第1回 上海・窓から生える鉄の棒 (前編)
06 Sep 2016
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上海に来て、騒がしさに驚いた。わるい意味じゃない。食堂に行っても市場に行っても、自分を主張しないと話なんて聞いてもらえないような場所が上海だった。立ち並ぶ高層ビル群は、中国最大都市としての発展をものがたり、そのシルエットは、地下鉄の切符を飾るアイコンとなっている。
もはや見慣れてしまった景色を少し外れてみると、人々の過密な生活の場所が現れる。魚を地面に広げて売る男性、広場に集まり大勢で踊る婦人たち、二胡 (弦楽器) をすわって弾くおじいさん、交差点には大量の下着を売る商人など。地上には庶民の生活の匂いが溢れている。
ここでは、夜飯も10元 (約200円) くらいで食べられる。貧乏旅行の僕にはこのくらいが丁度いい。食堂では席の案内なんてことはされない。自分で欲しいものを大声で注文し、混雑する中をかき分けて席を確保するのだ。最初の夜は老夫婦の隣で麺をすすった。彼らは余ったおかずをタッパーに入れて、持ち帰っていった。
都会ではあるが、上海の庶民たちは英語を喋らない。言葉の通じない僕でもしっかり食事ができてしまうのは不思議だ。人間のすることなんて、ほとんど同じなのだろう。
彼らのほとんどはこの過密な場所で集合住宅に住んでいる。こうした集合住宅のうち、古いものは「里弄 (リーロン) 住宅」といわれる2〜3階建ての長屋風の住宅で19世紀後半〜20世紀前半の上海にたくさん建てられたものだった。これらは租界 (外国人居留地) 時代の産物であり、都市としての上海と共に生まれたものである。
今でも残るそれらの中には「石庫門」という中洋折衷住宅もあり、観光用に改修され、生まれ変わっている。低層の古い住宅は材料や構成が様々で、見ていて飽きない。都会の中に残るその建物は誰の目にも珍しく映るようで、多くの人で賑わっていた。
比較的新しい集合住宅は5〜6階建てのものが多く、日本の団地に似ている。ボンボンと立ち並ぶ単調な景色のなか、頭上に目を向けると、なんだか違和感があった。建物の窓から、鉄の棒がたくさん生えている。
僕が見たいものはこういうものなのだ。彼らにとって当たり前のことなのかもしれないが、僕には変わって見える。歴史に書かれそうもない日常。この鉄の棒からのぞける上海があるかもしれない。こういう発見をしたあとは、単調と思っていた建物たちが一気に面白く見えてくる。鉄の棒をめぐって、上海を歩いてみようと思った。(後編に続く)
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2014年4月より早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程在籍。2014年6月、卒業設計で取り組んだ伊豆大島の土砂災害復興計画を島民に提案。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する (台湾では宜蘭の田中央工作群にてインターン) 。