第8回 鳩小屋の浮かぶ町
17 Aug 2023
農地の中にポツンポツンと建つ家。その上に浮いている小さな小屋。台湾の地方で暮らしていると遅かれ早かれ気づく、少し変わった風景だ。
台湾では、家の屋上に鉄骨とトタン屋根でつくった簡単な小屋が増築されていることが多く(その多くは許可を取っていない増築であるらしい)、そういう簡単な小屋を総称して「鐵皮屋(ティエピーウー)」と呼んでいる。同じく増築した出窓なんかもよくあり、大抵そこには、いつまでも乾くことのなさそうな洗濯物が干してある。とりわけ台北などの都市部におけるこれらの風景は圧巻で、とにかく少しでも多くの面積を確保してやろう、怒られたら壊せばいいじゃない、という台湾人のアグレッシブさが感じられる。
しかし僕が住む宜蘭の自宅周辺の田んぼに建つ、青や緑のカラフルな小屋たちは、実はちょっと変わった用途をもっている。聞くところによると、これらは「鳩小屋」らしい。それも、鳩レース用の鳩小屋だという。と、ここまで読んだ人の多くは「鳩レース?」と思うだろう。僕も知らなかった。
鳩レースとは、鳩の帰巣本能を利用して、訓練された鳩を海上から放ち、鳩小屋に戻るまでのタイムを競うレースのことである。なんだか仕事を引退したおやじたちの呑気な趣味のように聞こえるが、そう馬鹿にもできない。
2005年に制作されたドキュメンタリー映画「賽鴿風雲(The Pigeon Game)」によれば、台湾の鳩レースは賞金100万USドルにもなる規模の大会であり、この競技だけで「食っている」おじさんたちがたくさんいる。優秀な鳩は驚くほどの高値で取り引きされ、その鳩を交配させてレース用の精鋭たちをつくっていく奥深い世界だ。この文化はヨーロッパや中東など世界各地でも長い歴史をもち、イギリスでは王族も参加するほどの地位を得ているらしい。台湾ではギャンブルとしての側面ももつため公式には認められていないが、中国と共に近年盛り上がっているらしく、現代台湾を知るうえで無視できない存在であることも確かだ。ちなみに日本では、賞金のない純粋なスポーツとして楽しむ愛好家がいる。
とにかくこの「浮いた小屋」は僕の興味をそそった。暇を見つけては、町のいたるところにある鳩小屋を観察して写真を撮っていた。
小屋は、基本的に壁面の大部分がガラリ(ルーバー)もしくは金網になっており、通風を確保しているようにみえる。スカスカの小屋、という点では以前中国のウイグル地域で見た砂漠のぶどう干し小屋と少し似ているかもしれない。
そしてこうした小屋からは大抵、櫓(やぐら)のような部分が頭ひとつ飛び出ている。飼い主は大体ここにいて、四周につくられたアルミサッシの窓から外を観察している。さらにバルコニー空間は必須で、彼らはここで赤い旗を振ったり、ロケット花火で音を出したりと、鳩の飛行訓練に余念がない。鳩小屋であることを知らないうちは、家の近くで毎日花火が上げられているのを聞いて、宗教的な活動か何かだと思っていた(台湾の宗教的な活動では爆竹が欠かせないのだ)。
自宅の近くにある鳩小屋のおじさんに、中を見学していいかと声をかけてみる。獰猛な犬が騒いでいてあまり聞こえなかったが、承諾してくれたようで、敷地内に案内してくれた。
彼の鳩小屋は比較的新しく、6年前に建てられたものだそうだ。黒い箱のような1階の生活スペースの上に緑色の鳩小屋が二つ載り、櫓も両端に二つぴょこりと飛び出ている。コンコンと鉄骨の階段を上がり、2階のテラス部分にお邪魔する。
外から見ていると分からなかったが、ガラリは意外にも全て木製で、繊細なつくられ方をしている。二つある小屋はレース時期が違うのだそうだ。それぞれの鳩小屋は内部で大きく二つに仕切られ、一方は「休息用」、もう一方は「運動用」になっているという。
とくに休息用の部屋は外のガラリで暗さを確保した上、木製の籠・木製の格子戸で仕切られ、とても清潔に保たれている。木を使うのは急激な温度変化を防ぐためと、鳩を傷付けないためだろう。晴れた日だったこともあって、ガラリと格子戸の重なりで濾過されたような光が美しかった。僕が訪れた時は数羽の「選手」しか残っていなかったものの(何回かに分けたレースの最中で、回を重ねるごとに鳩が減るらしい。残酷な世界だ)、この繊細な環境調整が鳩たちのコンディションを左右するのだ。おじさんは言う。
「鳩も人も同じだよ。人が気持ち良い空間は、鳩にも良いんだ。」
一方、運動用の部屋は南に面しており、外壁は金網+格子戸で、比較的明るい空間となっている。一段上がった金網の床下には排泄物の処理がしっかり計画されていて、樋に集められた汚水は床下の排水管を通って出ていく仕組みになっている。なるほど小屋が浮いているのには、実際的な理由があったのだ。
この暗い空間と明るい空間の併置は、鳩たちに毎日のリズムを与えていそうだ。そして僕は、アジア各地で見た伝統住居を思い出す。それら民家の多くにも、「暗く暖かい空間」と「明るく開放的な空間」が併置されていて、人々は昼と夜、また夏と冬でその空間を使い分けていたのだった。空調がもたらした建物の変化によって、我々はすでに生活のリズムをいくらかなくしてしまったのかもしれない。「人と同じように」温度や湿度を配慮されたこの鳩小屋から、僕らが学び直せることも少なくないはずだ。
おじさんによれば、こういう鳩小屋はそれをつくる専門の会社があって、各種のプロトタイプから選んだり、組み合わせたりしてつくるらしい。たしかに、色やバルコニー部分での個性はあるものの、根本のつくり方は似たような小屋が多い。鳩レースの世界は、現代台湾でひとつの建築タイプを生むまでに至っているといえよう。
鳩小屋の上の、櫓の部分へ登ってみる。外から見た通り、四周に開けた気持ちの良い空間だった。おじさんは向こうを指差して、「あの鳩小屋は友達のだ」、また向こうを指差して「あれは最近立て替えた鳩小屋だ」と教えてくれる。たしかにここから見ると、浮かんでいる小屋たちはみんな友達みたいにみえてくる。自分の暮らしている町の地上から4、5mくらい浮いた場所に、僕がまったく知らない世界がある。しかしこれもまた、まぎれもなく僕の生きる世界の一部なのだ。
(第9回へ続く)
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。大学院休学中に中国からイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する(エッセイ「窓からのぞくアジアの旅」として窓研究所ウェブサイトで連載)。2017年より台湾・宜蘭(イーラン)の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。2018年ユニオン造形文化財団在外研修、2019年文化庁新進芸術家海外研修制度採用。一年の半分以上が雨の宜蘭を中心に、公園や文化施設、駐車場やバスターミナルなど様々な公共建築を設計する。