WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 ウィンドウズ イン アート

Ch.1 アトリエから見るアーティストの内面

オシアン・ワード(美術評論家)

26 Apr 2019

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カスパー・ダーヴィト・フリードリヒからスペンサー・フィンチまで

アトリエや机で、最初の一筆を喚起する記憶やインスピレーションをじっと待つかのようにまっさらなキャンバスや紙を真剣に見つめる作家。そこから立ち現れてくるのは、作家の世界観や、ある一瞬の心の動きを窺わせる表現である。作品の主題や描き始めの衝迫がなんであろうと、まっさらな画面は侵食されるためにある。異なる世界を映す窓に生まれ変わるために。

矩形の絵画は窓に通ずるところがある。余白が満たされること、もしくは世界への扉となることを待ち望んでいる。平面のキャンバスは、逃げ出すための出口にも、逃げ込むための入口にも取れる。窓のガラス部分の不透明性はアーティストや鑑賞者に、その中もしくはその奥に広がるイメージを自ら導き出し画面に投影することを要求している。

自らの欲望や知識、経験を表現として成就させようと、アトリエで孤独な苦闘を続けるアーティストのイメージは、アシスタント、パトロン、メンターの存在や外からの評価といったさまざまな外的要素の介在によって、もはや過去のものになった。しかし、今でも変わらないのはアートの超越性を解き放つために、アーティストが自らの意識や限界の向こう側に向かおうとすることである。この点において、形状だけにとどまらないキャンバスと窓の類似性を見出すことができる。窓はつまり、作家がアトリエという自分にとって身近な領域を離れ、別の現実の可能性に触れる行為としての創造活動のメタファーでもあるのだ。

制作の場やインスピレーションの源泉として考えられてきたアトリエだが、実際に作家が使っていた屋根裏や書斎は——その中で苦心する本人たちを除けば——興味の対象にはなってこなかった。むしろ美術史のなかでは作品に登場するモチーフとしてのアトリエが、自分の内側を解き明かし、殻を打ち破ろうとするアーティストの内面を映す「窓」として位置づけられてきた。アントネッロ・ダ・メッシーナの《書斎の聖ヒエロニムス》(1475年頃)では、この内と外に向かうアーティストの一見相反する欲求が描かれている。内的世界は哲学書に没頭する学者あるいは修道士にも見える人物に象徴され、現実世界がもたらしてくれる悦びは画面左奥の礼拝堂の窓によって切り取られた山脈や川、白い塔の風景、そしてその同じ世界に潜む危険は画面右側で聖人の思索の場にいすわる獅子の影(聖ヒエロニムスが負傷した獅子の足から棘を取り除いてやったという逸話に由来する)によって表されている。

  • アントネッロ・ダ・メッシーナ《書斎の聖ヒエロニムス》、1475 年頃、ナショナルギャラリー蔵、ロンドン

緻密で均整の取れたメッシーナの画面構成に比べ、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵画は荒々しく大胆に映る。フリードリヒは、どこまでも続く壮大な風景を前に、自然の威厳と人間の存在の小ささに圧倒されているひとりの人物の後ろ姿を繰り返し描いた。フリードリヒのほかの絵画に比べ、より抑制された表現の《窓辺の女》(1822年)でもひとり物思いに耽る人物が描かれているが、堅牢な窓の扉によって彼女が束縛されているように映る。

  • カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《窓辺の女》、1822年、旧国立美術館蔵、ベルリン

アトリエの窓から身を乗り出しドレスデンのエルベ川を見下ろすこの人物はフリードリヒの妻のカロリーネだが、鑑賞者の視点からは彼女の視線が捉える風景やその心模様を知ることはできない。そのために我々は、電車やカフェの窓越しといった安全な距離から人間観察を行うときと同じように、彼女の心の内を勝手に想像し、共感するほかないのだ。狭い開口部を通してしか外の世界に触れることができないこの切なげな婦人は、我々と同様、遠くに広がる風景をもっと近くで目にすること、つまり壁の向こう側へと踏み出す一抹の自由を得ることを望んでいる。

  • カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《画家のアトリエからの眺め/右窓》、1805年、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵 、ウィーン
  • カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《画家のアトリエからの眺め/左窓 》、1805年、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵、ウィーン

さらに閉塞感が漂うのは、デンマーク人アーティスト、ヴィルヘルム・ハンマースホイによるクリスチャンスハウン地区のアパートとアトリエ(作家は1898年から1909年にかけてここで妻と暮らしていた)を描いた絵画群のなかの一点である。《中庭の眺め、ストランゲーゼ30番地》(1899年)では、簡素な室内を捉えたほかの絵画にも頻出する窓のモチーフが増幅され、直線と格子状のパターンが極限まで用いられている一方で、室内はどれも空っぽに映る。当時の封建的な家庭を物語るフリードリヒの作品と同様に、ここでも唯一開いている窓から射し込むわずかな光が、モノクロに近い色使いと窓ガラスを執拗に覆う格子状のパターンによって表現されている抑圧的な室内からの解放を示唆している。

  • ヴィルヘルム・ハンマースホイ《陽光習作》、1900〜1906年、ニューヨーク近代美術館蔵、ニューヨーク
  • ヴィルヘルム・ハンマースホイ《中庭の眺め、ストランゲーゼ30番地》、1899年、トレド美術館蔵、オハイオ

フィンセント・ファン・ゴッホによるぼやけた画風の《アトリエの窓》(1889年)は、南仏特有の鮮やかな緑と黄土色を基調としているが、窓に取り付けられた格子からこの作品が作家がサン・ポール・ド・モーゾール修道院の精神科病院に自ら志願し入院していた頃のものだということがわかる。アトリエとしてあてがわれていた独房を描いたこの作品は、ゴッホが訪ねてきたポール・ゴーギャンと口論になり、左耳を切り落とす悲惨な事件を起こした1888年から一年も経っていない。しかし、療養期間中は意外にもゴッホにとって多産な時期であり、作家は精神病院での作画や、退院後アルルの「黄色い家」で制作する作品の構想に積極的に取り組んでいた。寝室があった男性専用の東棟は周囲の環境から完全に隔離されていたが、アトリエがあった北棟は眺めに恵まれ、美しい庭園への出入りも許されていたため、ここで多くの作品が生み出された。それでも作品に描かれた室内は、監獄を思わせる窓の格子によって鮮やかな外の世界から遮断され、色褪せた事物の輪郭も曖昧である。薄められた絵具で描かれた透明な瓶や筆筒は存在の臨界を漂い、今にも消えてなくなってしまいそうだ。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ《アトリエの窓》、1889年、ゴッホ美術館蔵、アムステルダム

こうしたアートの動向から1世紀あまりが経ち、我々は今作品づくりにおける「ポスト・アトリエ」時代の中にいる。ノートパソコンとスマートフォンだけで自らのヴィジョンを具現化できるようになり、ますます手を動かす必要性がなくなったアーティストたちは、もはやアトリエや物理的な成果物がなくても自分の内面を表現できてしまう。「ポスト・メディウム」や「ポスト・モダン」といった「ポスト(=〜以後)」的状況下においてアート作品も脱構築されていくなかで、自ずとアトリエの機能も解体され、アーティストのツールとしての確固たる地位も失われつつある。近年、ピエト・モンドリアンやコンスタンティン・ブランクーシ、アルベルト・ジャコメッティ、バーバラ・ヘップワース、ヘンリー・ムーアといったアーティストの従来の形式のアトリエが、当時の状態のまま保存され一般に公開されるようにはなったが、それはあくまで外から中を物珍しく覗き込むためのものであって、中から外へと視線を向けるアーティストの視点に寄り添うものではない。

所狭しと物が積み上げられたフランシス・ベーコンのロンドン・サウスケンジントン地区リース・ミューズ7番地の窓なしのアトリエ、シャッター窓が閉め切られていたルシアン・フロイドの親密な制作場、天井からさんさんと光が降り注ぐハワード・ホジキンのアトリエ、ニューヨーク州の北部にあったジャクソン・ポロックの広大な納屋を見れば、外界とのつながりを意味した窓が20世紀に入って急速に重要性を失っていったことがわかる。外からインスピレーションを得ることも、現実世界を模倣することも、外の空気を肌で感じ、微細な光の移り変わりや流れゆく雲を観察することももはや不要になったのだ。

