June 15, 2018

第20回 インド・キナウル地方「張り出しの村」(後編)

一晩で縫いあがったズボンを受け取りに、小さな村を歩いて再び家を訪ねた。お母さんは羊毛から生地を織り、それをお父さんがズボンに仕立てるらしい。『桃太郎』のおじいさん・おばあさんみたいな分業。青年は、田舎から離れて大きな街に拠点を持ち、仕立てられたズボンを売っているという。

  • 「ズボンの家」外観

「ズボンの家」は、パステルグリーンのペンキで塗られていた。標高3500mの村ではパステルカラーが流行っているらしい。巨大ではあるが、同じ窓が並んだ単純な家に見える。しかしよく見ると、すでに訪れたふたつの村の建物と同じように2階が張り出している。その張り出したテラス部分は内部化されており、外階段からここにつながる玄関扉が設えられていた。入ってみると幅1.6mほどの余裕ある廊下空間である。一方にはキナウル式に石と木を積んだ重厚な壁、そしてまた一方には軽快な木製建具が並んでいる。生活用品が置かれている他にコンロや食器棚も設置してあり、キッチンも兼ねている。

  • 「ズボンの家」 内部化した張り出し部分

さらにこの張り出しは妻面(家の短手部分)まで回り込み、部屋となっている。美しい朝の光が差し込むこの部屋で、職人はズボンをつくる。午前中の仕事が捗りそうだ。

  • 「ズボンの家」張り出し部分の仕事場

縫い上がったキナウル・ズボンを受け取り、家の実測をさせてもらった。2階には厚い壁に区切られた部屋がふたつあり、それぞれ居室と寝室になっていた。1階は倉庫と、家畜部屋と思われる部屋、張り出しの下には歴史の教科書で見たような布織機が置かれていた。お父さんとのほとんど成立しない会話の中で聞き出した築年数は40年ということであった。

  • 「ズボンの家」平面図 (上が2階、下が1階)  

キナウル地方の家々の2階が張り出している理由をあらためて考えてみると、人が2階に住んでいることが大きな要因となっているようだ。仕事ができないほど冷え込む冬のために、窓の少ない木と石を交互に積んだ壁でがっしりと囲んだ2階の部屋へのアクセスには、張り出し空間が必須なのである。そこは吹き放しのこともあるし、軽い建具で囲われて部屋のように使われることもある。すでに厚い壁で囲った洞窟のような部屋があるためこの張り出し空間は制約が少なく、装飾もここに集中した。サラハンで見た寺院の装飾はそういったものの極に位置すると考えられそうだ。

村で唯一のレストランの主人に興味深い話を聞いた。トゥクパ(チベットの麺料理)を食べながら様々な話を聞かせてくれた彼は40歳くらいで、近々出家する予定だという。「次に来たときには僕のことをババと呼ぶようになるだろうね」と言っていた。「ババ」とは修行者や僧侶の尊称だ。

ババ曰く、家畜が1階に住むのは、この地方の家畜にとっても冬は寒すぎて、建物の中に入れないと死んでしまうからだという。さらに驚いたのが、1階の部屋にいる家畜の体温が、2階の人間の住む部屋を暖めているということである。なんて合理的で切実な集住方法なのだろう。村で見たヤクは、たしかに暖かそうだった。

さらにババ曰く、木と石を交互に積む壁の工法は、木が井桁(井の字型)に組まれてとても地震に強いが、今は政府がヒマラヤ杉の伐採を制限しているのだという。コンクリート建築の増加にはこういう背景もあるようだ。

「新しいコンクリートの家は、いずれくる地震に耐えられない。50年、100年後には海辺の町は無くなっているかもしれない。政府にたよらず、自分で生き延びる方法を考えなければいけない」

  • 「ババの家」外観 (左が母屋、右が宿)

そう言う彼の家は、自分で住む母屋部分と1階レストラン、さらに増築された宿屋からなる。母屋は彼の言うようにしっかりとキナウルのつくりかたであるが、レストラン部分はレンガ、宿部分はコンクリートで、構造的には独立してつくられていた。すべてを古い工法でつくることはできないから、せめて守るべきところは守る。良い家とは、大切な部分を使い手がちゃんと知っている家だ。伝統という言葉を使わずとも、村や建築を存続させるのはババのような聡明な村人なのだろう。

  • 「ババの家」平面図 (グレーの壁が古い工法の母屋)

村を離れ、ひさしぶりに電波の届く大きな街に戻って来た。
ホテルでズボンを洗ってみると、動物の匂いがした。

 

田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。修士論文早苗賞受賞。2017年5月より台湾・宜蘭の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。