WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載ホンマタカシ対談

横溝静 × ホンマタカシ
アイディアの源泉

ホンマタカシ (写真家) × 横溝静 (芸術家)

09 Oct 2015

Keywords
Art
Arts and Culture
Contributions
Photography

窓を通しての他人との距離を写真で捉えた作品『Stranger』シリーズは、芸術家・横溝静の代表作のひとつ。この独特な空気感を持つ作品の誕生には、自身の体験が大きく関係しているという。自身も新作を出展する企画展『アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋——日本と韓国の作家たち』が開催中の東京・六本木の国立新美術館で、現代写真家・ホンマタカシが、そのアイディアの源泉を探っていく──

 

ホンマタカシ (以下:ホンマ)  横溝さんは窓の写真で有名ですが、今回の展示作品を見させていただいて、単なる平面の写真だけでなく、どんどんと広がっています。あらためて、いわゆる写真家ではなく、コンセプチュアルアートですよね。

横溝静 (以下:横溝)  写真というくくりで作品をつくってきた意識があまりないんです。写真というのはあくまでもドキュメンテーションのツールという気がしていたのですけれども、今回、初めてイメージというものを考えるようになって、それで写真とも向き合った。写真家と言ってくださる方が多いのですが、自分ではそういう意識はないです。最初は彫刻科にいたので、写真というもの自体、最初からモノの部分、つまり紙であったりフレームの木であったり、そういったものも含めて作品をつくってきました。写真を撮る、その後もまだある。そういうつくり方はしてきたという気がしています。

ホンマ 『Stranger』シリーズがひとり歩きした、というところはありますか。

横溝 あれは、たまたまそういう状況にいたというのがあります。自分が外国に行ってストレンジャーである状況、疎外感というか、乖離感というのでしょうか。自分が違うカルチャーにいて、周りとしっくりこない部分がたくさんあるのですけれども、そういう自分の存在感にすごく敏感になっていったときがあって。例えば道路を歩いていて、イギリスの建物はわりと窓が道路に面していて、夜は結構カーテンを開けていたりして、中が見えるんです。

その中で起こっていることを、自分は外から見ているのに自分自身はその中にいないという乖離感がありました。その感覚が、私とこのカルチャーとの間にある違和感と重なって、どうやったらこの距離感を表現できるかなと。多分そのときにいろいろ試行錯誤して、あの作品になっていったんだと思います。なので、日本にいたらそもそもつくらなかったのでは思います。自分がストレンジャーであるという状況、地に足がついてない、環境と自分がブレンドしてない、そこからできたものだと思います。

写真というのは自分のビューポイントをそのまま視覚化できる。彫刻だったら、そこに置いて、あちこちから見ますけれども、写真は直接の自分の視線が形にできるので、そういった意味で表現の媒体として必要でした。

ホンマ 写ってないけれども「自分がここにいるぞ」というのが、分かるということですね。

横溝 そうです。私は自分が写真を撮られることが苦手なんです。それはなぜかとずっと考えていて、思いついたのは、写真を撮ることが自分の存在の確認の1つの方法であって、それをほかの人から撮られると、自分がつくり上げていこうとしている自分の存在感を逆に壊されるような気がする。そういうものがあるのかなと。『Stranger』を撮ったときもそうなのですけれども、自分の存在の確認、どういうふうに自分がここにいるということが構築されているか、その確認として、自分の視線そのものを形にできる写真というメディアを選んだのだと思います。

ホンマ あの『Stranger』の作品の場合、すぐれているなと思うのは自分がストレンジャーとしてこちら側にいて、被写体を見ているという視点もありますが、窓を隔てているせいなのか、向こうから見られている感じもしますよね。

