WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 窓からのぞくアジアの旅

第5回 張村「地下の都合」(前編)

田熊隆樹

09 Dec 2016

乾いた黄土色の大地に、四角い穴があいている。

  • 黄土色の大地にあけられた、大きな穴

その穴の中に、暮らす人々がいる。

  • 穴の中の暮らし

河南省三門峡市にある、張村という村を訪ねた。

ここは中国、黄河の中・上流域に広がる「黄土高原」に位置する。大地をつくる細かな黄土は、ずっと昔から、西方の砂漠より飛んできた粒子が100mも200mも堆積したものであるという。日本でもときどき耳にする「黄砂」はここからやってくる、と聞けば少しは身近に感じられるだろうか。

この黄土高原には現在でも地下の穴に住む人々がいて、その家は「ヤオトン」と呼ばれている。バーナード・ルドフスキーの『建築家なしの建築』(1964)で見知っている人も多いだろう。

もちろん、穴の中に住むのには理由がある。大陸性気候の影響で夏と冬の寒暖差が激しいこの場所では、地中で暮らした方が、夏を涼しく、冬を暖かく過ごすことができるからなのだそうだ。黄土高原に暮らす人々の知恵である。

それにしても、本当にまだそんな暮らしが続いているのだろうか。そこで、僕は確かめに来たのである。

……結果はまずまずであった。

やはり村の中には、打ち捨てられたヤオトンも多かった。地下のヤオトンを物置にして、地上に小さな小屋を建てて住む人もいた。

  • 崩れたヤオトン

それでもヤオトン暮らしが完全に無くなったわけではなく、小さな村の中には現役の「穴」がポツリポツリと見られる。

あるヤオトンを地上から覗くと、母親と息子が昼ごはんの支度をしていた。中は暗くてよく見えないが、大地と同じ黄土色のかまどを使っている。調理場の煙で煤けた内部の黒さが、その穴の古さを物語っているようだ。

  • 地下で現役のヤオトン生活を繰り広げる親子

使われているもの、使われていないものはあるけれど、かつてこの村の住居のすべてがヤオトンだったのだろう。歩いているうちに次々と出会うことができた。

村内で唯一の宿に泊まらせてもらった。御多分に漏れず、ヤオトンである。ここは古いヤオトンを綺麗に改装し、外から来た人に見せられるような施設にもなっていた。壁はむき出しの黄土ではなく漆喰で塗られ、レンガで飾られている。その「穴」のひとつが僕の部屋となった。三食付きで、1200円くらいという破格だったと記憶している。他の宿泊客は、ひとりもいなかった。

  • 綺麗に改装されたヤオトン宿

せっかくヤオトンに泊まるのだから、自分の部屋を実測してみた。

奥行き6mほどの部屋の中は白く塗られ、手前に「カン」という黒レンガでできた伝統的な寝床と、奥にダブルベッドが置いてある。久々の来客なのだろう、二つ並べられた椅子の上にはうっすらとホコリが積もっている。

  • 宿泊した部屋の実測図

中は湿気がひどく、奥のベッドにいたっては布団がしっとりとしていた。カビ臭く、あまり気持ちのいいものではない。寝床の脇には調湿のために、腰の高さまで壁に新聞紙が貼ってある。この「新聞紙貼り仕上げ」の壁は今まで見たことがないものだった。

ヤオトンの開口部は、穴の入り口とその横の窓だけである。奥にいくほど湿気がひどく、穴を掘れば無限に住空間がつくれるわけではないことを身をもって知った。

ヤオトンとの出会いは、「地下の都合」との出会いであった。(中編に続く)

  • 穴の奥から、外気と光をもたらす入り口を見る

 

 

田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2014年4月より早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程在籍。2014年6月、卒業設計で取り組んだ伊豆大島の土砂災害復興計画を島民に提案。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する (台湾では宜蘭の田中央工作群にてインターン)。

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