増田友也《鳴門市文化会館》の窓
ルーバーのほのあかるい空間
21 Oct 2024
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建築家・増田友也の遺作である《鳴門市文化会館》。京都大学教授であった増田は、徳島県鳴門市にも多くの建築作品を残している。『増田友也の建築世界』(英明企画編集、2023)の著者である田路貴浩氏が、その特徴的なコンクリートの縦ルーバーによってもたらされた独特のあかるさを持つ空間を、増田の建築論から紐解く。
※2024年現在、耐震改修のため閉館中
鳴門は渦潮で知られるが、激しい潮流が見られるのは鳴門海峡だけで、波が穏やかな沿岸部には、かつて一面に平坦な塩田が広がっていた。そのなかを貫く運河のような撫養川には流れがほとんどなく、《鳴門市文化会館》(1982)の姿を静かに映している。
この神殿のように厳かなコンクリート打ち放しの建物は、《健康福祉交流センター》と向かいあい、ひとつの神域のようなコンプレックスをつくっている。
設計者は増田友也(1914-1981)。京都大学で長く教鞭を執りながら、建築家として活躍した。丹下健三と同世代で、「東の丹下、西の増田」と評されたとも聞くが、これまで建築作品はあまり知られてこなかった。むしろ、道元やハイデガーを参照した難解な建築論によってその名に聞き覚えのある人の方が多い。しかし論文は難解とはいえ、増田が追究したことは明快である。それはRC造によって日本的建築をつくることだった。1950年代、建築家たちは「伝統論争」をさかんに論じたが、1960年代になると論点はメタボリズムへと移り、1970年代にはポストモダニズムへの助走がはじまる。そうした建築論壇の移り変わりに関わらず、増田は一貫して日本の建築伝統を継承したモダニズム建築を追究した。その到達点が、他界した翌年に完成した《鳴門市文化会館》である。
増田の建築論は、建築を隔離する壁と捉えることからはじまった。そして、日本の古建築を深く研究する過程で、庇や明障子などによって、室内と室外が半ば隔てられ、半ば連続する両義的な空間の特徴を「半隔離」と概念化した。半隔離の空間は建築設計においても追究され、ルーバーという手法にたどり着いた。
《文化会館》の前に降り立ち、コンクリート製の巨大なゲートをくぐり、ゆるいスロープを登っていく。敷地はもともと塩田跡の埋立地で、《文化会館》の地盤はさらに盛り土によって2メートルほどかさ上げされている。スロープを上がると、北側に隣接する《健康福祉交流センター》――こちらも増田の建築作品である――とのあいだに設けられた中庭広場が広がり、その奥の撫養川へ抜けている。床はタイル張りの硬質な空間だが、広さは絶妙で、大きすぎることはなく、適度な親密感を醸し出している。ルイス・カーンの《ソーク研究所》(1965)のプラザを想起させるが、《鳴門市文化会館》の方がより禁欲的で厳粛に思える。それはコンクリート打ち放しルーバーの強い表現性によるのだろう。
中庭広場には、エントランス・キャノピーが突き出している。天井高はわずか2,225mm。このキャノピーに潜り込んで扉を開けると、高さ約10mの吹き抜けの明るいホワイエがいっきに広がる。7,200mmの正方形グリッドに配された柱群が、大空間のなかにスッと立ち上がり、格子上の梁を支えている。柱は十字型で足下に向かってすぼんでいて、梁も下端が絞られ、スレンダーな印象を強めている。この柱梁の構造フレームから1,200mm屋外側にセットオフしてルーバーが整列する。
ルーバーのピッチも1,200mm。この寸法は柱間7,200mmの1/6である。高さに対してかなり薄く見えるルーバーの見付は150mm。こちらの寸法は、ル・コルビュジエのモデュロールに倣ってつくられたモデュールから選択された。ルーバーに限らず、建物全体がこのモデュールによって理知的にコントロールされているのだが、ホワイエ空間には押しつけがましい理屈っぽさはなく、むしろ心地よいリズム感と秩序感を生み出している。そしてルーバーが拡散させる光がガラス越しに室内に浸透し、明るくやさしい雰囲気を漂わせている。ルーバーはコンパネではなく、1尺×6尺パネルを型枠とすることによって、表面に目地が荒くあらわれ、光をよりいっそう拡散させている。外から見れば、それは厳しい表情をもたらしていたが、内部には一転して柔らかい「ほのあかるさ」を与え、内外のまったく異なる印象が来訪者に驚きと感動をもたらしている。
この柔らかい光を損なうことなく、むしろ強調しているのが光天井だ。梁の格子フレームのなかには、4×4に割り付けられた計16枚の乳白アクリル板。これらによって天井面がほんわりと均一に光る。ダウンライトは最小限に限定され、空間を射す鋭い光線は抑制されている。
