第27回 イラン・ヤズド編
「砂漠で呼吸する」
01 Oct 2019
イラン北部から南へ向かうバスは、
そういえばこの旅の計画中、気になる場所に印をつけた世界地図を見て、どこも砂漠ばかりだと知人に指摘されたことがあった。無意識だったが、砂漠のない国に生まれた人間にとって、やはりそれは魅力的に映る。
今回訪れたヤズドという砂漠のオアシスもまた、そのような魅力をもつ都市のひとつだ。今でこそ近代的な建物も見られるが、かつて建築と風景の違いは、砂土を固めてあるかどうかの違いでしかなかったのであろう、そんな街だった。
市街を歩いていると、数人の男たちがキャラバンサライの修理をしている様子が目にとまった。11-12世紀から商人たちのための宿泊施設として使われていた場所で、それを改修して観光用の施設としてつかうつもりのようだ。
その中の一人、赤いポロシャツを着た現場監督風の男が話しかけてきた。この場所を案内してくれるらしい。
砂漠の隊商たちの寝泊まりする部屋は、日干しレンガの壁で囲われた中庭に面して規則的に並んでおり、部屋ごとに尖頭アーチの開口部をもっている。これは砂から身を守るために周りを囲むと同時に、空を向いた大きな窓として中庭がつくられ、そこに向かって各部屋に二次的に窓を設えたものといえるだろう。
中庭の縦横の中心軸上には各部屋のものより少し大きめのアーチが4つ対面している。これはササン朝時代の前面開放型のアーチ状の空間であるイーワーンを踏襲したペルシャ型モスクの特徴でもあり、「4イーワーン型」という。建物の意識が内に向いていることがよく表れた型式である。
ここの建物は閉鎖的で、その外観はなんともそっけない。しかし人間は真っ暗で空気の淀んだ洞窟に住むわけにはいかないから、どこかに穴を開けて、家に呼吸をさせてやらねばならない。その最も典型的な工夫が中庭である。前回、荒野のタフテ・ソレイマーンで学んだ「囲う」ことが、この砂漠においてもやはり必要なのだ。
赤シャツの現場監督は中庭を出て、次に地下貯水槽を案内してくれた。砂漠のオアシスといっても、この街は人工的につくられたものである。中国のトルファンで見たカレーズと同じ地下水路が、ここイランではそれ以前から「カナート」と呼ばれ利用されてきた。
近くのカナートから水を引いたこの貯水槽は「アーブ・アンバール」と言い、先の尖ったまんじゅうのようなドームの両脇に二本の塔を建てた姿をしている。この塔は「バードギール」といい、上部の開口から風を取り入れて水を冷やしている。高い位置に穴を開けることは、砂土の混入を防ぐと共に煙突効果で空気を循環させるためなのだろう。
この貯水槽の水を汲みにいくためには、少し離れた場所に設けられた入り口から地下への階段を下っていく必要がある。バードギールにせよこの入り口にせよ、穴を開けるのは地上の高いところか地下に限られ、徹底的に地上付近が避けられていることがわかる。
バードギールを下からのぞくと、塔の断面は十字に分けられていた。一方の穴から風を受け、中の壁に沿わせて下に導く工夫である。
バードギールはヤズドの町の景観をかたちづくっており、そのデザインは多種多様である。ヤズド郊外の町Meybodでは、北を向いて並ぶバードギールたちが風の吹いてくる方角を知らせてくれる。
この土地では、建築は地上の厳しさから身を守るため内部を囲い、地下にもぐり(地下水路、貯水槽)、上を向き(中庭)、さらに高い位置に穴を開ける(バードギール)。ヤズドは「砂漠で呼吸をする」ための発明に溢れている。
タフテ・ソレイマーンやトルファンだけでなく中国・タシュクルガンで見たタジク族(イラン系民族)の家では天窓が住居の中心に穿たれ、そこで祝祭などの重要な儀式が執り行われていた。これはかつての中庭が、気候風土に対応して姿を変えたものといえるかもしれない。
そう考えれば、こうした砂漠の息づかいをめぐる知恵は私たちの想像を超えて多様に形を変え、世界に散りばめられているのだろう。
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。修士論文早苗賞受賞。2017年5月より台湾・宜蘭の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。