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塚本由晴 × 田熊隆樹 対談「旅と窓」(場所:新建築書店)

塚本由晴(建築家)×田熊隆樹(建築家)

4 MAR, 2024

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2022年に「旅と窓」にまつわる二つの本、『WindowScape[北欧編]名建築にみる窓のふるまい』(東京工業大学 塚本由晴研究室編、フィルムアート社、2022年)、『アジア「窓」紀行: 上海からエルサレムまで』(田熊隆樹著、草思社、2022年)が刊行され、2024年3月4日(月)に新建築書店にてそれぞれの著者によるトークイベントが開催された。建築家・塚本由晴氏は人やものの「ふるまい」(Behavior)をテーマに世界中の建築や公共の場をリサーチしてきた。建築家・田熊隆樹氏は大学院休学中に中国からイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅をした(窓研究所WEBサイト「窓からのぞくアジアの旅」にて連載)。異なる国々へ旅をした二人の著者が、その経験から得られた建築への視点を語り合う。

  • 『WindowScape[北欧編]名建築にみる窓のふるまい』写真:大町晃平

北欧の建築家にみる窓のふるまい学

窓が道に沿って反復する姿はその場所の景色となり、違う場所に行けば違う反復がある。窓は街なみや都市空間の本質ともいえる。光、風、熱、湿気、緑という誰もが利用できる自然の要素と、生産体制や工房のクラフトマンシップ、地域性、宗教、社会規範といった人のふるまいのあり方を、窓をみれば同時に捉えることができる。そして窓は最も工業化されやすい存在でもある。開閉性のために高い精度が必要とされ、気候対策や日照の取り込みといった問題に対応すべく、工業的な生産が求められるようになる。産業革命以降、建築が人や自然の事物連関(民族誌的連関)から産業社会的連関に置き換えられるなかで、窓はその矢面に立たされてきた。

『WindowScape』はこうした窓のふるまいを、東京工業大学塚本由晴研究室で分析したシリーズであり、4冊目では北欧の建築家を取り上げている。フィンランドのアルヴァ・アアルト。スウェーデンのグンナール・アスプルンドとシーグルド・レヴェレンツ。デンマークのカイ・フィスカーとアルネ・ヤコブセン、ヨーン・ウッツォン。民族誌的連関と産業社会的連関の移行期に、北欧の建築家は民族誌的な質を捨てきれずにいた。

  • 『アジア「窓」紀行──上海からエルサレムまで』写真:大町晃平

ずれる窓、二つの家

『アジア「窓」紀行──上海からエルサレムまで』(草思社)は田熊隆樹が2015〜16年にかけて旅したアジアの国々の18カ所の地域の記録である。たどり着いた場所を歩き出会った18の家と人、食べたもの、移動の過程が描かれている。

まずは景色を構成する窓のあり方を、複数の地域で捉える。中国四川省チベット自治州の宗教都市ラルン・ガル・ゴンパは、すり鉢状の地形の中に約40年前に作られた新しい都市であり、学校や寺院、僧侶、斜面を利用してへばりつくように赤い色の家が建つ。石壁と丸太小屋で作られた簡素な家のなかで、窓はアルミサッシの既製品が使われており、工業化なしには成立しない都市であることがわかる。対照的なのがイランの西側、マースーレという村の窓。2000年ともいわれる古い歴史を持つ山岳集落の家には唐破風のような装飾の窓、マシュラビーヤという格子窓や色ガラスが嵌められた窓、窪みだけの窓、と多様な種類の窓が並ぶ。家の構造に対して窓は壊れやすく交換が早いため、それぞれの窓は明らかに作られた時代が異なっている。家の構造体と窓の時間軸が少しずつずれていき、バラバラな景色が作り出される。

そして旅のなかで見えてくるのが「二つの家」という概念である。新疆ウイグル自治区の集落トルファンは、夏は40℃、冬はマイナス10℃にもなる厳しい気候をもつ。家の敷地には、日干しレンガ造の堅牢な家と半外部空間がある。暗いレンガ造の家は冬の居場所となる。半外部空間には大きなベッドがあり、暑い夏は昼も夜も家族みんながここで過ごす。暗く暖かい冬の家と明るく開放的な夏の家を併置し、住む人が家を移動することで厳しい寒暖差を乗り越えて暮らす。また北インドの山岳地帯キナウル地方の家は、石とヒマラヤスギを交互に積んだコアと、上部の張り出し部分で構成されている。コアの部屋は窓がないため暗く、一階部分に家畜を入れその熱で家が暖まる。張り出し部分には大きな窓がはめられ、日の光のもとで仕事をする。ここにも二つの空間の並存がみてとれる。アジアや中東では場所を超えて、二つの家を同時にもつという知恵が共有されている。

