WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 藤森照信の「百窓」

藤森照信|第四回 
旧グラバー住宅の〈フランス窓〉
インドから日本へとたどり着いた窓

藤森照信(建築史家・建築家)

10 Nov 2022

Keywords
Architecture
Essays
History
Japan

古今東西の建築を見て回った建築史家の藤森照信氏が、日本全国の歴史的建築から、よりすぐりの魅力をもった「窓」を1件ずつ紹介するシリーズ企画。四回目に取り上げるのは旧グラバー住宅の〈フランス窓〉です。フランス窓は、床から天井まで達する両開きの窓のこと。スコットランド人の事業家、トーマス・B・グラバーが長崎の居留地で1863年に建てた居宅には、この形式の窓が設けられています。現存する日本最古の洋風木造建築に、どうしてフランス窓が採用されたのでしょうか。その謎に迫ります。

 

 

壁の一部に穴をあけて板やガラスで蓋をした作りをウィンドウ(窓)というなら、日本の伝統建築にウィンドウは、わずかな例外を除いてなかった。なぜなら、伝統的な建築はすべて木造であり、柱を立てて梁を架ければそれで建築の構造体は出来上がるから、ヨーロッパなどのように石や煉瓦を積んで壁を作る必要はなかったからだ。壁がなければ窓は生まれない。日本列島の人々は数千年間、柱と梁でできた骨組みに板をあてがって塞ぎ、それを開けたり閉めたりして、風雨を凌いできた。

ところがおよそ160年前、日本列島にウィンドウが上陸する。

アメリカ・イギリス・ロシアなど欧米列強が鎖国中の日本に開国を迫り、日本国内は鎖国派と開国派が入り交じって小さな内戦をし、開国派が勝利を収め、江戸幕府に替わって明治の新政府が成立するが、その短い内戦の時期に、二つのビルディングタイプの中にウィンドウがもたらされている。

一つは、開国派と鎖国派の両方が、欧米列強の侵略を阻止すべく造った洋式工場である。鎖国派の幕府も開国派の薩摩藩も、といっても両派とも鎖国と開国の間で揺れるのだが、侵略を防ぐには欧米式の兵器生産が不可欠との共通認識をもち、幕府は、鎖国中の唯一の欧米交易国であったオランダに託し、オランダ海軍の直接指導の下、〈長崎製鉄所〉(軍艦製造を主とした総合機械工場)を建設する(1861年)。対抗する開国派(当初鎖国派だが開国派に転ずる)の薩摩は、イギリス勢に託し、大砲を主目的とする総合機械工場としての〈集成館〉を建設する(1865年)。

  • 旧グラバー住宅の全景

両工場とも石造の洋式工場であり、当然、日本初のウィンドウが作られていた。

もう一つのビルディングタイプは、工場とは真逆の性格で、鎖国派と開国派の内戦中に幕府がシブシブ開いた長崎などの貿易港にやってきた欧米の武器商人などが住む洋風住宅で、当然そこにも日本初のウィンドウが作られている。

日本に上陸した窓は、洋式工場と洋風住宅ではまるで違い、洋式工場のほうは壁の中ほどの位置に開かれる普通の窓形式だったのに、洋風住宅はヨーロッパでも珍しい形式をとっていた。

具体的にいうと、窓が壁の途中で止まらず床のレヴェルまで届いていたばかりか、ガラス窓の外側にはこれも珍しい板製の鎧戸が取り付けられていた。

  • 応接室前のヴェランダ

この珍しい形式を“フランス窓”といい、パリのアパルトマンの二階以上でよく見かける。窓が床レヴェルまで開いていると人や物が窓外に落下する恐れがあるから、窓の外側に小さなテラスを張り出す。フランス以外のヨーロッパでは例外的にしか見かけない。

珍しいフランス窓はどこが起源なんだろうか。この答えはフランス窓の二つの珍しい作りが教えてくれるよう。

まず床まで届く窓とその外側のバルコニーが、起源においては室内の床が外側まで連続的に続いていたことを示す。次に、外側の鎧戸は、強い日差しを防ぎ、かつ、夜、内側のガラスを開けても、外から中をうかがうことはできないが風はよく通ることを示す。

この二つを合わせると、床を内外連続して使う暑い地方が起源、との答えが導かれる。

そう、欧米列強が進出した暑いアジアで成立した住宅スタイルなのである。
場所は、インドのべンガル地方で、時期は18世紀初頭と目され、バンガローと呼ばれるが、ここでは“ヴェランダ・コロニアル様式”と呼ぶ。

  • 勉強室のフランス窓(閉じた状態)

ここに一つの謎がある。欧米のアジア進出は16世紀には本格化する大航海時代に始まっているのに、なぜヴェランダ・コロニアルの出現は、19世紀初頭まで遅れるのか。これには産業革命が関係し、18世紀末の産業革命によって蒸気機関で高速で進む鉄製の“黒船”が可能になるまで、インドに進出した貿易商人たちは、枕を高くして眠ることはできなかったからだ。敵は二つ。一つは侵略者を襲う現地の勢力と日中の暑さで弱った体を刺すマラリア蚊。