横溝 そうですね。窓はひとつの装置でした。自分がストレンジャーのままで、相手もストレンジャーのままで、どのくらいまで距離を縮められるかなということを視覚化したかったのです。夜に撮影をしたのですが、なぜかというと、その人に部屋に立っていただいて、電気をつけていただくのですけれども、そうするとやはり、その人の選んだ照明や光なので個性もあって。その人の家のフレーム、外を見ているフレームがある。そして、それがあることで向こうも安心していられるからです。

ホンマ そうですね、安全地帯にいますものね。

横溝 あのプロジェクトはお互いにすごく怖いんです。向こうもそうだったと思うのですけれども、すごく緊張するし。私がカメラを持っていって直接目の前に立ったら、向こうのほうが力が弱いというか私のほうが強くなってしまうと思うんです。だけど、窓を隔てることで、向こうは守られているし。その怖さと緊張感のバランス、あと、自分がどこまでコントロールできるかというバランス、その点は気をつけていました。

ホンマ 実際にはどのような手法で撮影されたのですか。

横溝 最初は、私もやるのが怖いので、あと、警察に通報される可能性もあるので、最初はテストケースとして友だちに聞いて回りました。例えば、お友だちでも誰でもいいのですけれども、「グランドフロアで、家の窓が通りに面しているお家に住んでいる方ご存じですか」と聞いて、もし知っていたらその人の名前も性別も年齢も、私には全く教えないでって。そうお願いをして、いくつか住所をいただいてやりました。

  • 《Stranger No.10》 (1999) ©Shizuka Yokomizo

ホンマ それで時間を指定して。

横溝 そうです。まずロケーションはチェックしなければいけないので、最初に行ってみて、「できそうだな、可能性があるな」と思ったら、お願いと、インストラクションを書いた手紙をハンドポストして。それで、その日が来るのをどきどきしながら待っていると。

ホンマ最初はイギリスですか。

横溝 そうですね。

ホンマ 何年ぐらいでしたか。

横溝 もう随分前です。1998年から2000年までやりました。その当日にバスが来ないかもしれないとか、どきどきしながら、なるべく早く行って、その時間になるまでうろうろして、5分前ぐらいにそこにセッティングして待つわけです。電気がついている場合もあるし、カーテンが閉まっている場合もあるし、とにかく待って、電気がついて出てきてくれた場合は撮ります。出てきてくれなかった場合はカーテンが閉まったままだとか、真っ暗だったりとか。

ホンマ 出てきてくれない場合もあったんですか。

横溝 あります。そのほうが多いです。

ホンマ ほかの国も入れて何件ぐらいやられたんですか。

横溝 全部で24作品ありますが、ロケーションなどを選んだせいもあると思うのですけれども、成功率は30~40%ぐらいです。出てきてくれないことのほうが多いです。


ホンマ 窓の話に戻りますけれども、窓というのは明かりとりの要素が大きくて、あと、デザインが注目される要素です。でも、横溝さんの場合、それがその人たちに対して安全な場所を確保するものとして窓があるという見方をされていて、それは新しい窓の役割かなと思って。横溝さんがあのような作品をつくったことによって、窓の役割がまた1つ分かった感じがしました。

あと、そのたくさんの数を調べて、実際に撮影された24の中でもいいのですけれども、窓による違いとか、「ちょっと撮りづらいな」とか、何か気づきはありましたか?

横溝 建築としては、国によって建物の形が少しずつ違います。例えばベルリンでは窓が上の方に付いていて、グラウンドレベルから撮れないので、はしごを持って行って、はしごの上から撮るとか。パリは通りに面してすごく大きい扉があって、入ると中庭になっていて、窓はみんな中庭に面していますので、どちらかというと私のほうが見られているんです。向こうもリラックスしているせいもあって、「冗談かと思ったよ」と出てきてしまうんです。撮ったのですけれども、それは使ってないです。

