06 Sep 2016
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2016年5月24日~8月7日に開催された、東京国立近代美術館所蔵作品展において、「窓と写真」をテーマとする一室が設けられた。これまで窓と写真のかかわりを独自に考察してきた写真家ホンマタカシが、窓をテーマとして集められた国内外の写真について、本展を企画した主任研究員の増田玲と語る。
ホンマタカシ (以下:ホンマ) 今回の展示「窓と写真」のテーマにはどのような思いがありましたか?
増田 玲 (以下:増田) 2012年に東京国立近代美術館(MOMAT)の所蔵品ギャラリーを建築家の西澤徹夫さんがリニューアルした際に、窓のある展示室がつくられたということもあって、ここでいつか窓をテーマにした展示をやりたいなと考えていました。
以前ここで『壁に向かって』という企画展示をおこなったとき、今回と同じように壁に向かい合って撮られた写真をテーマにしました。真正面から撮るとか、少し角度を付けて撮るとか、写真と壁というのは面白いキーワードだなと感じました。そのとき同時に、「窓と写真」の企画を思いついたんです。
写真業界で窓というとまず思い浮かぶのが、ニューヨークのMoMAで開催された「Mirrors and Windows」展 (1978)がありますね。
ホンマ そうですよね、ジョン・シャーカフスキーの。
増田 あれの場合は、窓というキーワードは比喩的な意味で問題設定していますよね。今回は文字通り窓が映っている写真というのを集めて、それを基準に写真のことを考えようとしました。
ホンマ では、ひとつずつ見ていきたいなと思います。いきなりもう、これがすごく格好いいなと思いました。
増田アルフレッド・スティーグリッツの有名な雲の写真が撮られた、ニューヨークのアップステートにある別荘の周辺を撮ったうちの一枚です。
ホンマ アップステートなんですね。
増田 はい。ジョージ湖畔の別荘で、人物や風景などいろいろと撮っているなかで、これは鶏小屋の窓です。この作品は、割と窓の反射で内側と外側があいまいになるように撮られています。スティーグリッツの写真のなかで、このような撮り方をしたものは実はあまりない。あのスティーグリッツも窓も撮っているという。
ホンマ 撮りたくなりますよね。日本だと大正12年と考えると、すごいですよね。
あと、いま読んでいる多木浩二さんの本のなかに、ユダヤ人問題について書かれた箇所があって、ちょうどこの安井さんの写真が出てきたんです。
そういえばこれも窓ですよね。 (亡命したユダヤ人たちが) 隠れているのを、カメラクラブ3~4人で、神戸まで写真を撮りに行ったって書いてありましたね。
増田 これは、たまたま窓から顔をのぞかせている様子を非常に暗示的に撮った作品です。彼らが普通に表に出てきて、くつろいでいる様子を撮った写真もありますよね。
ホンマ そうですね。しかもそのときのメンバーのひとりに手塚治虫さんのお父さんがいたという。
増田 手塚さんのマンガの『アドルフに告ぐ』の物語の最初の舞台が、この時代の神戸なんですよね。きっと手塚治虫さんはこのことを知っていたのではないでしょうか。
ホンマ この写真は、合成したようにも感じますね。
増田 この写真はネガがないらしくて、私たちが所蔵しているのはモダンプリントのポートフォリオなのですが、オリジナルプリントを高性能のデジタルカメラで複写して、新たなネガを作っています。それに写っていたものを見ると、窓のなかに肉眼では見えないものがたくさん見えてきたという話を聞きました。
ホンマ この写真はそば屋と中華料理屋が写っていますね。どこで撮影されたものですか?