ほのあかるい空間が、明暗のニュアンスを微妙に変えながらも、ホワイエ全体に連続的に広がる。それに加えて、各所に配された光のアクセントが空間の豊かさを増している。まず目につくのは、入口から入って正面奥に見える金色に輝くルーバーだ。図面では色は「白」と指定されているが、現場で「金」に変更されたようである。この金のルーバーは他のルーバーと異なって、斜めに傾けられていて、真正面からはガラス面がほとんど見えない。横から滑り込んでくる光によって、ルーバー面がほんのりと金色に輝く。舞台の金屏風のようにも見え、穏やかな光に包まれたホワイエ空間に、晴れの場にふさわしい華やかさと正面性を与えている。
東側のルーバー・ファサードの一部に挿入された壁面には、「色光窓」と呼ばれる装飾的な窓がある。壁に刻んだ4つのスリットからなる窓で、アクセサリーのように壁を飾っている。「色光窓」は、ロビーとホール客席をつなぐ通路の壁面にも設けられている。ル・コルビュジエの《ロンシャンの礼拝堂》(1955)の光の壁を模したもので、形が異なる4つの穴には赤、青、黄、緑のアクリル板がはめ込まれ、ホール客席へと祝祭的な気分を高めている。
ホワイエからつながるロビーは天井高が2,750mmに低く抑えられ、ホワイエとは対照的に「ほのぐらさ」が漂う。格天井はすべてコンクリート打ち放し。格子の桟の下端見付は85mm、せいは325mmで、木製の造作かと見まがうほどの薄さになっている。格天井の意匠に合わせて、窓には三本引きの明障子がはめ込まれている。7,200mmの柱スパンとは異なり、ルーバー4ピッチ分、4,800mmで1ユニットを構成し、ルーバーと障子は縦スリットで切り離されている。RC造躯体と開口部の枠の分離は、増田の建築作品にしばしば見られる手法だ。日本家屋の障子は横に少しだけスライドさせて、チラッと外部を室内に引き込むことができる。そうした内外を完全に分離しない「半隔離」の状態を、躯体と建具のあいだの縦スリットが再現している。
増田の建築論の出発点には、〈建築とは隔離する壁である〉という考えがあった。しかし、日本建築の研究を進めるにつれて、庇や明障子など、西洋的な壁=隔離という概念では捉えられない空間的な特質に直面し、内外があいまいな両義的空間の様相を「半隔離」と捉えるようになる。そしてさらに、半隔離による内部空間の「ほのあかるさ」「ほのぐらさ」が呼び起こす得も言えない情緒に着目していった。
光の明暗が生み出す空間のニュアンスについては、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』をはじめ、日本人ならよく知るところではある。また、建築家の多くも日本的な光の空間について語ってきた。しかし増田はそこからもう一歩踏み込んで考えている。それはこうした空間のほのあかるさ、ほのぐらさが「自然」を象徴するということだった。
増田建築論の難解なポイントのひとつは、この「自然」の意味するところである。夢窓国師の西芳寺(苔寺)石庭を引き合いに出して、増田は次のように説明している。西芳寺の滝石組は水の流れを表す。しかしさらにその向こうに、自然そのものを象徴している。そして道元の次の禅語が示される。
「清浄本然なる山河大地を、山河大地とあやまるべきにあらず」(『正法眼蔵』)
「山河大地」とは、石や木や水など、目に見える自然物である。道元はそれとは別に、「清浄本然なる山河大地」を区別する。これは自然物ではなく自然(じねん)、つまり生々流転する自然の摂理を意味している。
石庭は水の流れを表すだけでなく、水の流れという自然の移り変わり、生々流転を象徴している。同じように、空間に漂うほのあかるさ、ほのぐらさは自然のうつろい、自然の摂理を象徴できるのではないか。増田はこのようなアイデアにたどり着き、それをコンクリート製のルーバーが拡散する光によって実現しようとした。ほのあかるさ、ほのぐらさがもたらす雰囲気、あるいは繊細な光の変化の美しさに人は心を動かされる。それはあかるさ、くらさが指し示すうつろう自然、自然の動きそのものに、心が動かされているからなのだろう。このように見てくると、《鳴門市文化会館》のルーバーによるほのあかるさは、増田の建築論の核心をみごとに具現化していることがよくわかる。
田路貴浩/Takahiro Taji
1962年、熊本市生まれ。京都大学大学院工学研究科建築学専攻教授。博士(工学)。専門は建築論、建築設計。現在、鳴門市文化会館および鳴門市健康福祉交流センター改修事業の監修に携わる。著書に『イギリス風景庭園』(2000 年)、編著に『環境の解釈学』(2003年)『日本風景史』(2015 年)、『分離派建築会』(2020年)、『増田友也の建築世界』(2023年)。建築作品に「積水化学工業京都技術センター」「ヴィラ九条山」(以上、京都大学加藤邦男研究室にて)、「ワテラス・スチューデントハウス」(2013年)、「三輪山会館」(2019 年)など。分離派建築会の研究で日本建築学会賞(業績)(2023年)受賞。