WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 窓からのぞくアジアの旅

第32回 エジプト・カイロ編(2)
「アーチに向かう」

田熊隆樹

15 Sep 2020

のちにカイロの原型となる都市「アル・カーヒラ」がつくられる10世紀以前、その少し南の方に「フスタート」という都市があった。今ではオールド・カイロと呼ばれるこの地区に、アフリカ大陸最古のモスク「アムル・モスク」はある。イスラムが世界に広がりだした7世紀に起源をもつモスクだ。これは1300年以上にわたり増改築を重ねる、このモスクを覗き見た記録である。

とはいっても、ありがたいことに、モスクは大抵誰にでも開かれている。これまで訪れたイスラムのどの都市にもモスクはあり、街中どこにいてもアザーン(礼拝の呼びかけ)が耳に届く。その声に誘われては幾度も中を覗きにいった。多くの日本人にとってモスクは縁のない場所だろうが、個人的にはキリスト教会よりずっと居心地がいいと思う。

モスクに入るときにはまず足を洗う。手も二の腕ぐらいまで洗い、顔も首も耳も念入りに洗う。清浄な体で祈るのが原則とされているからだ。これを1日数回行うのだから、彼らは相当きれい好きと思われる(そういえば何度かお邪魔したイスラムの家庭はそろって清潔だった)。そうしてさっぱりした人々は、絨毯の敷かれた礼拝空間に靴を脱いで入る。これも日本人である私が快適に思える理由の一つだろう。

  • アムル・モスク外観

アムル・モスクはミルク色の城壁のような厚い壁で囲われた、120×110mの平面をもつ巨大なモスクである。中に入ると、約150本の白い石柱が等間隔で連続する森のような空間が、中庭を囲んでいる。これはムハンマドが自ら開いた「預言者の家」(木の列柱空間と中庭からなる簡素な空間だったと伝えられる)というモスクの原型に近く、「アラブ式モスク」と呼ばれる形式である。

初期イスラムは軍隊を伴い急速に広まった宗教であったから、自分たちの建築様式をもつというよりは、その地で手に入る過去の遺跡をうまく利用することでモスクを建設していった。アムル・モスクは、ローマなどの古建築からせっせと取ってきた石柱を相互に連結させることで空間を次々と拡大し、9世紀には現在の規模に達したといわれている。

こうした古建築の部材の利用はエジプトではよく見られ、「あり合わせ」の資材と技術をもって、急増していくムスリムの数に対応するための空間を確保した痕跡にこそ、初期イスラム建築の面白さがあるといえる。たとえばカイロのアズハル・モスクには、不揃いの石柱を並べ、後から高さを調整した痕跡が見られる。挙げ句には、ファラオの時代の巨大石柱を彫り込んでミフラーブ(礼拝方向を示すくぼみ)にしてしまうのが彼らの感性である。

  • 不揃いな古代柱の高さ調節(アズハル・モスク)
  • ファラオの石柱をミフラーブ化する(ルクソールのモスク)

さてアムル・モスクに着いたのはまだ日の高い、午後の礼拝が始まる前だった。モスクの中には、柱に身をゆだね本を読む人、絨毯に寝転がり昼寝する老人、ひたすら走り回る子供たち。とくにこの異国の旅行者を気にする様子もなく、風通しの良いこの場所で、皆それぞれにそれぞれの昼下がりを過ごしていた。羨まずにはいられない生活の余白。中庭と礼拝室を妨げるものは何もなく、ただただ列柱空間がどこまでも続く。

  • 内も外もない昼下がり

各柱の上部にはアーチが架かり、柱頭の上に渡された細い木梁でその広がりをおさえている。アーチの上には木造の水平屋根。この柱間空間は構造の主役でもあり、同時にすべて一種の窓、開口部ともいえる。この「窓」は縦横に連続しているため、角度によってその重なりは幾通りにもなり、整然としているはずの平面は不連続でバラバラに見える。

高く閉鎖的な外壁の上部には、細かなマシュラビーヤが施された窓が開けられる。中庭からの心地よい風は、ここから熱気が出ていくことで実現しているのだろう。

  • 柱に寄りかかりコーランを読む男たち

モスク内にアザーンが響き渡ると、寝転がっていた老人はむくりと身を起こし、続々入ってくる男たちの列に加わった。祈るわけにもいかない私は、少し緊張しながら後ろで様子を見る。彼らと同じようにアーチに向かい合ってみると、礼拝空間はさっきまでの昼下がりが嘘のように緊張感で満たされる。

  • アーチに向かって、礼拝のために横一列に並ぶ人々

こうして大のおとなが横一列に並ぶ様子は、ちょっと異常に見えた。私の体験では、こんな風に並ぶのは体育の授業か、集合写真を撮るときぐらいだ。一方モスクは、この大人数で横に並ぶ習慣から、教会とはまったく別の「横長で奥行きの浅い空間」を発展させてきた(教会のアーチが奥行きを強調するため前へ前へと連続していくのとは対照的である)。

それは砂漠の遊牧民が横一列に並んで移動することに起源をもつともいわれているが、たしかに「みなで同じ方を向く」ことで他者との共通の感覚が湧いてくる。私がイスラムのモスクで感じたあこがれにも似た魅力は、何かを他者と共有しているというこの感覚に尽きる。横に連続するアーチ(窓)は7世紀の昔から、人々に直覚的に祈りの方向を指し示してきたのであろう。

  • アーチが連続する絨毯に眠る老人  

ふと彼らの足元を見ると、敷き詰められた絨毯にも小さなアーチが連続していた。まるで一人分の礼拝スペースであるかのようだ。こうして柱を結びつけるための構造から出発したアーチは、いつの間にか祈りの方向を示すアイコンとなり、絨毯にまで縫いつけられるに至った。
礼拝の時間が過ぎても眠っているじいさんは、そんな考察なんて知る由もない。彼の眠りを邪魔しないように、そっとモスクをあとにした。

 

田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。修士論文早苗賞受賞。2017年5月より台湾・宜蘭の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。

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