 

塚本由晴(以下:塚本) 田熊さんの旅は、目的合理で動くのではなく、ある種偶然性に任せているところがあります。こうした時間的な自由が『アジア「窓」紀行』の文体や行間に立ち上がっているのがいいなと思いました。また非実証主義的な筆致が多く、経験を言葉にしていくところに力強さがある。これは建築家の旅の仕方や物の書き方の一つの特徴だと思うんですね。

 

田熊隆樹(以下:田熊) ありがとうございます。交通や言語が制限するなかで訪れた民家について、手元にある自分の経験から何が言えるのかを引き出すしかない、という意識はずっとありました。『WindowScape[北欧編]』には、薪を燃やして明かりを得る窓や、結露水を溜めないような心地良い窓をもつフィンランドの民家が出てきます。アアルトはこの民家を模範的なあり方だと評価しました。北欧の冬は暗く寒いので、窓まわりの弱点をなるべくなくして、家全体を過ごしやすい「一つの家」にしているのではないかと思いました。今建築は高機密・高断熱が謳われていますが、これも一つの家に近い方向性だと思います。技術的な面の差も影響していると思いますが、僕が見てきたアジアや中東の「二つの家」と対照的ですよね。

  • フィンランド・ニエメラの農家の居間(1786) 写真:東京工業大学 塚本由晴研究室

塚本 そうですね。北欧は冬が暗くて長いので、リビングルームがすごく大きい。北欧に特有の洗練された家具や照明のデザインも、暗く長い冬をどうやって楽しく過ごすかということと結びついているはずです。だからアアルトの建築は公共建築であっても、どこまでもリビングルームが大きくなったような印象です。住宅の設計から公共建築の設計へと規模が発展しても揺るがない一貫性をもつ姿勢には勇気づけられます。

 

田熊 それは今の北欧の人が住む家や、現代建築家にも引き継がれているんでしょうか。

 

塚本 現代の北欧ではビャルケ・インゲルスが代表的ですが、どこかギラギラとしています。私は北欧の建築がもつ静寂さやメランコリックなところが好きなのですが、現代の建築にはその面影が少ない。ヨーン・ウッツォンの事務所出身の建築家リーセ・ユールさんとそんな話をしたのですが、彼女も同様の問題意識を持っていて、『a+u』2017年7月号に「メランコリーが地域固有の空間をつくる」という文章を書いています。

西欧の建築家が産業革命のヘゲモニーをとり覇権主義的に全世界へと広げようとしていたとき、北欧の建築家はどうも二の足を踏んだところがある。1930年に開催されたストックホルム博覧会で主任建築家を務めたグンナール・アスプルンドは、驚くほど軽やかで透明なモダニズム建築群を水辺に作っています。ところがアスプルンドは「イェーテボリの裁判所増築」(1937)で旧裁判所のファサードを尊重した増築案を提案しました。それもコンペに勝ってから20年以上も時間をかけて少しずつ変更しながら完成させた。積極的に工業化やユニット化を取り入れていたアスプルンドですが、建築の新時代を切り拓かんとするヘゲモニー争いとは明らかに違う態度がそこにはあります。また、アルネ・ヤコブセンは「イブストラップパークンⅠ」(1942)という集合住宅で、コペンハーゲンの集合住宅の原型のようなレンガ組積造と切妻屋根の長屋形式を用いながら、出っ張るような白い箱のボリュームに大きな窓を取り付けたリビングルームを作っています。そしてウッツォンは自身の別荘「キャン・リス」(1973)の設計で、敷地であるマヨルカ島の農業倉庫のライムストーンに興味を持ち、ライムストーンとプレキャストのコンクリートまぐさと大きなはめ殺し窓を用いて、開放的なロッジアを作っています。

彼らに共通しているのは昨日と決別しようとすることでもなく、近代を全否定して古い様式をなぞるわけでもない姿勢です。民族史的連関と産業社会的連関の衝突を創造のエネルギーに変えているのです。民族誌的連関のなかに新しい素材を足して現代建築を作り出しているのは本当に鮮やかでかっこいいと思います。

 

田熊 北欧の古い民家を見ているとやはり暗いんですよね。それが近代の到来とともに明るさと開放に向かっていった歴史があったのだろうと思います。シーグルド・レヴェレンツが顕著ですが、スウェーデンの建築家は枠のない窓を作っていますよね。ここに原始的な「穴」のようなものを感じました。

 