ホンマ それはストレンジャー性が、とてもネイバーフッドになっちゃっている。

横溝 そうです。お互いに言葉を交わさないという契約的なところが、そこでだめになってしまったので。そういうことが1~2件ありました。

日本では、窓がすごく大きな民家みたいなところで撮影しました。広島の田舎でやったせいもあるのですけれども、昔話の鬼みたいなものとか、異邦人みたいな、そういうものが村を訪ねてくるみたいな、フォークロア的なシチュエーションというか、自分が異空間からそこに来た人みたいな感覚がすごくありました。周りが漆黒の闇で、そこだけ家屋の光があってそこに人が立っているんですけれども、窓がすごく大きいから、こちらも吸い込まれる感じがするし、向こうも空間的にヨーロッパの家とは違う。ヨーロッパの場合は窓で隔てている感じで、パブリックとプライベートの部分はすごくくっきりしているのですが、日本の場合は縁側があったりしますし、そこがすごく曖昧です。その不思議な浸透感がお互いにありました。

ホンマ お互いに本当に吸い込まれちゃうような感じになるんですね。

横溝 そうですね。その人のおうちの光の質もあると思うのですけれども、そういう不思議な感じがしました。

ホンマ それは興味深いですね。

横溝 個人的には、文化人類学的なことはそれほど興味がそのときはなかったのですけれども、出会いだけが一番大事なのであって、それ以外のことは割とセカンダリーだったんです。だけど、窓に特化して考えてみると、そういったいろいろな違いがあって、特に顕著だったのはそこの部分です。やはりヨーロッパの、あるいは欧米の窓はちゃんと自分のテリトリーをつくっていて、それをパブリックにプレゼンテーションしているところがあって、窓のデコレーションもすごくはっきりパブリックに向けているというのがあります。

日本の場合は、東京の街を歩いていても植木とかがそこら辺の道まで出てしまっているとかいうのを見ると、住んでいる方の人格ではないですけれども、人の気配がパブリックの部分まで出てきている、すごく流動的なところがあるなと思いました。

ホンマそのコミュニケーションはおもしろいですね。日本では特に古い団地だと、どこからどこまでが自分の家だか分からないですものね。

横溝 そうですね、それは日本にいてすごく感じました。

ホンマ 僕がこのひとつ前に対談させてもらったアトリエ・ワンという建築家ユニットの塚本由晴さんは、むしろ今こそ、それをどんどん広めたほうがいいのではないかと言っています。縁側的な、プライベートなのかパブリックなのか分からない空間をどんどん増やしていこう、みたいなことを意識的に提案していて、それもおもしろいなと思いました。

横溝 具体的にどういうことをやってらっしゃるんですか。

ホンマ 使い道が、例えば欧米だったら、「ここは何々のための場所ですよ」というのがはっきりしていると思うのです。しかし、「こう使ってもいいし、ああ使ってもいい、みたいな場所を増やそう」と言っていたり。ほかにも、SANAAという妹島和世さんたちのところは、長屋みたいのをつくっています。例えば10戸の集合住宅なのですけれども、庭は共用みたいになっているのです。それをわざとやっています。だから、知り合い同士じゃないと気まずいのですけれども、それを東京でも京都でもつくっていて、いい人たちが入ったら、すごくいいなとは思います。

横溝 私の今住んでいるところがそれに割と近くて、昔の靴工場だったところなのですけれども、ゲートがあって、ヤードになっていて、そこにいろいろなブロックのアパートメントが面していて、そのヤードがすごく小さいのです。だから、通りすぎるのがお互いに見えるし、生活感があるのですけれども、意外にお互いにあまり友だちにならないというか。そこら辺は、日本だと、いろいろ気を使って、やはりお友だち同士じゃないと気まずいのかもしれませんが、向こうだと、割とドライなので「ハロー」ぐらいというのはあります。

