WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 国内モダニズム建築の窓ー保存と継承

三岸アトリエの窓、変化と継承

印牧岳彦(建築史研究)

01 Apr 2022

Keywords
Architecture
Essays
Japan
Renovation

昨年(2021年)10月、建築コレクティブGROUPによる「三岸アトリエ」(東京都中野区上鷺宮)の改修工事が完了し、内壁の一部と旧玄関が修復された姿で公開された。1934年竣工のこのアトリエはもともと、画家・三岸好太郎(1903-1934)からの依頼のもと、バウハウスで学んだ建築家・山脇巌(1898-1987)が設計を行なったもので、日本における初期のモダニズムの貴重な現存例として知られている。とくにそのもっとも大きな特徴といえるのが、アトリエの前面を覆う大きなガラス窓であり、今回の修復によってこのガラス窓の前を通って室内へと入る当初のアプローチが再生したことは、当初想定されていた空間のシークエンスをふたたび体験できるようになったという点で意義深い。

  • 修復されたアトリエ旧玄関へと続くアプローチ。奥に再制作された窓が見える(撮影:高野ユリカ)
  • 再制作された旧玄関の窓(撮影:高野ユリカ)
  • アトリエ内部からアプローチを臨む(撮影:高野ユリカ)

その一方で、この大きなガラス窓はそれ自体、竣工時から現在にいたるまでのあいだに、大きくその表情を変えてきたものでもある。現在の三岸アトリエ正面の窓枠にはアルミサッシが用いられ、引き違いで開閉するものとなっているが、これは後年になって取り付けられたもので、竣工時には木サッシのはめ殺し窓(一部は通風のための突き出し窓)が採用されていた。

  • 竣工時のアトリエ、東側からの外観(撮影:山脇巌)

山脇自身が撮影した竣工時の写真にみられるシャープで軽やかな印象には、細く均等な線によって格子を形成するこの木サッシの存在が大きく寄与している。当時山脇が執筆した記事からは、北面以外の三方の壁がガラスで覆われた「ガラス建築」を構想していた三岸の要望に応えるため、木造という条件を踏まえた上で、彼が苦心してこの構成を作り出したことがうかがえる。

三方の壁を大きな硝子面で被覆する夢の様な計画は可能ではあるが、この限られた予算の木骨構造では冒険である。又それが仕事場として殆んど使用に耐えないであろうと考え、硝子の開口部は東南二方の壁面の一部に設ける事にした。しかし硝子面は床上端から天井下端まで一杯にとった。その張間も出来るだけ短かくして三尺間に立つ間柱を、そのまま窓枠に兼用して間柱を外から欠込んで三尺四方の硝子を一枚ずつ嵌めこんだ。通風の為めに一部を突き出し窓ともした。二階の書斎の側梁を追い込み、ことさらに白いペンキ塗りの側面を外部から硝子を透して見せる様にした。

山脇巌「南向きの畫室 —M氏のアトリエ—」、『国際建築』1934年11月号、443頁。引用にあたって、字体は現代のものに改めた。以下本稿における他の引用についても同様。

 

ここで述べられているような、間柱を同時に窓枠としても使用するという工夫に加え、サッシの塗装の仕方も窓の与える印象に大きく影響している。すなわち、同記事によれば窓枠には「濃青色」のペンキによって塗装が行われたが、写真からも分かるとおり、この色が塗られたのは外部に面する一面に限られ、サッシの側面および裏側は白色の塗装が施されている。これによって、外から見た場合には格子状の窓枠が厚みを持たない抽象的な面として浮かび上がる一方で、室内から見た場合にはこの濃青色の格子は目に入らず、窓枠の印象は弱まり外部の景色との連続性が高められている。

  • 竣工時のアトリエ内観(撮影:山脇巌)

今回修復の対象となった旧玄関にも、かつては同様の塗装が施されたはめ殺しの窓が取り付けられており、図面から判断するとおよそ一尺四方の格子で構成されたそれは、正面の大きなガラス窓の縮小版といえるかもしれない(ただし、ガラス面の大きさと窓枠の太さの関係で、こちらの方が格子の印象はより強くなっている)。現在知られている竣工時の写真のなかにはこの玄関の内側から撮られたものはないように思われるが、おそらくそこにおいても同様に、外から見た場合のグリッドの強い印象とは異なる、風景との接続が感じられたのではないだろうか。

  • 竣工時のアトリエ、西南側からの外観(撮影:山脇巌)
  • 現在の西南側外観(撮影:高野ユリカ)

先述のように、現在では建物正面の大きなガラス窓の窓枠がアルミサッシに交換される一方で、旧玄関の窓もまた損壊し、応急処置として波板によって塞がれた状態となっていた。そのため、山脇が創意を凝らして作り上げた当初の窓枠は残っておらず、モノクロ写真からはとくにその色彩について正確なところはわからない。こうした状況のなか、今回、旧玄関の木サッシを再制作する際、その色の決定にあたってひとつの手がかりとされたのが、現在の建物の一部、すなわち外壁に取り付けられた木の柱と二階の軒先の鼻隠しに残された塗料の色だという。

  • おそらく構造補強を目的としてアトリエ外壁に取り付けられた柱
    表面に青色の塗料が残る(撮影:高野ユリカ)

実際のところ、竣工時の写真と見比べても分かるとおり、これらの部材は竣工当時から存在したものではなく、おそらく後年にかけての改修の過程のなかで付加されたものと思われる。残念ながら、本稿執筆にあたっての調査のなかではその来歴の詳細について明らかにすることはできなかったものの、たとえば1957年に刊行された雑誌『アトリヱ』別冊の三岸好太郎特集に掲載されたアトリエの写真では、ほぼ同様の位置に柱があるのが確認できる。

