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連載 窓からのぞくアジアの旅

第14回 東チベット・色達 「赤いスリバチ」(前編)

田熊隆樹

01 Nov 2017

中国四川省の省都、成都からバスに乗り込み、東チベットへ向かった。四川省西部、ガンゼ・チベット自治州の色達(セルタ)にある、チベット仏教ニンマ派の僧院「色达喇荣寺五明佛学院(ラルン・ガル・ゴンパ)」を目指す。

  • 通行止めに遭いつつ山道を進む

山崩れによる通行止めに遭いつつ、17時間かけてなんとか標高4000mほどの地点へ着いたのは深夜であった。雨が降ったのか、ぬかるんだドロドロの道を重い荷物と共に歩く。同じバスに乗る巡礼に来たチベット人家族たちと味のしない麺を食べて、小さなバスに乗り換え宿へ向かう。真っ暗な道のりの中、無数の窓の明かりが浮かんでいる。一つひとつの家は小さいが、かなりの密度であるようだ。しかしこの町の全貌を知るには、翌日の朝まで待たなければならなかった。

宿はバスを降りた地点からかなり高い場所に位置していた。大きな行事があるらしく、他所から来たチベット人がたくさんいた。僧侶たちはみな、あずき色の袈裟を着ている。予約せずに行った僕は、一時的に屋上に増設された大量の二段ベッドの中のひとつで眠ることになった。

朝5時頃、誰かのうなされる声で起こされた僕は、便所に行くために外へ出た。明るくなり始めた町に、お経が延々と響いていた。高山病による頭痛も相まって、どことなくぞっとするような光景であった。暗闇の中で想像していた町が、だんだんと姿を現し始める。ひどい頭痛のためもう一眠りし、朝8時頃に町を歩き始めた。

眼下には真っ赤な景色が広がっていた。

  • ラルン・ガル・ゴンパ全景

高地の中のスリバチ状の土地に、赤く塗られた小さな家が無数にへばりついている。中央にある大きな建物が僧院で、それを僧侶の家が取り囲んでいる。

驚くべきことに、ここは1980年頃に、ある僧侶が僧院を開いたことからはじまった宗教都市なのだ。つまり、まだ人が住み始めてから40年も経過していないことになる。住人はすべて僧侶で、修行のためにここに住んでいる。彼らは、自分たちで建てたであろう小さな家に暮らしている。まるでくぼみにできた水たまりのように集落が広がっている。

このスリバチの外側にはほとんど建物がなく、高地のなだらかな山が続いている。明らかにここだけが、人間によってつくられた特異な場所なのだ。

スリバチの底にあたる部分に、他所とつながる道が走っているのが見えた。昨日バスを乗り換えた場所の地面のぬかるみは、このスリバチの形状が関係していたのだ。

  • 斜面から生えるような僧侶たちの家

家々は斜面から水平に生えるようにつくられ、壁も屋根も赤く塗られている。周囲の自然には見られない、この赤と緑のコントラストが、異世界をつくり上げている。

スリバチのへりにあたる部分には寺院の塔が建っており、人々が集まっていた。そこでは五体投地(体を地面に投げ出すチベットの祈り方)をする人も見られた。

  • 人々が集まる塔

塔の周りにはマニ車と呼ばれる、チベットの礼拝には欠かせない仏具が並んで設えられている。このマニ車を回すと、お経を1回読むことになるのだという。これらを回しながら、時計回りにぐるぐると歩くのがチベットの礼拝の基本である。

  • マニ車を回しながら歩くチベットの人たち

ときには人の背丈の何倍もある巨大なマニ車を見ることもできる。人々は次々と、この大きな流れの中に吸い込まれてゆく。

こうして観察している間も、町には延々とお経が流れている。この、「町が鳴っている」という感覚は、外来者の僕には少しおそろしいものだったが、とにかくその中心に行ってみることにした。(後編に続く)

 

 

田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。修士論文早苗賞受賞。2017年5月より台湾・宜蘭の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。

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