もう1つ思うのは、私はロンドンしか知らないのですけれども、公共スペースの使い方が向こうと日本とすごく違うなという気がしています。どう違うかというと、ロンドンだと「公共のスペースはあなたのものでもあるけど、でも、僕のものでもあるから、僕が好きなように使っていいんだ」という考え方です。日本だと、「私も使わせてもらうけど、あなたも使っているから気をつけて使いましょう、きれいに使いましょう、お互いにあまり迷惑をかけ合わないようにしよう」とか、そういう気遣いがすごく行き渡っているのですけれども、向こうは「迷惑をかけている」と言われなければ何をやってもいいというか。つまり、みんなが自分のスペースとして使っている感じ。だから、結構ワイルドなところがあります。

ホンマ 「自由に使ってください」というと本当に自由に使う。日本だと、自由に使ってくださいというのは、「遠慮して使ってください」という意味ですよね。

横溝 そういう意味ですよね。全然そうじゃなくて、本当に自分のために使います。パブリックスペースということに対しての気の持ちようが、すごく日本と違う気がします。

ホンマそれなのに、窓を通した視線については、そこはかっちりプライバシーが守られている。でも、日本はなぜかそこは曖昧、不思議ですよね。

横溝 それがすごくおもしろいですよね。そういう意味でまたおもしろかったのは、イギリスで『Stranger』をつくっていたときには、暗い通りで窓の前に三脚を立てて、向こうも私もお互いに見える距離で、私も隠れてやっているわけではないので、何をやっているか通行人は分かるわけです。でも、私がやっていると、避けていくんです。子ども以外は避けていただいて。それはそれで私にとっては非常に助かるのですけれども。

でも、ニューヨークでは、窓に防犯用の格子みたいなバーがあって、そういうバー越しに撮ったのですけれども、道行く人がみんな「何やってるの?」と聞くんです。プライベートな空間ということに関して、自分たちのテリトリーをすごく守ろうとしているのだけれども、パブリックな通りでは話しかけられたりして。イギリスの場合は、窓自体にそういったバーもないし、割とアクセスもいいのですけれども、通りを行く人はみんな避けていく。そういった違いがあって、おもしろかったです。

ホンマ 時間は何時ぐらいを指定するのですか。

横溝 皆さんがおうちに帰ってきているような時間、大体20時ぐらいです。

ホンマ この窓、がっちりしていますね(作品を見ながら)。

横溝 そうですよね。本当にがっちりしていました。撮っているときは本当に見えてないんです。彼女と目線を合わせて、対面しているということをするので、周りのディテールはほとんど見えていません。後から見えます。

ホンマ これもテレビがついていて、いいですね。

横溝 それはフットボールをやっています。サッカー。

ホンマ もちろん、これは指定したわけじゃなくて、この人がつけたのですね。

横溝 そうです、たまたまです。

ホンマ そういうのがおもしろいですよね。二重にフレーミングしているとも言えるけど、フレーミングを決めないで、向こうがフレーミングを決めているみたいな感じとも言えますね。コンセプトはガチガチに決まっているけど、コントロールできないものが入ってくるというのが、すごくすぐれたところだと思っています。普通の写真家だったら、何も考えずに適当に撮るか、ギチギチにコンセプトを決めて全部をコントロールしてやるか、大体、二極に分かれるのですが、それがミックスされているのがすばらしいと思います。

横溝 ありがとうございます。それはほかの写真作品のシリーズにも割とそういうところがあるのですけれども。何か自分の計算できないところ、何かが起こる部分を必ず入れる、実はそこに自分は期待しているところがあります。その分、やたら緊張してどきどきしますし、うまくいかないこともなくはありませんが、でも、何が起こっても、それが作品になる。起こらないことも作品になるので、そういう未知な部分、アンエクスペクテッド(予期しない、予想外の)な部分は入ってくることが多いです。

ホンマ 話を聞けば聞くほど、そういうことが出てくるというのがおもしろいです。普通、作品をパッと見て「あ、このコンセプトがいいな」と、ただ思うと思うのですが、そこに本当はアンエクスペクテッドがいっぱい入っているというのが何か深みになっているのかなと。

