ス・ドホ
境界線というものがあいまいだった
01 Oct 2018
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アジアのコンテンポラリーアートシーンを牽引する韓国人アーティストのス・ドホ氏。90年代初頭に渡米したことをきっかけに異国における自身のアイデンティティを見つめ直し、存在と空間の関係性や自身が暮らした家の記憶を探りながら表現を追求してきた。
実在した住宅を透き通るほど薄く、スーツケースひとつで持ち運べるほど軽い布で実寸大に再現した立体作品シリーズで広く知られる彼だが、現在開催中の第16回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展では、最新のタイムラプス技術を駆使した映像作品を発表している。その制作背景について、建築展の会場で偶然出会った本人が快く話してくれた。
新作の制作背景について
──「Robin Hood Gardens, Woolmore Street, London E14 0HG」と題された今回の作品では、イーストロンドンの公共住宅《ロビン・フッド・ガーデン》を取り上げていますね。有名建築家アリソン&ピーター・スミッソンが70年代に手がけたものの、住居としての評価はあまり得られず、近年になって取り壊しが決まった建物です。今回の作品を映像で仕上げたのには、何か特別な理由があったのですか?
最初はいつものように布をつかって住宅を再現するつもりでした。だけど住宅の解体と撤去が決まっていることを知り、今回は室内の記録を優先することにしたんです。ファブリック作品ならいつでもつくれますからね。
──撮影はどのように進めましたか?
まずは撮影できる部屋を探す必要がありました。それでコミッショナーのヴィクトリア&アルバート博物館が、当時まだ人が住んでいた部屋を3室、空き部屋を1室見つけてきてくれて、住人がいる部屋は1室につき1日、いない部屋には3日くらい時間をかけて撮影を進めました。今回は物理的に存在するものだけでなく、空間に蓄積されたエネルギーやその場所の歴史のように形のないものも記録したかったので、タイムラプス3Dスキャンとフォトグラメトリでダイレクトに映像を撮っていきました。
映像を見ると分かると思いますが、住人がそれぞれ思い思いのものを部屋にもち込んでいるので、部屋ごとに室内の雰囲気が違うんですよね。映像では、そういう「もの」のレイヤーで覆われている状態と何もない状態で部屋の印象がどう変わってくるのかを表したいと思ったんです。実際に自分が住んだことがある場所ではなかったので、今回は撮影を通して少しづつこの建物のことを知っていくことになりました。
──これまでの作品では、実際に暮らしたことのある場所を主な題材にされてきましたが、今回そうでない場所を扱うことで制作へのアプローチには何か特別な変化は見られましたか?
いつもとは全く違うアプローチでしたね。何よりもアパートがとても複雑なモジュールにもとづいて設計されたので、それがどういう論理で成り立っているのか撮影が終わるまでなかなか理解できず、レンズを通してアパートを見ながら設計の意図を読み解いていくことになりました。1ミリ角も逃さないよう細心の注意を払って徹底的に空間を観察したという意味では、他の作品にも通ずるアプローチだったかもしれません。
タイムラプスは、ただ前衛的なだけでなく、通常のフイルムよりも多いコマ数を撮影できるという点で、作品のコンセプトに合った撮影技法だったと思います。普通のカメラをつかえば数時間以内で撮り終わるところを、今回はあえて何日もかけて何万枚もの静止画を撮影し、それをコンピューターでつなげてストップモーションをつくりました。
──最終的な映像は、タイムラプスと通常速度の映像を合成してつくったものでしょうか?
そうですね。複数の映像をつなぎ合わせてつくったものです。映っているものによって時間の流れ方を変えたかったので、人が入った状態と入っていない状態で別々に映像を撮り、後から合成しました。人がある一定のフレームから外れると透明になっていくような絵をつくりたかったのですが、そうすると1アングルにつき2回は撮影しなければならず、かなりの時間が掛かってしまいました。
どうしてあえてそんな手法をつかったのかというと、当時《ロビン・フッド・ガーデン》に暮らしていたほとんどの人が40年来の住人だったので、彼らがアパートで暮らしてきた時間を尊重したいという気持ちが強く、突然押しかけて、短時間で撮影出来るものではないのではないかと思ったんです。撮影が終わった後も、編集作業に2カ月は時間をかけました。
正直なところ、もっと時間を掛けてもよかったんじゃないかとも思います。スキャンデータが大量にあり、何かおもしろいものがつくれそうだったので。
──今回の映像ではいたるところで窓が特徴的に映されているシーンが登場します。
はじめて《ロビン・フッド・ガーデン》に行ったとき、部屋のモジュールは住居ごとに違うのにリビングだけはどれも同じつくりになっていることや、建築家のアリソン&ピーター・スミッソン夫妻が窓を効果的に用いることで建築の反復的・規格的なつくりを強調していたことを知り、印象的に思いました。映像でもそれを見せられないかと思い、ファサードと平行にカメラを置いて建物のグリッド線に沿って水平に垂直にとカメラを動かしながら撮影していったんです。