増田 これは大辻清司さんが代々木上原の町から渋谷に出掛けていく道すがら撮ったシーンです。
ホンマ 今でもありますもんね、篠原一男設計の大辻邸 (『上原通りの住宅』、1976)。印象的ですよね。あそこの路地を撮った16ミリフィルムのムービーがすごく好きです。
増田 あの通行人の出てくる。
ホンマ そうそう。舞台のようで。
次の写真、やっぱりロバート・フランクは、『アメリカンズ』 (1958) からですか。
増田 これは48年なので、『アメリカンズ』 (1958) より前の作品だと思います。
ホンマ いろいろ撮っているんですね。アメリカ国旗が窓の中にあるという作品です。
増田 これは文字通りの「ミラーズ・アンド・ウィンドウズ」です。
ホンマ そうですね。この写真は初めて見たかもしれません。リー・フリードランダーもこのような写真を何回も撮っていますよね。
増田 ウィンドウの写真のなかでも、特にその画面の構造が面白い作品です。一番外側のウィンドウに撮影者を含めたこちら側の世界が映っていて、さらにその奥にある室内の小さなミラーに反射した撮影者の姿が重ねられています。
ホンマ そうですね。何重にもレイヤーになっています。この写真も格好いいですね。
そしてこちらは別な見立てですね。
増田 これは一昨年、MOMATで「奈良原一高 王国」展をしたときのものです。彼の写真集を見ていたときには気付かなかったのですが、展示でじっと見ていると、そこに窓が出てくるものの意味というのが分かってきて。
これは修道院での修道士たちの生活を撮ったものですが、外から見える窓と内から見える窓が繰り返し出てきます。外から見える窓は必ず反射するためなかを見せないけれども、内から見る窓は外界に向かって開かれている。ここに、沈黙のなかに閉じこもってしまう修道士の心理があります。内面はそこからは見えないけど、彼らの内面からは外に向かって、つまり神様とだけつながろうとしているという。きっと奈良原さんは、そうした意図でこの写真を写真集に入れてきているんだろうなと思います。
ホンマ そうでしょうね。結構そのあたりはナラティブですよね。
こちらは格好いいですね。はっきりと明暗がありますよね。窓枠と水平線が重なることで、遮られているんだけど、遠くに海が見える。
ホンマ これは窓を意識しているのですか。
増田 窓というより、これは窓を通して入ってくる光の効果がいろいろ面白い作品ですね。元の作品の文脈とは完全に切り離して、そこに注目しました。
ホンマ この古屋誠一さんの作品、直接的に窓は映っていないけれど、完全に窓ですよね。
増田 この写真は、亡くなった古屋さんの妻を撮影したシリーズ (『メモワール 1978‐1985』) のなかでも、とても重要な役割をしているイメージだと思います。もちろんこの段階では最終的に悲劇が待っているということに、まだ気付いていないんだけども、既にすごく暗示的ですよね。
ホンマ カラーになってからも、繰り返し似た構造で撮っているのがありますよね。
そしてこちらはなかから外を見るシリーズですか。白岡 順さん、こんなにたくさんこのシリーズを撮っているんですね。
増田 今回は出ていませんが、外からなかを見ているのもあります。白岡さんは、窓に限らず視界を遮るような不可解な何かに関心があったのではないかと思います。とりわけ窓は遮りつつも向こうを見せることができるという点で、不思議な空間をつくるモチーフですね。
ホンマ これはちょっとフランクのホテルのシリーズに似ている。あと、 (ウォルフガング・) ティルマンスは、窓の境界線に物を置いて撮りますよね。
増田 物が置いてあって、あくまで状況を撮っている。けれども、その境界自体を問題にするという点で、ティルマンスはやっぱり作家だなと思いますね。絵になりやすいし、なんらかのメタファーとしても扱いやすい。
ホンマ そうですね。でも今それをやると、下手するとちょっとベタになり過ぎる感がありますよね。難しいですよね。
ところで、もう学芸員的な文脈を外して見ると、増田さんとしてはどの写真が好きですか?
増田 このなかで一枚持って帰っていいと言われれば (笑) 。
ホンマ あるいは自宅用に好きにと言われたら? (笑)
増田 やはりフランクとか、フリードランダーのプリントですかね。自分のうちの壁にかけて眺めたいとすれば、奈良原さんの作品かな。
ホンマ 僕もフリードランダーとか、やっぱりはじめに見たスティーグリッツかもしれない。プリントの質感が、これが一番格好いいですね。
もうひとつ別の質問ですが、なぜ写真家は窓を撮ると思いますか。
増田 フレームと光が、カメラの仕組みに大切な要素で。そこが関係しているからですかね。窓の写真のフレーミングには、フレームのなかにフレームをつくるというチャレンジがあります。窓はさまざまな意味での境界になっていて、内と外を隔てつつ、つなげる。その両義的な存在が絵になりやすい。しかも写真自体の意味的な構造をいろいろなかたちで出せるモチーフだと思います。今回の展示で並べてみて、あらためてそう気付きました。
ホンマ そう考えると、これだけマスターピースがあるなかで、新しいチャレンジってどういうものがありうるのでしょう。最近の作家で面白いと思う窓の写真ってなにかありますか。
増田 橫溝 静さんのような方法は、新しいチャレンジだなと思います。
ホンマ このぐらい絞ったワンテーマの展示は、見るほうもすごく勉強になっていいですよね。
増田 MOMATの写真のコレクションはそれほど大規模ではないので、今回展示したスペースはわりと気楽に、でも大事なテーマを見せることができる。普段は一人の作家の小特集が中心ですが、でもたまには窓とか壁とか、写真史のこととか、作家のことを知らなくてもその場にある写真を見て楽しめるような特集をやっていければと。
ホンマ 今回の『窓と写真』に次ぐ企画はありますか?