イギリス人居留地の沖に停泊する黒船からただちに砲撃することによって現地勢力の攻撃はなくなり、住いを開放的にすることが可能になり、現地の人の伝統にならい、開放的なヴェランダが生まれる。暑い日中は風の通る広いヴェランダの日陰で食事をとったり、ゲームに興じたり、新聞を読んだり、とりわけ昼寝をして体力の消耗を防ぐ。また夜は夜で、鎧戸を閉めて通風のいい室内で蚊帳を吊って眠れば、マラリア蚊も大丈夫。

冷房技術のなかった時代、暑さを防ぐには、通風と日陰の二つしか対策はなく、かくしてヴェランダ・コロニアルはインドで生まれ、すぐ世界の植民地に広まり、日本へは東南アジア、中国を経て、長崎などの外国人居留地に上陸した。

  • 応接室の西側に突き出した多角形部のフランス窓
  • 応接室の南側のフランス窓
  • 応接室フランス窓の蝶番。右端の金物を日本では“フランス落とし”と呼ぶ

長崎に残るヴェランダ・コロニアルの代表作〈旧グラバー住宅〉(1863年)を訪れてみよう。日本での代表作というだけでなく、世界の旧植民地に作られた大量のヴェランダ・コロニアルの中でも最高の質を誇る、といってもかまわない。理由は、その独特の平面にあり、ほとんどのヴェランダ・コロニアルが長方形や正方形をとる中で、なんとクローバー形を見せてくれるのだ。クローバー形は、単調なヴェランダに変化の妙を付与し、欧米の植民者がアジアに託した南方への夢、すなわち自然に向かって軽やかに開かれながら夏は涼しく冬は暖かい空間への夢を実体化することに成功している。

旧グラバー住宅のヴェランダにテーブルや寝椅子を出し、海風に当たりながら眼下の長崎の海を眺めて、内戦の中で富を得ることに成功したスコットランド出身の武器商人トーマス・グラバーは、“よくぞ地球の反対側まで無事たどり着いたものヨ”、と自分の幸運をかみしめていたにちがいない。

平面だけでなく作りも効いて、まず構造が木造ゆえの軽さがあり、次に木を細かく斜めに組んだ“菱組”の通風と視覚上の快さが一つになって建築全体に軽快さをもたらす。

そして、大きく口を開ける鎧戸付きのフランス窓を開けると、内と外は一体化し、軽快さは、全空間に及び、夏は涼しく、冬は暖かい日々が可能になる。

  • 応接室内部からガラス越しに対岸の長崎造船所が見える
  • 応接室のフランス窓(南側)を内側から見る
  • 応接室の内観

かくして日本に上陸したヴェランダとフランス窓であったが、現在の日本の住宅で見かけることはほとんどない。
その後をたどると、一つの窓の形式の成立と普及と消滅の歴史を知ることができる。

ヴェランダとフランス窓は、幕末の長崎に欧米人用に入った後、日本の各地に伝わり、さらに本格的なヨーロッパ建築を作るために来日したイギリス人建築家コンドルも生涯好んで使い、コンドルに育てられた日本人建築家も当初は使ったが、やがて止める。

理由の一つは、日本の気候に由来し、広いヴェランダが冬の陽射しが室内に入るのを妨げること、また、二階建ての場合、冬の雪や夏の雨による水分がヴェランダの木部を腐らせること。

もう一つ大きな理由がある。辰野金吾はじめコンドルに育てられた日本の建築家たちが、コンドルの元を離れてヨーロッパに留学してみると、ヴェランダ付きの住宅などヴェニスなど一部を除いてどこにもないではないか。ヴェランダはコンドル先生の東方趣味の産物だったことを知る。

かくしてヴェランダも、ヴェランダゆえに可能であったフランス窓も終わり、今に至る。

 

 

建築概要

旧グラバー住宅 きゅうぐらばーじゅうたく

設計者:不詳
所在地:長崎市南山手町8-1(グラバー園内)
竣工:1863年(文久3年)

西洋の近代技術を日本に紹介し、小菅修船場や高島炭鉱の開設にも力を尽くしたスコットランド人実業家、トーマス・ブレーク・グラバーが自宅兼ゲストハウスとした邸宅。その後は息子の倉場富三郎が居住した。現存する日本最古の洋風木造建築で、国指定の重要文化財。世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成要素にもなっている。

藤森照信/Terunobu Fujimori

1946年、長野県生まれ。東京大学大学院博士課程修了。東京大学生産技術研究所教授、工学院大学教授を経て、現在は、東京大学名誉教授、工学院大学特任教授、江戸東京博物館館長。45歳より設計を始め今に至る。近著に『磯崎新と藤森照信の茶席建築談義』(六耀社)、『近代日本の洋風建築 開化篇・栄華篇』(筑摩書房)等、建築史・建築探偵・建築設計活動関係の著書多数。近作に〈草屋根〉〈銅屋根〉(近江八幡市、たねや総合販売場・本社屋)等、史料館・美術館・住宅・茶室など建築作品多数。

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