第29回 イラン・エスファハン編
「宗教と街」
19 Feb 2020
イランは初めて訪れたイスラム国家だったから、少なからぬカルチャーショックを受けた。通りを歩く人の多くが男性で、バスは男女で席が分かれている。男子便所はなぜか個室しかない。1日3回の礼拝があり、それを知らせるための美しいアザーン(礼拝の呼びかけ)が街中に響く。イランではひとつの宗教が、生活の全てを形づくっていた。だがそんな異世界に飛び込んでも、人はどうにかして生きていけるから不思議だ。
ベシーム・S・ハキーム『イスラーム都市』(1986)によれば、イスラムの土地利用や建築は歴史的に、コーランやハディース(預言者の伝承)を根底とした非常に細かなルールによって成り立ってきた。その背後にある中心概念は「害」だという。つまり、人に害を与えない、あるいは受けないようにするための「調停」として、道幅、入り口の位置、窓の高さや位置、排水の方法までが厳しく定められているのだ。これは大勢が集まり、平穏に住むための工夫であり、そのようなルールの痕跡が、都市の中に現在も残っている。イスラム都市とは厳格なルールによって彫り出された彫刻のようなものだといえるかもしれない。
たとえばイランの居住区では多くの窓はアイレベルになく、高い位置につくられているが、これは外から「覗かれる」ことを防ぎ、中にいる人のプライバシーを守るためだ。住宅地を歩いているとき、壁の「のっぺり感」をいつも感じていたが、今思えばこれは、互いに害を与えないための工夫から生み出された景色なのであった。
以前にイラン・ヤズドで見た「呼吸する」穴も同様に、このプライバシーの観点から捉えることもできよう。あるいは中国のイスラム地域であるトルファンの「浮いた屋根」も、同じ問題を孕んでいるだろう。
さらに前回マースーレ村ですこし触れた格子窓・マシュラビーヤは、特に女性が外から見られずに外を見ることができるように設けられたものであったが、これもイスラムの習慣と気候要因を窓のデザインにまで落とし込んだ例だ。
上の写真を見ると、普通の出入口と比べてマシュラビーヤは外からの光をやわらげる効果があることが分かる。人の視線だけではなく、この土地に降り注ぐ強すぎる太陽光から「害」を受けないための工夫でもあるのだ。これは障子に親しんできた日本人にも、馴染みやすいものかもしれない。
一方、同じイランでもマースーレ村の素朴なものと異なり、エスファハンなどの都市のモスクでは、信じられないほど精巧なマシュラビーヤが多く残っている。それはいつしか本来の機能を超えて、レンガ、木、石などを使って自由自在に装飾として発展していったようだ。
エスファハンは特にタイル細工で有名であるが、近世のモスク内部のタイル文様の華麗さは他の追随を許さない。17世紀のシェイフ・ロトフォッラー・モスクではタイルの文様をマシュラビーヤ化することで、壁面を埋め尽くす装飾を壊すことなく開口部と壁面を融け合わせることに成功している。
あるいはエスファハンからさらに南下した都市シーラーズにある、19世紀に建てられたナスィーロル・モルク・モスクでは、木製のマシュラビーヤにステンドグラスが組み合わされている。そのフォトジェニックさから、大勢の団体客による写真撮影会が開かれている現在の様子も、このモスクの歴史を飾る一コマとなるだろう。
夜、モスクに出かけてみると大勢の地元民が、靴を脱いで、コーランを片手に瞑想に耽ったり、あるいはウトウトと、気ままな時間を過ごしたりしていた。イスラム教の信仰を生活の基盤とする彼らには、こうしていつでも自由に出入りできる、大きな屋根の下にひろがる空間がある。
このモスクも、のっぺりとした住宅街も、そこここに残るマシュラビーヤも、同じ世界を共有し、その全体に参加しているという感じがする。「害」を基本概念のひとつに据え、厳しく定められたイスラムの戒律の一端に触れてもなお、異国から覗きにきた私には、それがすこし羨ましく思えた。
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。修士論文早苗賞受賞。2017年5月より台湾・宜蘭の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。