増田 次はまだ全然考えてはいないんですけど、今回のように何か単純なモチーフで、実は深い問題を持っているものがきっとあると思いますね。
ホンマ 「鏡」はあえてやらない?
増田 鏡はなんとなく興味がわかないです。窓の場合は向こうが見える場合も、鏡としての機能をする場合もある。両義的な存在ということで、すごく考えが広がると思います。
ホンマ 今回の展示には含まれていませんが、イタリアのルイジ・ギッリの作品も、窓がたくさんありますよね。
増田 あの室内に対する感覚は、分厚い石の壁に窓が設けられた建物での生活が体に染み付いている、イタリア人特有のものなのかもしれないと思います。薄っぺらい壁に大きめの窓が開いている家屋で過ごしてきた日本人の感覚とは、ひょっとしたら違うのかもしれないですね。
ホンマ もちろんアメリカの感覚とも違ってきますね。日本の場合の窓は、障子だったり。
増田 境界がかなりあいまいですよね。
ホンマ アンドレアス・グルスキーの作品『香港、上海銀行』 (1994) 、夜景の、外からなかがバッチリ見える作品がありますが、あれも窓って言えるのですか。今どきの窓写真という意味では。
増田 今回展示している安井仲治作品や大辻清司作品と同じで、こちらの存在が向こうに知られていないけれど、こちらはあちらをのぞいている。あのような撮り方、視線の問題は、写真として窓を取り上げると当然出てくるものですね。
一方で、その窓が反射すれば、ひょっとしたらこちら側は見られているのかもしれないけれども、こちらからは自分の顔しか映っていないということが起こります。窓が画面に登場するなかで、写真に必ず関係してくる視線の問題がさまざまなかたちで浮き彫りになることも、今回この展示をやって、改めて確認できました。
ホンマ 僕も去年、窓研究所と取り組む「窓学」で、窓の写真を分類する研究をさせてもらって、当たり前過ぎてちょっと陳腐なモチーフだなと思っていたのが、まだまだもしかしたらやれることがあるのかなと思うようになりました。
そもそも窓というのが近代になってからできたもので、それまではもっと小さい窓もどきのものというか、見たり見られたりするためのものではなかった。それが近代になって、大きなガラスが開発されたことで、はじめて窓をとおして外が見られるようになった。そのような経緯があってこそ、それこそ横溝さんの作品も意味を持つものになったのだと思いますね。
そういうわけで、窓の可能性というか、それをもう一度考えてみてもいいかなと。今、もうちょっとリサーチしようかと思っているところなんです。それから、こちらから見えるということも気になっています。どうして惹かれちゃうのかな。
増田 今の時代に日常的な、デジタルカメラで撮るという行為だと、のぞいている感覚というのがないですよね。
ホンマ ありませんね。
増田 実は、のぞいている感覚がなくなっているけれど、写真には収まっている。のぞくというか、撮る人と撮られる対象との視線の関係性みたいなことが、撮影体験として希薄になっているのかもしれません。
ホンマ そうかもしれませんね。
増田 のぞいて撮っているというよりは、目の前にある情景をコピーしている。
ホンマ スキャンしているというか。のぞくこと、そうした視線のあり方は確実に変わってきているでしょうね。面白いですね。
ホンマタカシ/Takashi Homma 1962年東京生まれ。2011年から2012年にかけて、自身初の美術館での個展『ニュー・ドキュメンタリー』を、日本国内三ヵ所の美術館で開催。写真集多数、著書に『たのしい写真 よい子のための写真教室』、2014年1月に続編の『たのしい写真 3 ワークショップ篇』を刊行。現在、東京造形大学大学院客員教授。
増田 玲/Rei Masuda 1968年生まれ。筑波大学大学院地域研究研究科修了。1992年より東京国立近代美術館に勤務。近年担当した主な展覧会に「高梨豊 光のフィールドノート」 (2009年)、「鈴木清写真展 百の階梯、千の来歴」(2010年) 、「ジョセフ・クーデルカ展」 (2013年)など。
展覧会 「MOMATコレクション 窓と写真」
会場/東京国立近代美術館 9室、会期/2016年5月24日(火)~8月7日(日)
http://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20160524/#section1-2