横溝 ありがとうございます。

ホンマ 僕も横溝さんの作品を、前から知っていたのですけれども、やはり何か引っかかるのですよね。要所、要所で思い出すところがあって、そこには二重構造が入っているのがいいのかなと思うのと、あと、先ほどから『Stranger』の話の中に、距離の問題もありましたよね。そのことについて、『Stranger』と『Distance』は同じぐらい重要なものとして、横溝さんの中にあるのかなと思いました。

  • 《Stranger No.5》 (1998) ©Shizuka Yokomizo

横溝 その人ではなくて、その人との距離感という意味ですか。

ホンマ はい。

横溝 そうですね。ある意味、窓自体がフレームになりますよね。つまり、私とそのストレンジャーとの距離感が、私がその人にとっても同じようにストレンジャーだったがために、その前に立っていただく、見ていただく人にとっても、視点はほとんど変わらない。つまりリプレイスできる立場に私は自分を置いたというか。そういう意味では、私以外の人が見ても、その距離感が変わらないということはあるという気がします。

  • 《Stranger No.24》 (2000) ©Shizuka Yokomizo

ホンマ だから、おもしろいですよね、最初の初動は、自分がストレンジャーだという気持ちが強かったのだけれども、作品にしたら、そこは置き換え可能だったという。

横溝 可能だった、そうですね。

ホンマ あと、もっと深読みすると、例えば刑務所とかで知っているのだけれども近寄れないみたいな、距離感も感じますよね。面会に行った時みたいな。

横溝 透明だけれども、間にしっかり窓という物体があるからでしょうか。やっているときはすごく不思議な距離感で、目と目を合わせて、親近感とはまた別なのですけれども、その人がそこにいるという認識がお互いにありました。でも、実際の距離は、フィジカルには近くても心理的にはすごく遠い、そのせめぎ合いみたいな感じ。

  • 《Phantom》2006-07
    『アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋——日本と韓国の作家たち』出展作品

以前、どこかで話したこともあるのですが、この人たちに、「こういうふうに撮れましたけれども、展覧会に出しても良いでしょうか」ということをお伺いするために小さいプリントを送るのです。そのときに、私の住所などを書いて送るのですけれども、手紙が返ってきたことがありました。「すごく近く感じたけど、ものすごく遠くもある。」そういう感想でした。妙にフィクションみたいなんです。お互いに窓を挟んで登場するから。私も暗闇の中から登場するし、向こうも窓を挟んで登場するし。なので、シアターみたいなところもあって。

ホンマなるほど。幕が開いたみたいな。

横溝 そうです。お聞きしたかったのは、私はアノニマスなリプレイスできるストレンジャーになっていると言ったのですけれども、ホンマさんの写真からは、そこにいない感、自分の気配が消えているのに、そういうものがあるような気がしました。

ホンマ 僕はそのことに結構気をつけています。それに加えて、技術的にも、僕は4×5という大判のカメラを使うのですけれども、人間を撮るときにも水平、垂直を出すんです。それで、その範囲でなるべく歪まないように撮っているのもあるし、距離も多分、普通の人よりも離れていると思います。そのことがあるのかなと思っていて、そこは、僕が写真を始めたころは「作家性で、もっと自分を出せ」みたいなことを言われたのと逆の反動で、ないほうが僕のコミュニケーションとしては気持ちいいなというのがあって。でも、それが見る側にも、本当にリプレイスして見えるのではないかと思います。

横溝 そういうことかなと思って、おもしろいなと。

  • 《Effigy》2014
    『アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋——日本と韓国の作家たち』出展作品

ホンマ 僕も91~92年とロンドンに住んでいたんです。住んでいたときに、一番おもしろいなと思ったのは、半地下の部屋が結構あることでした。あれがおもしろい視覚で、下半身だけ人が見える、みたいな。あれがロンドンの住宅で一番印象に残っています。