しかし、天候や季節、気温、星座、時間といったさまざまな現象の移り変わりを制作の中心に据えているアメリカ人アーティストのスペンサー・フィンチは例外である。フィンチこそアトリエの窓の外を眺めているタイプのアーティストだが、それは彼が制作のあいまあいまの感傷的な退屈、内省、休止の時間をモチーフに数多くの作品を生み出してきたことからくる。

ロンドンのパディントン駅に設置されたフィンチの巨大なガラス天井のインスタレーション《A Cloud Index》(2013〜2019年)は、200枚の透明なガラスパネルに作家が精密に写生したブリテン諸島のあらゆる雲のスケッチが刻まれている。

  • スペンサー・フィンチ《A Cloud Index》、2013〜2019年、作家によるパディントン駅の天蓋のイメージ図
  • スペンサー・フィンチ《A Cloud Index》(部分)、2016年、リッソンギャラリー蔵、ロンドン

《The River That Flows Both Ways》(2009年)でもフィンチは、ある一日の700分の間に行ったハドソン川の水質調査の結果を700枚のガラスの色に対応させ、ニューヨークの空中遊歩道「ハイライン」沿いにある既存の建物の窓を様変わりさせた。この作品は川と同じように、その日と時間の天候や光の度合いによって移り変わる。

  • スペンサー・フィンチ《The River That Flows Both Ways》、2009年、ハイライン蔵、ニューヨーク

より小規模なインスタレーション《Light in an Empty Room (Studio at Night)》(2015年)では、スタジオ内の壁上で夜間繰り広げられる光と影の交錯をそのまま蘇らせた。

  • スペンサー・フィンチ《Light in an Empty Room (Studio at Night)》、2015年、リッソンギャラリー蔵、ロンドン
  • スペンサー・フィンチ《Light in an Empty Room (Studio at Night)》、2015年、リッソンギャラリー蔵、ロンドン

暗くなった後のスタジオ内を照らすブルックリン地区の信号やオレンジに光る街灯、行き交う車のライトが、モーターで稼働する機構や天井から吊られたLED、一列に並ぶスポット照明によって表現されている。作品に使用されている35あまりの照明によって、窓の外から実際に見える光の角度や高さが厳密に再現されている。鑑賞者はスタジオ内で展開される6分ごとの光のループを眺めるだけでなく、「舞台裏」にも足を踏み入れ街頭の公共物や車の往来を演出しているモーターや豆電球のからくりを観ることができる。

フリードリヒやゴッホと同様、フィンチも親密で情緒漂うアトリエでのひとこまを切り取り提示しているが、さらに彼は我々に対して、自分の記憶の一片を受動的に鑑賞するのではなく、それに積極的に参加するよう求めているのだ。

オシアン・ワード/Ossian Ward

リッソンギャラリー(ロンドン/ニューヨーク)のコンテンツ部門を率いる。現代アートのライターとして活躍。2013年まで6年以上にわたり『Time Out London』のチーフ批評家、ヴィジュアル・アーツ部門のエディターを務めたほか、『Art in America』、『Art+Auction』、『The World of Interiors』、『Esquire』、『New Statesman』、『Wallpaper* 』などの雑誌や、『Evening Standard』、『The Guardian』、『The Observer』、『The Times』、『The Independent on Sunday』などの新聞にも寄稿。これまで『ArtReview』、『V&A Magazine』のエディターを務めたほか、『The Art Newspaper』に勤務した経歴を持つ。2005から2010年にかけて、テームズ・アンド・ハドソンの『The Artistsʼ Yearbook』(隔年刊行)の編集を手掛けた。自著の『Ways of Looking: How to Experience Contemporary Art』を2014年にローレンス・キングから、2018年にその続編をテームズ・アンド・ハドソンから出版。

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