塚本 枠ナシについては構造用シールの開発が大きいでしょうね。篠原一男は「東玉川コンプレックス」(1982)で、レヴェレンツと同じようにコンクリートとガラスが同じ面で収まる窓を作りました。工業的な技術を果敢に取り入れて今までの窓枠のあり方を脱却しようとしていますが、これは、媒介物をなくしたいという意識の表れだと思います。彫刻を台座から外して床に直接置く、あるいは絵画を額縁から外して展示するようになったことも同様で、この意識はあらゆる芸術表現の歴史にも表れています。媒介物は予定調和な世界を用意し、ある種の様式を生んでしまう。これが、事物がなんの脈絡もなくぶつかり合うという現代のリアリティからずれてきたんですね。

田熊 なるほど。僕が見た台湾の原住民の家は、正面に2~5センチ厚のスレート(粘板岩)の板を突き立てている様式なんですが、スレート板のいわば隙間だけが窓になっていてとても暗いんです。ここには窓に媒介物はない。近代以降の媒介物をなくすことが、偶然なのかこうした原始的な家と繋がってくるのがおもしろい。

  • 台湾の原住民の家の建具のない窓。上部はスレートを嵌め込む軒桁の溝 写真:田熊隆樹

塚本 そうですね。一方で、最近私は部材が個別に主張する建築もいいなと思っています。モダニズム建築には、全体性が強くあり、部分は全体に従うという統制的な姿勢がある。それゆえに、その全体性以外には、材料の色や目地の表現などしか残らない。それに対し、柱や梁に彫刻が施されているような、部材が主張する建築に興味があるんですよ。

 

田熊 ラルン・ガル・ゴンパをはじめ、チベット地域の民家はまさにそうです。余白が見えるのを恐れるように装飾がある。

  • ラルン・ガル・ゴンパ全景 写真:田熊隆樹

塚本 建築全体を統制するモダニズムの体系とは別に、象徴的な造形物を位置づけていく宗教的な体系がありますよね。今井兼次という建築家がそうした造形のある建築を作っていました。長崎県にある「日本二十六聖人記念館」(1962)では、ドアノブから手すりまで何かしらの装飾がある。それらはモダニズム的全体からの統制とは無関係にごろごろと存在しつつ聖書のエピソードによってゆるやかに関係づけられている。今井は彫刻家でもあり、現場の職人たちとともに陶片や窯片を組み合わせた「フェニックス・モザイク」を作りました。京都から長崎へ追放された日本における初のキリスト教殉教者である二十六聖人が九州で歩いた道の窯をすべて訪れて窯片陶片を採集したそうです。建築物そのものから建設の過程まで殺気立った迫力が滲み出ており、本当に衝撃を受けました。まさに空間としてではなく存在として建築がある。建築という空間に包まれるのではなく建築と一緒に存在している。こうした存在論的な建築には、空間論にはない豊かな世界があります。

 

田熊 今僕は茨城県にある築65年ほどの民家に住みながら、少しずつ改修を進めているのですが、途中から全体性を作って計画をしようとするのをやめました。たとえば必要な光を入れるべく手を入れると、それによって変化する部分がまた出てきて、といった具合にその都度考えながら作っていく。今のお話を伺いながら、これも存在論的な試みなのではないかと思いました。

 

 

 

塚本由晴/Yoshiharu Tsukamoto
建築家。1965年神奈川県生まれ。1987年東京工業大学工学部建築学科卒業、1987〜88年パリ・ベルビル建築大学、1994年東京工業大学大学院博士課程修了。1992年貝島桃代とアトリエ・ワン共同設立。2003、2007、2015年ハーバード大学大学院客員教授、2007〜08年UCLA客員准教授、2011年The Royal Danish Academy of Fine Arts客員教授、Barcelona Institute of Architecture客員教授、2013年コーネル大学visiting critic、2015年デルフト工科大学客員教授、2017年コロンビア大学客員教授など歴任。2021年ウルフ賞受賞。現在、東京工業大学大学院教授。

 

田熊隆樹/Ryuki Taguma
建築家。1992年東京生まれ。2017年早稲田大学大学院修士課程卒業。大学院休学中に中国からイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017-2023年まで台湾・宜蘭イーランの田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて、公園や美術館、駐車場やバスターミナルなど大小の公共建築を設計する。2018年ユニオン造形文化財団在外研修、2019年文化庁新進芸術家海外研修制度採用。

 

 

トークイベント「旅と窓」開催概要

日時:3月4日(月)19:00~20:30 
場所:新建築書店|POST Architecture Books(東京都港区南青山2-19-14)
登壇者:塚本由晴、田熊隆樹
主催:新建築書店株式会社、公益財団法人窓研究所
参加費:無料

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