窓と記憶
12 Apr 2018
窓学10周年記念窓学展では、新作「Window and Ladder」を発表したアーティスト、レアンドロ・エルリッヒ氏。 窓をモチーフにした作品を数多く制作するエルリッヒ氏に、窓研究所アネックスにて窓研究所がインタビューを敢行。エルリッヒ氏の語る、窓と記憶の関係とは。
レアンドロ・エルリッヒ(以下:エルリッヒ) 実は現在、仕事で窓に関するリサーチを行っています。その意味では、すでに「窓学」を実践しています。私のやっているリサーチは2つあります。1つは、これです。
記憶についての研究です。窓はずっと何かを見続けている、いつも物事を眺めている存在だと思うのです。この窓ガラスは、この建物に設置され、同じ場所からずっと外を眺めている。私が関心を持っているコンセプトは、この窓ガラスが設置された頃からずっと持っている記憶を、いかに記録するかです。もし窓ガラスを取り外しても、それ自体に設置された場所の記憶が宿っていて、記憶を保存できるという考えです。
たとえば、リノベーションのためにある家の窓を取り替えなければならなくなって、新しい窓と交換したとする……しかし、家が建った当初から湖に面していたその古い窓には、その場所の記憶が宿っている――そのような考えが好きなんです。だから私はこの作品をつくりました。これは記憶についての作品です。もちろん、その風景にはビデオを使っていますが。モニターもまた窓ですね。
──まさに“ウィンドウズ”ですね。
エルリッヒ ええ。この窓は元あった場所から取り除かれながらも記憶を留めている、という考えです。これも同じですが、こっちは嵐についてです。
もちろん雷光も見えます。まるで窓が割れてしまう前の、最後の一瞬であるかのようです。それを見つけ、組み立て直して、窓の最後の瞬間を目にする。まるで窓にも記憶があるかのように。だから、ある意味で、私は窓そのものが文化の一部だという考え方が好きなのです。
そう考えると、記憶とはどこにあるのでしょう。脳なのか、目なのか。問題は、たいてい記憶とは脳のもので、目は単なるレンズだと見なされることです。目がレンズなら、窓もレンズであるけれども、記憶は脳や心など、どこか別の場所に宿るとされる。私は目にも、つまりガラスにも、物語が宿るという考え方をしています。
エルリッヒ たとえば、皇居のような歴史的な建物の窓を想像してみてください。取り外したその窓は、300年か、それ以上の時を重ねているかもしれない。それをここに持ってきて、その窓が実に様々な物事を目撃してきたことを知る、というわけです。
──どうすれば人びとが窓をより意識するようになるでしょうか。
エルリッヒ 人はいつも新しいもの、新しいテクノロジーを求めています。つい最近ではボタンひとつで遮光したり、光を取り入れたりできる飛行機のガラス窓があります。カーテンを使う必要はありません。昼間でも自動でガラスを遮光できたりするのはすごいことです。将来的には、家庭にもこうした窓が導入されて、カーテンも必要なくなるのではないかと思います。
──エルリッヒさんの探究は、文化としての窓への認識を高めていくものだと思います。ありがとうございました。
エルリッヒ氏が自身にとって大切な窓について語るショート・インタビュー映像
レアンドロ・エルリッヒ/Leandro Erlich
人の知覚を揺るがすような作品を通して、エルリッヒは、我々がどのように事象を捉え、空間と関わり、そして、現実を把握していくかについて探究している。知覚や認知といった問題を扱いながらも科学的実験の厳密さではなく、ユーモアとウィットに富んだねじれた空間、だまし絵のような手法によるエルリッヒの作品は、作品を体験する人同士の関係を解きほぐし、人々が共有できる場を生み出す。金沢21世紀美術館の《スイミング・プール》や越後妻有里山現代美術館の《トンネル》などの常設作品のほか、鏡などを利用して観る側を巻き込む作品で人気が高い。近年、日本だけでなく台湾・韓国などアジア地域で広く活躍している。