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千街晶之|覗く者と覗かれる者
ミステリにおける窓の役割

千街晶之(ミステリ評論家)

19 Aug 2020

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深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ──とは哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉ですが、ミステリ小説に描かれてきた「窓」もまた、ゾクゾクとするような二面性を持っているようです。博覧強記のミステリ評論家・千街晶之さんによる古今東西の作品の解説から、「窓」に秘められた面白さが見えてきます。

ミステリ小説に登場する密室トリックは、(もちろん例外はあるにせよ)大抵は扉か窓のいずれかに何らかの仕掛けがあるものと相場が決まっている。エドガー・アラン・ポーが1841年に発表し、今では世界最初のミステリ小説と位置づけられている「モルグ街の殺人」(『モルグ街の殺人・黄金虫』所収、新潮文庫)からしてそうなのだから、ミステリと窓との関わりはジャンルの始まりの時点で既に密接なものだったという見方も可能だろう。しかし、ミステリにおいて窓が果たす役割は、決して密室トリックに限定されているわけではない。

家であれ部屋であれ、人間が外部からプライヴァシーや安全を守るためのものだが、そこにぽっかりと空いた窓は、文字通りセキュリティホールになりかねない危険性を持つ。現代建築においては、窓というものは大抵素通しのガラスが嵌まっているのだからなおさらだ。透明で外から覗かれやすく、しかも割れやすいガラスが嵌まった窓は、室内にいる者にそこはかとない不安を感じさせる。

それを反映しているのが、アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズに頻出する「窓から覗く顔」というモチーフだ。たとえば、『四つの署名』(新潮文庫)でジョン・ショルトー少佐を恐怖のあまり死に追いやった、窓から覗き込む髭面の男の顔。「黄いろい顔」(『シャーロック・ホームズの思い出』所収、新潮文庫)の依頼人グラント・マンローが別荘の二階の窓から見下ろしているのを目撃した、死人のような顔色の不気味な顔。「ウィステリア荘」(『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』所収、新潮文庫)でウォルターズ巡査を脅かした、窓の向こうの「黒でもなければ白でもないし、なんだか得体のしれない色」(延原謙・訳)の男の巨大な顔。そして「白面の兵士」(『シャーロック・ホームズの事件簿』所収、新潮文庫)の依頼人ジェームズ・M・ドッドが戦友ゴドフリー・エムズオースの屋敷で目撃した、窓から覗く幽霊のように白いゴドフリーの顔……と、枚挙にいとまがないくらい、コナン・ドイル作品では窓の向こう側に不気味なものが潜んでいることが多い。

一度は悪の天才モリアーティ教授との対決で退場したシャーロック・ホームズの復活篇「空家の冒険」(『シャーロック・ホームズの帰還』所収、新潮文庫)では、窓から来る脅威をホームズが逆手にとってみせる。復讐に燃えるモリアーティの部下を、ホームズはベーカー街の自室の窓近くにある仕掛けを施すことで罠にはめるのだ。数々の事件において、窓の向こうの闇に潜む恐怖と対決してきたホームズだからこそ、それへの対処法も知り尽くしているわけである。

こうした「窓から覗く顔」のモチーフを継承しつつ、それをトリックに用いたのがアガサ・クリスティーの『メソポタミヤの殺人』(早川書房クリスティー文庫)である。イラクを訪れた考古学者の妻ルイーズ・レイドナーは、夜になると窓から覗き込む不気味な顔に脅かされていた。やがて、彼女は自室で他殺死体となって発見されるのだが、その殺害トリックは、窓から覗く顔という出来事自体が前段となっている。

もう一冊、似た発想の作品を、国内ミステリから挙げておこう。栗本薫の『鬼面の研究』(講談社文庫)である。九州の山奥にある集落をドキュメンタリー番組の取材のために訪れたミステリ作家の森カオルと、同行した名探偵の伊集院大介。因習に囚われた村人たちとTV局スタッフが対立する中、おどろおどろしい連続殺人が巻き起こる……という物語だが、その中で、入浴中の森カオルがプロパンガスで殺されかかり、その様子をある事件関係者が「これまで見たこともないような、いやな冷たい目つき──何かおそろしく異様なもののこもった、どろりとした目つき」で浴室の小窓から見下ろしているというシーンがある。想像するだに恐ろしいシチュエーションだが、これが読者の記憶に刻み込まれるのは、その表向きの恐怖より更におぞましいトリックが背後に仕込まれているからだ。窓を用いたトリックの歴史上でも、一、二を争う戦慄的なものではないだろうか。

  • (左から)『江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪』(光文社文庫)、
    ジョン・ディクスン・カー『皇帝のかぎ煙草入れ』(駒月雅子訳、創元推理文庫)、
    コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの帰還』(延原謙訳、新潮文庫)、
    栗本薫『新装版 鬼面の研究』(講談社文庫)、
    貴志祐介『硝子のハンマー』(角川文庫)

