WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載窓からのぞく現代台湾

第10回 波打つ学校
陳仁和《三信家商波浪大樓》(高雄)編

田熊隆樹 (Fieldoffice Architects)

10 Jan 2024

Keywords
Architecture
Columns
Taiwan

戦後台湾建築家の第一世代といえば、ヴァルター・グロピウスに師事し、台北の《国父紀念館》など国家的プロジェクトも多く手がけた王大閎(Wang Da-Hong)などが有名であるが、そもそも日本では台湾の近代建築家はあまり知られていないかもしれない。今回は、その「第一世代」の中でもさらに知られていないであろう陳仁和(Chen Ren-He)という建築家の作品を紹介したい。台湾では近年彼の資料がアーカイブされ、多くの人の知るところとなった。僕が彼に親しみを抱いたのは、彼が1945年に早稲田大学の建築学科を卒業したと知ったからだった。僕の遠い先輩だ。さらに「第一世代」の多くが中国大陸出身のなか、陳は台湾南部の田舎出身であり、台北ではなく南部の高雄や屏東で淡々と作品をつくり続けたということにも興味をもった。彼の作品を一度見てみようと、新幹線に乗ってぐるりと南部まで出かけた。

高雄には彼が1955年に設計し、台湾建築界で注目されるきっかけになった《高雄佛教堂》がある。車通りの多い道路沿いに、国籍のよくわからない奇妙な建築が、周囲とは違う世界に生きている感じで立っていた。

 

中に入ると佛教堂の雰囲気はあまりなく、むしろ西洋の教会に似たものを感じる。2階には教会のクリアストーリーのような高窓があけられ、左右手前に回廊が巡っている。バロック風の楕円アーチからは台湾の道教の寺でよく見られる照明がぶら下がり、空間全体で様々な地域の建築言語が自由に混ざり合っている。だが、それぞれの言語は独立した装飾のようにも感じた。
窓はほとんど安価なアルミサッシだったが、階段室の見えない窓から降り注ぐ光と、はみ出す螺旋階段、カラフルな研ぎ出し壁の関係は印象的だった。

 

  • 階段室から降り注ぐ光、はみ出す螺旋階段

次に訪れた屏東にある《東港天主堂》は、陳仁和が西ドイツの建築家と共同して1960年に完成させたカトリック教会で、大きな三角屋根が特徴的だ。今でも現役だから改変されているところも多いが、その強烈なかたちは街中で異彩を放っていた。

内部は大空間で、祭壇後ろの縦長窓から入る緑とオレンジの光が暖かい。簡素なつくりで、豪奢な材料を使っているわけではない。屋根の勾配に沿って配置された正方形の窓も簡素だが、この建築の上昇感を強調している。先の《高雄佛教堂》と比較すると、建物全体のかたちと窓の配置は、より直接的に関係していると言えよう。

そもそも戦後台湾は1987年まで戒厳令下にあったし、当時の経済状況を考えると、彼のような在野の建築家が手がける作品は予算の少ないものが多かった。窓ひとつとっても、それ自体にコストをかけてつくるというより、その配置を工夫したという感じが伝わってくる。床も台湾で一般的な人造石研ぎ出しとなっており、教会に並ぶベンチも鉄パイプと木の板でできたシンプルなものである。その親しみやすさは、陳仁和が「台湾初の地域主義の建築家」と言われる所以だろう。ヨーロッパから来た神父が住む隣の棟には、街でよく見る花ブロックが積まれ、南部の力強い日差しを調整していた。

さて、陳仁和の作品で最も衝撃を受けたのは、高雄にある《三信家商波浪大樓》である。「波浪」は波、「大樓」はビルという意味であるから、「波打つビル」という名前だ。ここは商業高校だが、訪れた日は休みでほとんど人がいなかった。一般的に台湾の学校は開放されていることが多く、ここでも幸運なことに敷地に入ることができた。中庭から目当ての建物を見つける。その姿はかなり感動的であった。

高い椰子の木の並ぶ後ろで、4階建ての学校の外廊下全体が、波打っている。亜熱帯気候の台湾の学校では「外廊下」は必須の空間であるが(ちなみに台湾の青春映画はどれもこの外廊下が効果的に使われていて、台湾人の青春に必須の空間だとも言えそうだ)、ここではそれを根本的に「揺らして」しまっている。どこまでも水平な芝生のグラウンドも、それを強調している。

  • 《三信家商波浪大樓》(1963)の中庭側正面

西日から守るために2.7m張り出した波打つスラブは、近づいて見るとかなり薄く(図面では8cm厚とある)、スラブを支える小梁はさらに飛び出ている。それは丹下健三の《香川県庁舎》(1958)のようにRC造ながら木造建築を思わせ、この建築が1963年に完成したことを考えると、戦後日本建築との同時代性を感じることもできる。ただこちらは端正な木造建築というより、何百年も経って歪んでしまった中国の木造建築のような趣がある。

驚くのは、立面だけでなく内部空間も波打っているということだ。中に入れなかったのが悔しいが、図面を確認すると内部は高さ5cm、奥行き90cm×7段の階段教室になっていて、後ろの席の視線の問題を解決しているらしい。だから隣の教室とは背中合わせに連なっていることになる。この学校の生徒たちは自分の教室を番号ではなく、「端から2つ波を超えたところ」などと身体的に記憶しているのかもしれない。

 

  • 池の水によってスラブに反射する光

欄干かと思っていたものはコンクリート製のベンチで、それらも一緒になって波打ちに参加している。ここに大勢の学生が座っている光景を見てみたかった。廊下に落ちる影も波打ち、どこまでも揺れている感覚。そしてそれは窓についても言える。窓には四角いアルミサッシが使われ、それがスラブと一緒に上下しているだけで、立面だけでなく教室内にもリズムを与え、大きな動きの中で授業をしているような感じを受けるだろう。

だが、実は陳仁和の書いた立面図や施工後の写真を見ると、元々はスラブの動きに沿った平行四辺形の窓で、それも各階の上部120cmほどの位置にしか開けられていなかったことがわかる(断面図参照)。彼はこの張り出し外廊下および上部に開けた開口部で、西日を防ぐ工夫をしていたに違いない。しかし60年の時間が経つなかで改修は避けられず、原設計とは違う現在の大きな窓に変えられた。台湾の学校では風紀上「廊下から教室が見える」ことが求められるらしく、そういった国の教育環境も影響しているのかもしれない。この改修では四角い窓に変えられたものの、「波」全体との関係は保てていると言えるだろう。

  • 波打つスラブ断面図と原設計の窓

かつてイランの古い集落を見て、構造体と窓の時間軸がずれていくことを考察したが(窓からのぞくアジアの旅「イラン・マースーレ編」)、保存され延命する近代建築においても同じことが言えるのかもしれない。「窓のずれ」は、その建築の経てきた時間や社会を静かに語っているのだ。

この建物が陳仁和の最も有名な作品であるのは、構造全体と機能、そして窓などの部分が不可分で、改修を重ねてもなお、一緒になって「揺れている」、その建築の強さに、彼のひとつの到達点を見るからなのかもしれない。

田熊隆樹/Ryuki Taguma

1992年東京生まれ。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。大学院休学中に中国からイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する(エッセイ「窓からのぞくアジアの旅」として窓研究所ウェブサイトで連載)。2017年より台湾・宜蘭(イーラン)の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。2018年ユニオン造形文化財団在外研修、2019年文化庁新進芸術家海外研修制度採用。一年の半分以上が雨の宜蘭を中心に、公園や文化施設、駐車場やバスターミナルなど様々な公共建築を設計する。

RELATED ARTICLES

NEW ARTICLES