第11回 タシュクルガン「天窓の記憶」(前編)
31 May 2017
トルファンから列車でさらに西へ進むと、中国の西の果ての都市・カシュガルに着く。そこからさらに、砂埃を巻き上げ走るバスで7時間、山を登る。標高3,100mほどの地点に、本当の西の果てがある。タシュクルガンというタジク族の町である。彼らはウイグル族とも違うイラン系の民族で、独自のタジク語を話すイスラム教徒である。
タシュクルガンから西には、タジキスタン・アフガニスタン・パキスタンというまだ見ぬ中央アジアが広がり、ここは「世界の屋根」と称されるパミール高原にのっている。中国最西の居住地であるここも、シルクロードの中継地として古い歴史を持つらしい。北京時間が使われるこの地では、夜11時頃になってやっと日が傾きはじめる。時刻という概念がいかに人工的なものかを教えてくれる。
トルファンのように中心部では道路が整備され、漢民族が住んでいるようだ。「タジク族の家が見たい」と宿のスタッフに聞いてみると、彼女はタジク族居住地の行き方を教えてくれた。少し離れたところにあるらしい。さっそく宿を出発する。進むにつれて、アスファルトはだんだん砂利道に変わっていく。あまり人の声がしない。20分ほど歩いて、美しい景色が現れた。
青空と山を背に、おろしたての絨毯のような菜の花畑がひろがる。天国とはこういうところなのかもしれない。静かな風景の中を一人歩く。徐々にタジク族の家が見えてきた。四角い土色の家が、農地の中に点在している散村形式の集落である。パミール高原から流れ来る川が集落を維持させているのだろう。低い土地に作物が育っている。
写真は小高い丘の上——草木はなく、だいたい墓になっている——から見下ろしたものである。雨量が少ないため平屋根で、防風林を屋敷の周りに植えている。
川沿いに家を見つけた。人がいないので、ゆっくりと観察する。ほとんどが石積み(一部レンガ)で作られているらしく、泥が塗られた壁の頂部には赤地に黒の独特の文様がある。この文様は周囲の家に共通するものであった。石は川から持ってきた丸いものが多かった。
川沿いでぼーっとしていると、少年とおじさんが農作業をしている。そこに洒落た格好をしたダンディなおじさん(以下ダンディと呼ぶ)がやってきて、何やら話している。
傍観している僕にダンディは中国語で話しかけてきた。何を言っているのかわからないのでスケッチを見せる。すぐに彼の家に連れて行ってくれることになった。
こちらも石と一部日干しレンガ積みの家で、泥を塗った壁の上部は文様で飾られている。一通り部屋を見せてもらうとかなり綺麗で、わりと新しい家なのかもしれない。
壁は厚みが700mmほどあり、この土地の寒さを物語っている。居間のような部屋(平面図中央左上の最も広い部屋)に通された。部屋の半分以上が腰掛けのようになっており、絨毯が敷き詰められ、クッションが並ぶ。装飾も多い。家族で集まって、厳しい冬を越すのだろう。
そこに座って、娘さんが作ってくれたラグメン(ラグマン)という麺料理(うどんのような麺にトマトソースと具をかけたもので、とてもおいしい)をご馳走になった。
ダンディは煙草に火をつけて、ラグメンを食べる僕を無言で見つめていた。この部屋には四周に窓がない。唯一、天窓から光が注ぐのみである。煙草の煙がその光に照らされて上っていくのを見つめていると、祭壇のようにも見えてくるこの空間が、この家で最も大事な場所であることがよくわかった。
食べ終わるとすぐに、ダンディは見せたいものがあるらしく、車で僕を連れ出した。(中編に続く)
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2014年4月より早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程在籍。2014年6月、卒業設計で取り組んだ伊豆大島の土砂災害復興計画を島民に提案。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する (台湾では宜蘭の田中央工作群にてインターン)。