横溝 そうですね、地下なので湿気がすごくて結構じめじめしているのですけど。

ホンマ そうそう。もう何年ぐらい住まわれているのですか。

横溝 もう言いたくないぐらい長いんです。もう日本にいた期間を超えてしまいました。

  • 《A flight before light》2015
    『アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋——日本と韓国の作家たち』出展作品

──普段の生活の中で、窓と向き合っていらっしゃいますか? そういう生活者としての積み重ねなのか、表現者としての積み重ねなのか、ものとの向き合い方のところで、窓に思い入れがあったのでしょうか。

横溝 建物というのはその国のカルチャーをすごく反映していると思います。

  • 《A flight before light》2015
    『アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋——日本と韓国の作家たち』出展作品

窓は、その国の建物にあるものですよね。建物は文化ですから、その在り方がその国の人たちの在り方とすごく共通する部分があるというか。私がイギリスにいて、その国の人たちとやりとりをしながら住んでいったときに、その人たちの在り方が、やはり建物の在り方にも反映していたと思うのです。だから、窓に反応したというのは、私というストレンジャーと、向こうのそういったネイティブの人たちの間のやりとりというのの、変な話、物理的な固さとか、あと、窓から出てくる光の加減とか、そういうのが人間同士の在り方に共通するものがあったからだと思うのです。だから、やはり反応するものが絶対にあったのだと思うんです。

──建物の壁も、日本家屋だと木造だから、ペラペラで薄く、イギリスだと組積造で厚みがあるとか、そういう違いもありますよね。

  • 《Untitled (Host)》2015
    『アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋——日本と韓国の作家たち』出展作品

横溝 そうですね。だから、そういったカルチャーに入り込もうとしているというか、自分が住んでいて、何か表現していくみたいなことをしているときに、どこから入り込むかということは、意識はしていなかったと思うのですけれども、そういうことはあったのではないかと思います。

──窓は家についているので私有物ですけれども、ストリートにも面しているので公共の空間とも接していて。社会的な場所でもあります。

横溝 あと、建築家の方々が考えてつくっているというか。一度、コルビュジエが設計したリヨンのラ・トゥーレット修道院に、グループ展で訪れたことがあります。あそこは全て人間の尺でつくられていますよね。行くと、それがすごくよく分かって。一日そこに滞在したのですけれども、人間を中心に置いて考えていることが、本当に建物に反映されている。そこでそれを具体的にすごく感じました。私は日本家屋に住んだことはないのですけれども、実際に住んだら、感じるものがあるのだろうなと思いましたね。

 

 

ホンマタカシ/Takashi Homma 1962年東京生まれ。2011年から2012年にかけて、自身初の美術館での個展『ニュー・ドキュメンタリー』を、日本国内三ヵ所の美術館で開催。写真集多数、著書に『たのしい写真 よい子のための写真教室』、2014年1月に続編の『たのしい写真 3 ワークショップ篇』を刊行。現在、東京造形大学大学院客員教授。

横溝静/Shizuka Yokomizo 1966年東京生まれ。1989年中央大学文学部哲学科卒業。1990年ケント・インスティチュート・アート・アンド・デザイン基礎課程卒業。1993年チェルシー・カレッジ・オブ・アート&デザイン芸術学科彫刻選考卒業。1995年ロンドン大学ゴールドスミス校芸術学科修士課程修了。2005年から2006年文化庁新進芸術家海外留学制度派遣研修員としてロンドンに滞在。現在ロンドン在住。

横溝静 出展中の展覧会
『アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋——日本と韓国の作家たち』 会場/国立新美術館 企画展示室2E、会期/2015年7月29日(水)~10月12日(月・祝)、開館時間/10:00~18:00 ※金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)、休館日/火曜日
http://www.nact.jp/

撮影協力/ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ(国立新美術館3F)
http://www.paulbocuse.jp/musee/

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