一方、窓は外部から覗かれるだけではなく、室内から外部を覗く機能を果たすこともある。ミステリの場合、もしかするとこちらの作例のほうが多いかも知れない。

その代表は、ウィリアム・アイリッシュの短篇「裏窓」(『アイリッシュ短編集3 裏窓』所収、創元推理文庫)である──といっても、この作品自体というより、これを原作とするアルフレッド・ヒッチコック監督の同題の映画のほうが有名かも知れないけれども。足を骨折し、アパートの自室で車椅子生活を送るカメラマンが、退屈しのぎに窓から望遠カメラで向かいのアパートを覗くことで、そこで行われている殺人に気づいてしまう……という物語で(なお、映画版でグレース・ケリーが演じていた主人公の恋人は原作には存在しない)、このシチュエーションがあまりに秀逸であるため、島田荘司の『夏、19歳の肖像』(文春文庫)など、その後「裏窓」にオマージュを捧げた作例は少なくない。

他にも横溝正史の戦前の代表作『真珠郎』(角川文庫)における第二の殺人など、室内にいる主人公が窓から惨劇を目撃するミステリは数多い。ただし、場所は必ずしも建物に限定されているわけではなく、たとえばアガサ・クリスティーの『パディントン発4時50分』(早川書房クリスティー文庫)は、列車の車窓内で行われている殺人の目撃から物語が開幕する。これらのシチュエーションの場合、ヒッチコックの『裏窓』の影響を受けたブライアン・デ・パルマ監督の映画『ボディ・ダブル』や、主人公が室外にいるパターンではあるがダリオ・アルジェント監督『サスペリアPART2』の殺人シーンに代表されるように、主人公は窓の中の殺人を阻止しようとしても間に合わない場合が大部分だ(『サスペリアPART2』に至っては、窓ガラスそのものが恐ろしい凶器と化す)。ここでの窓は非情な処刑装置であり、サスペンスを長引かせる道具でもある。

しかし、このシチュエーションを用いたミステリの最高峰は、ジョン・ディクスン・カーの『皇帝のかぎ煙草入れ』(創元推理文庫)だろう。不可能犯罪の王者だけあって、カーの作品ではトリックに窓がしばしば効果的に用いられるし、カーター・ディクスン名義の『ユダの窓』(創元推理文庫)では、どんな部屋にもあるのに誰にも気づかれない「窓」が密室トリックの鍵となる。そんな中でも、ある女性が窓から向かいの家での殺人を目撃するが、一緒にいた前夫が意識不明状態になってしまったため、自身に降りかかった殺人の嫌疑を晴らすことができない……という『皇帝のかぎ煙草入れ』(因みに、日本でこの作品がドラマ化された時のタイトルは『窓の中の殺人』だった)は、窓からの殺人の目撃というありがちなシチュエーション自体に心理的トリックを仕掛けた野心作であり、ミステリにおける窓の扱い方を考える上で絶対に読み逃せない作品である。

外部から覗かれる可能性がある危ういセキュリティホールにして、こちらから外を覗くためのものでもある──そんな窓の両面性を象徴するのが、江戸川乱歩の短篇「目羅博士の不思議な犯罪」(『江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪』所収、光文社文庫)である。貸しビルの特定の部屋で立て続けに起きる間借り人の縊死。タイトルにある通り、それらは向かいのビルに住む怪しい医者・目羅聊斎りょうさい博士の仕業であるが、それはビルや窓の位置、そして「月光の妖術」を利用した、あまりにも幻想的で奇想天外なトリックだった。そして目羅博士は、そのトリックを逆手に取られることで破滅に至る。窓は人を死に至らしめる装置にも、自らの滅びにつながる陥穽にもなり得るということを、これほど雄弁に物語る作品もないだろう。

最後に、窓が登場するミステリのうち究極とも言える一冊を紹介して締めくくりたい。貴志祐介の「防犯探偵・榎本」シリーズの長篇『硝子のハンマー』(角川文庫)である。この小説の密室トリックには、窓が大いに関係している……と記しても、たぶんどんなトリックか想像もつかないに違いない。恐るべき頭脳派の犯人と、それを上回る頭脳を持つ天才的な防犯専門家が、窓をめぐって火花を散らす──これぞ、窓に関するミステリ作家の考察が超絶の境地にまで辿りついた作品と言えよう。

 

千街晶之/Akiyuki Sengai
1970年、北海道生まれ。立教大学卒。1995年「終わらない伝言ゲーム──ゴシック・ミステリの系譜」で第2回創元推理評論賞受賞。2004年『水面の星座 水底の宝石』で第4回本格ミステリ大賞、第57回日本推理作家協会賞をW受賞。他の著書に『原作と映像の交叉光線 ミステリ映像の現在形』、『幻視者のリアル 幻想ミステリの世界観』、『21世紀本格ミステリ映像大全』(編著)など。

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