Vol.1 校舎の窓の記憶
24 Sep 2019
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大学生と高校生の約500人に「記憶に残る窓の風景」について課題を出し記述してもらう活動をおこなっている小林茂雄教授(東京都市大学)。
記憶にある窓の風景をひとつ選び、それがどこのどのような窓で、そのとき何を感じたのか──生徒にはテーマを教室のその場ではじめて伝え、何も見ずに、記憶だけを頼りに手書きで記述してもらった。
第一回は「校舎の窓」の記憶。
高校の古い校舎の窓は、キズやペンキで汚れていたため、教室からは中庭の景色が見えなかった。ある日、友達5人ほどで教室にあったバレーボールでサッカーをしていた。だんだんとエスカレートし、サッカーはドッチボールになり、僕は友達が取ると思って思い切りボールを投げた。しかしボールは友達の横を通り、時が止まったかのように教室は静かになった。窓ガラスは割れ、数日後取り換えられた。そこからの景色は最高だった。
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秋の夕暮れに高校の教室の窓から見えた風景。古い校舎の教室に、上部が丸くなった縦長の三つの窓が並んでいた。それぞれの窓からは、赤、黄、緑の違う色の景色が見えた。モミジとイチョウと何かの木だったと思う。同じ時刻に同じ方向の景色を見ているのに、三つの窓で全く異なっていた。いつも過ごしている教室なのに、不思議な体験をしているような感覚になった。
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高校3年生の頃、4階の教室で受験勉強していたとき、ふと外を見るときれいな夕焼けと富士山が見えた。学年が上がるごとに教室のある階も上がっていくので、3年生になるまで教室から富士山が見えることを知らなかった。
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私の高校は3階建てで、海のそばに位置していた。海と校舎との間にはマンションがあったので、3階の教室からは海が見えなかった。校舎の中から唯一海が見えたのは、3階と屋上をつなぐ階段の踊り場にある窓だった。ここに来るのは、部活で地階から屋上までの4層分を走るメニュー「階段ダッシュ」をするときだけだった。下から走ってのぼってきたところで、窓からきれいな海の風景が見えたのが印象的だった。しかしそれで疲れがとんだのも一瞬のことで、また走り続けなければならなかった。
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中学生のときはサッカー部で、寒くて暗い中練習していた。部活が終わって帰るときに体育館を見ると、いつも明るくて暖かそうな景色が広がっていた。高校生になったら室内競技をやろうと毎回思っていた。
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「窓の空間心理学」について
通常、窓のこちら側と向こう側には、別の明るさや空気の状況があり、違った営みがなされている。そのギャップによって、ときには時間的な経過や距離の変化に気づき、ときには向こう側をうらやましく感じたり逆に自信をもったりするなど自身の心が反映することもある。従って、自分のいる場所から他の場所を感じるという窓にまつわる行為には、物語性が形成されやすいと思われる。(「窓の空間心理学 Vol.0 窓をめぐる記憶を収集する」より)
企画・監修 小林茂雄/Shigeo Kobayashi
東京都市大学教授。1993年、東京工業大学大学院総合理工学研究科社会開発工学専攻修士課程修了。1998年、東京工業大学大学院 博士(工学)。「喫煙所における見知らぬ他者への声のかけやすさ」、「都市の街路に描かれる落書きの分布と特徴 : 渋谷駅周辺の建物シャッターに対する落書き被害から」などの論文を発表。
*ウェブサイト掲載にあたり一部テキストの編集を行っています