  • 1957年の『アトリヱ』別冊特集に掲載された三岸アトリエの写真(撮影者不明)
    出典:三岸節子編『別冊アトリヱ 三岸好太郎:秘められた画帖』、アトリエ出版社、1957年10月。

この時期、アトリエの窓枠はまだ現状のアルミサッシにはなっていないものの、竣工時のものがそのまま維持されているのかどうかはこの写真からは断定できない。戦時中の空襲によって割れたという逸話のあるガラスは新たなものに取り替えられ、写真にみえる東面では十字の桟が入れられているのがわかるが、この東面に関していうとサッシが竣工時のものより太いようにも見える。一方、──モノクロ写真であるから正確にはわからないものの──色彩は現在のアルミサッシとは異なり、竣工時と同様の濃い色をしているようである。仮にこの時期のサッシが竣工時のもの(あるいはそれを踏襲して改修したもの)で、それに合わせた塗装を施して付加された柱が現在まで引き継がれているとすれば、往時の色彩を伝える貴重な痕跡といえるかもしれない。

 

柱の問題以外にも、この写真は竣工時のアトリエの姿と現在のそれとのあいだ(この期間の状況については資料が少なく、これまで三岸アトリエについて書かれた記事のなかでもあまり触れられていない)の状態をうかがわせるものとして興味深い。たとえば、現在建物の入り口となっているコンクリートによる増築部はまだ存在せず、池のあった建物東側には植物が繁茂しているのが見える。建物の角の部分には、竣工時にはない雨樋の排水管が取り付けられており、この時期にはすでに庇も存在したものと思われる。また、今回修復が行われた旧玄関の窓の向こうには、現在あるような塀や住宅はまだ存在せず、門を入って石畳の通路を進むシークエンスの先には、格子の窓枠を通して木立のある風景が見えている。

  • 修復されたアトリエ旧玄関(撮影:高野ユリカ)

三岸アトリエが建設されてから今日にいたるまでの80年を超える歳月のなかで変わったのは建物だけではなく、周囲の環境もまた然りである。かつて存在した武蔵野の雑木林は住宅街へと変わり、旧玄関の窓の前には塀が建った。今回の修復ではこうした変化を踏まえ、木サッシを縦に分割して回転式のものとし、さらにはガラス面にミラーフィルムを貼ることで、反射する光によって外の風景を取り入れることが図られている。またその際、木サッシを回転式にしたことによる見え掛かりの変化に応じて、塗装の仕方も当初の窓枠とは変えられ、建物内部に面した一面のみを白とし、残りの三面が青色となっている。こうした操作からもわかるとおり、今回再制作された窓は、当初の窓の文字通りの「復元」ではなく、山脇による当初の設計、建物の細部に残された過去の痕跡、そして周辺環境の変化といったさまざまなコンテクストを読み込んだ上での再創造というべきものだろう。

  • 再制作された旧玄関の窓(撮影:高野ユリカ)

今回再制作された窓に映る光の反射を見て想起したことのひとつに、アトリエの当初の構想に際して三岸がこだわっていた要素である、建物の横に設けられた池から反射する光の効果がある。制作の際に意識されていたのかはわからないが、三岸による「水面で屈折した太陽の反射光線が白い室の天井でおどる」という遊び心のあるイメージが、かたちを変えて、回転窓の作り出す光の戯れのなかに受け継がれているようにも思えた。

 

追記
本稿執筆後、現オーナーの山本愛子氏から、ここに掲載したものと同時期に撮られたと思われるアトリエの写真を見せていただく機会を得た。それによれば、正面からは十字の桟が入っているように見える部分は、実際には真ん中に水平の桟が入った縦長の窓二枚からなる引き違い窓だったようである。また、ここに掲載した写真でサッシが太く見えるのは引き違い窓の窓枠が一体となってそう見えるだけであり、(竣工時のものかどうかはやはり不明であるものの)東面に関しても南面と同様に当初のものに近い細いサッシだったことが確認できた。

 

謝辞
本稿の執筆にあたって、アトリエを現在管理されている山本愛子氏およびGROUPの大村高広氏に建物と修復工事についての詳細をご説明いただきました。記して感謝申し上げます。

 

 

 

建築概要

三岸アトリエ みぎしあとりえ
設計者:山脇巌
所在地:東京都中野区
竣工:1934年

バウハウスで学んだ山脇巌が画家・三岸好太郎と三岸節子のために設計した木造モダニズム建築。直方体を組み合わせた平明な外観の南東面に、二層分の高さの全面ガラス窓と鉄骨の螺旋階段が設けられ、竣工当時はかやぶき屋根の農家や周囲に広がる田畑に眺望がひらけていた。好太郎は完成を見ずに亡くなるが、竣工後は妻の節子が住居兼アトリエとして使用し、現在は撮影スタジオとして利用されている。登録有形文化財(建造物)。

三岸アトリエ公式サイト:https://www.leia.biz/
一宮市三岸節子記念美術館:http://s-migishi.com/
北海道立三岸好太郎美術館:https://artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp/outline/mkb/

窓の事例集
三岸アトリエ
01 Apr 2022

印牧岳彦/Takahiko Kanemaki

建築史研究、1990年生まれ。東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。専門は西洋近代建築史。主な論文に「コーウィン・ウィルソンによる「移動住宅」の提案とその思想的背景」(日本建築学会計画系論文集、2020年8月)、執筆記事に「感染症と膜としての空間」(建築討論、2020年8月)など。

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