら、母が使い続けているさまざまな容器の記録なんですが、それはそういう被災地で見たものの影響からできている。

  • 下道基行『ははのふた』(2012–2015)

もうひとつ、『津波石』の制作と同時期に作った作品『新しい石器』も接続すると思います。ある浜辺に隣接する集落では浜辺の石を色々な形で使っているのですが、その風景を見つけたところからこの作品は始まっています。屋根の上にあったり、壁になっていたり、ドアストッパーになっていたり、漬物石にしていたり。集落中が石だらけで。その風景を撮影した写真集に浜辺の石を付録として挟んで販売しました。購入した人は石と向き合うことになります。

  • 下道基行『新しい石器』(2012 – 2015)

能作 大災害が起きて、そこから何だろう、人間のできることはすごくちっぽけなのかも、みたいな気づきは僕にもあって。それで、そのちっぽけな人間が世界に介入する方法が、ふたかもしれないし、小さな橋なのかもしれないけれども。

下道 失われることで何かが生まれることはあるというのが重要で。そういうささいなクリエイティブなものが出来上がってきて、少しずつ草が生えるように人間の生活がそこに始まる瞬間が見たい。

能作 そうですね。

下道 あと、どんどん普通に戻っていくじゃないですか、生活というのは。あんな災害があったのに。それが別の言葉でいうと、忘れちゃうということなのかもしれないけれども。それは必要なことなんだけど、忘れない方法はいろいろあるんじゃないかという気はしていて。別の形で。

震災以前は、日常がベルトコンベアーに乗っかって自動的に流れていくような感覚がどこかにあったと思うんです。生活がどのような部品によって成り立っていて、どのような仕組みで動いているかなんて自覚されない。

そこに震災が起きて「あれ? なにかおかしいぞ!」と一瞬気づいた。でもすぐにまた普通の状態に戻っていってしまう。そうではなく、「いやいや、あの地震から、世界はズレたまんまなんですけど!」と。そういう感覚を忘れずに日常を育てていく態度自体が、あの日を忘れないことに近いんじゃないか。それはモニュメントや石碑をつくるというようなことではなくて。静かに抵抗し続ける。

能作 僕もすごく近い感覚です。モニュメントはつくりたくない。だから《西大井のあな》も、ある種のごみのようにも見えるけれども、でもそこで何かが始まっている、住みついている。そうした感覚を大切に建築へのアプローチをしたいです。

 

下道基行/Motoyuki Shitamichi
1978年、岡山県出身。2001年、武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒。2015年、豊田市美術館ライブラリーにて、また 2016年には黒部市美術館にて個展を開催。「光州ビエンナーレ 2012」(韓国)、「Asian Art Biennial 2013」(台湾)、「あいちトリエンナーレ 2013」、「岡山芸術交流 2016」、「ESCAPE from the SEA」(マレーシア、2017)などグループ展への参加多数。光州ビエンナーレ 2012では NOON芸術賞(新人賞)を、2015年、さがみはら写真新人奨励賞を受賞。
http://m-shitamichi.com/

能作文徳/Fuminori Nousaku
1982年、富山県出身。2012年、東京工業大学大学院建築学専攻博士課程修了(工学)。2010年より、能作文徳建築設計事務所。2018年より、東京電機大学未来科学部建築学科准教授。 主な作品に、《高岡のゲストハウス》(2015)、《西大井のあな 都市のワイルド・エコロジー》(2017–)など多数。また、2013年 SDレビュー2013 鹿島賞、2016年 第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示特別表彰、2017年 SDレビュー2017 入選、など多数受賞。
http://fuminori-nousaku.site/

 

【帰国展】現在、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため臨時休館中
第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館展示帰国展 Cosmo-Eggs | 宇宙の卵
会場:アーティゾン美術館(東京都)
会期:2020年4月18日(土) 〜 6月21日(日) ※開幕延期
https://www.artizon.museum/

第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館展示 Cosmo-Eggs | 宇宙の卵
会場 :イタリア ヴェネチア カステッロ公園内 日本館
会期 : 2019年5月11日(土) ~ 11月24日(日)
https://2019.veneziabiennale-japanpavilion.jp/

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