July 15, 2020

第31回 エジプト・カイロ編
「複合する街」

ヨルダンから飛行機に乗って、エジプトのカイロに来た。はじめてのアフリカ大陸だ。たいていの首都はそうなのだろうが、特にカイロは人が多い。宿から街に繰り出そうと歩き出すも、車が多すぎて一苦労である。クラクションは鳴り止まず、何度も車に轢かれそうになる。すさまじい活気だ。

カイロは人口2,000万人にもおよぶ大都市で、ナイル河が地中海に注ぐデルタの付け根に位置している。現在のカイロの元になったのは10世紀のファーティマ朝によって築かれたアル・カーヒラという街で、現在は歴史的なイスラム建築の集中する地区「イスラミックカイロ」として観光地にもなっている。

  • イスラミックカイロの街並み

千年以上にわたり人々の生活が塗り重ねられてきた旧市街であるイスラミックカイロは、住居、市場やモスクも多く、現役で人々が使い倒している街でもある。地区に現存する城門のひとつ、ズウェーラ門に登って街並みを見下ろすと、いくつかのモスクのミナレット(塔)と、細い街路の続く景色が広がる。多くの建物は3、4階建くらいで、建て増した際の作業のゴミが放置されているのだろうか、なぜか屋根の上がことごとく荒れている。街路では車の通行が禁止されているようで、警察は車の代わりに馬に乗っていた。

こうしてあてもなくフラフラと、安くておいしい昼飯を食べつつ、ときどき水タバコ屋なんかを覗きながら街を歩いていると、通りの角に何やら古そうな石積みの建物を見つけた。

  • 通りの角に、サビール・クッターブ

建物は一階に牢獄のような大きな格子状の開口部をもち、二階に繊細な木造のテラスや屋根が付加されている。調べてみるとこの施設、「サビール・クッターブ」という公共建築で、一階が給水場(サビール)、二階が寺子屋(クッターブ)というセットでできている。その機能の組み合わせは不思議に思えたが、水と教育はたしかにどちらも必需品である。カイロではかなり普及した公共空間だったらしく、19世紀には300を数えたという。

一階の給水場では、格子を介して市民に無料で水を配布していたらしい。ナイルから運ばれてきた貴重な水を人々が勝手にもっていかないように給水夫がいたようで、水を守るという点ではたしかに牢獄を逆にしたようなものだともいえそうだ。

  • 円形の給水施設(サビール)。独特の庇をもっている

サビール・クッターブのひとつが開放されていたので中に入ってみる。地下の貯水槽から引き上げられた水は装飾の彫り込まれた石板を伝って落ちてくるようになっており、ここで曝気(浄水処理方法の一種)された水を汲んで、配っていたらしい。なんとも高度で、そして美しいインフラ施設である。すべての機能に、美を与えようとするイスラムの感性が伝わってくる。

  • 吐水口の下の石板を伝って水は流れる

さらにメインの通りを歩いて行くと、大通りに出るところで、通りを覆う巨大な木造屋根に出会った。

建物から突き出した木の方杖(斜材)で支えられるこの水平木造屋根は、日差しを遮りながらその真ん中には大きな四角い穴が開けられている。こうしてできた日陰には露天商が集まり、ものを買い込んだ人々は四方八方に散っていく。よく見るとその大きな屋根と建物の間には隙間があり、中国のトルファンの民家で見た「浮いた屋根」と共通するものにも見えた。

  • グーリー・コンプレックスを下から見る。買い物する人々でごった返す
  • 建物から浮いた屋根。窓は緻密にデザインされている

通りを超えて向かい合う2つの建物から成っているこの施設は「グーリー・コンプレックス」と呼ばれている。モスクや霊廟、上述のサビール・クッターブなどを組み合わせた複合施設で、16世紀初めに建てられたものだ。建物は紅白の石が交互に積まれた石造で、記念碑的な佇まいはなく、街路に合わせて場当たり的に発展した感じがする。窓の意匠は様々で、2連アーチのすぐ内側に木造のガラス窓が嵌め込まれていたり、巨大で力強い屋根と対比的な緻密さが目を引く。

建物の中に入ってもその細かな意匠は続く。光降り注ぐ中庭を抜けると、これでもかとアラビア文字が彫り込まれた大きなアーチの先に、ほんのり暗い小礼拝室がある。壁面の上部にはカラフルなステンドグラス、さらにマシュラビーヤ、格子窓と、それぞれが目的をもって、しかしバラバラになりすぎないように統一され並んでいる。

  • グーリー・コンプレックスの小礼拝室

イスラム教では偶像崇拝が禁止されているため、聖者を祀るための墓廟という考え方は元々なかった。イスラミックカイロに見られる複合的な建物は、本来イスラムの教義にそぐわないこうした墓廟・霊廟を他施設と併設することで、公共施設として市民に受け入れやすくしようとした歴史がある。サビール・クッターブやグーリー・コンプレックスに見られる「複合」の伝統は、イスラム建築が市民に開いていく過程で現れたものといえるのかもしれない。それは権威主義的な形を取らなかったために現在の生活にも違和感なく馴染み、そして図らずも多種多様な窓を温存することにつながっているのだろう。

 

田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。修士論文早苗賞受賞。2017年5月より台湾・宜蘭の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。