今回撮影した部屋はどれも少しずつ違う造りになっていましたが、窓の並び方だけは一律だったんです。カーテンが引かれていたり、装飾されたりしているので、ぱっと見ただけでは分からないかもしれませんが、よく見ると窓が反復的に並んでいることが分かります。これを映像でも実物と同じように見せたかったので、今回は芸術性を求めずに淡々と撮影していきました。
いくつかのシーンで窓に何かが映り込んでいることもありますが、これはただ偶然映ったものです。なかには飛行機や車が映り込んでいたり、大きいスクリーンで映像を見るまで私たちですら気づかなかったものもあり、まるで窓がフレームとなってアパートの外に広がる不思議な光景を切り取っているようで、面白い発見でした。
──外と内を結ぶ境界線としての窓の性質が顕著に現れた面白い偶然ですね。
境界線といえば、私が育ったのは韓国の伝統的な家屋で、そこでは外と中の境界線があまりはっきりしていませんでした。その点で日本家屋に少し似ていたんじゃないかと思います。
韓国の伝統家屋には大きな壁がなくて、建物の大部分は窓や扉で構成されています。西洋の住宅のように、人が作った空間がしっかりとコントロールされて、自然や周辺の環境から切り離されているわけではありません。それに韓国の伝統家屋は壁の通気性が良く、窓と扉が多いので全体的に風通しが良い。まるで空気のようです。建物が外の音やにおいや光を吸い込むので、部屋のなかにいても、なんだか自然に囲まれているような感覚になります。私が育った家が、まさにそんな場所でした。
それに韓国ではだいたい住宅に大きな庭が設けられていて、近所や公共空間との境目は背の低い壁で仕切られています。そのため、家の門から自分の部屋までたどり着くまでに、いろいろな空間を通る必要があります。西洋の家ではあまり見受けられない、ニュートラルなスペースがたくさんあるんですよね。こういう環境は偶然できたわけではなくて、韓国の人々の価値観が反映されて形になったんじゃないでしょうか。
韓国の居住空間から受けた影響
──さきほどおっしゃった「ニュートラルなスペース」は、伝統的な日本の家にも多くあるかもしれません。たとえば縁側は、窓と同じように外と家の中間にある空間で、腰を下ろして風景を楽しむことができる場所でもありますね。
そうですね。風景といえば、韓国で家を建てるときには景色もかなり重要視されます。韓国の家にドアや窓のようなニュートラルな空間が多く存在することも理由のひとつですが、これには風水の考えも関わっています。家を設計するとき、多くの韓国人は、まず想像上の窓を絵に起こして、風景をフレーミングするところから始めます。なのでほとんどの人が設計前から窓についての明瞭なプランを持っているんですよね。まずはじめに部屋から見える景色を想定し、一番景色が良い部屋を家主の書斎にします。
西洋文化では、東洋文化と比べると個人に重きが置かれ、空間におけるプライバシーが重視される傾向がありますよね。対照的にアジア、特に韓国ではもっと流動的に空間が扱われている印象を受けます。窓について考えていくと、各国の哲学が分かってきますね。
──ファブリック作品にも、こうした韓国文化の影響が表れている部分はありますか?
もちろん。ファブリック作品は、私がとても大切にしている個人空間を再構築したものです。それもあって美術館にそうした作品を展示するのはどんな気持ちか、と聞かれたことが何度もあります。誰しもが自分の空間に入って歩き回れることになりますからね。
作品の壁が全て透けているので、自分が作品の内側にいるのか外側にいるのか、わからなくなることがあります。誰かがこっちを見ていても、自分を見ているのかはっきりとはわからない。私が育った韓国の伝統家屋は音やにおいや空気をよく通しました。中と外の境界線というものがあいまいだったんです。なので自分の家を完全な個人空間だと思うことはありませんでした。プライベートとパブリックの狭間にあるような感じがしたんです。個人の空間と公共の空間については、誰しもが違う考え方を持っているでしょうし、空間の定義だってそれぞれ異なるのではないでしょうか。
もしかすると韓国の建築様式は儒教の考えにもとづいていて、外と内を完全に切り離さないことで、たとえ周りに誰もいなくても行儀良く振る舞うように考えて設計されているのかもしれませんね。完全にひとりきりになることはないので、常にそのことを頭に入れておかなければならない。ある意味で自分と他人を切り離して考えることができない。こういう考えが韓国の建築に影響を与えているのか、もしくは建築が先にきてこういう考え方が生まれたのか、実際のところはわかりませんが、いずれにせよ建築は、私たちの思想のあり方に深く関係していると思えるんです。
Photography: Daniel Dorsa, Courtesy the artist and Victoria Miro, London / Venice © Do Ho Suh
ス・ドホ/Do Ho Suh
1962年、韓国ソウル生まれ。現在、ロンドン、ニューヨーク、ソウルを拠点に活動。住居、空間、置換、記憶、個人、集合といったテーマを表現する絵画、映画、彫刻などその作品は多岐にわたる。韓国、ロードアイランド、ベルリン、ロンドン、ニューヨークの住居を紗幕で再現した作品で広く知られるスは、物理的および比喩的な方法における空間の順応性に関心を抱きながら、身体がどのように空間に関連し、居住し、相互作用するかについて模索してきた。