WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載窓の変遷史

第5章 各種構法用サッシと各種開閉方式

真鍋恒博

11 Mar 2015

窓のディテールを読み解く

各種構法の専用サッシ
<PC版用サッシとKJサッシ>
新しい躯体・仕上構法や規格が出現すると、それに対応した構法が要求される。当初は在来の製品が転用されるが、ある程度以上の数が出るようになると専用の製品が開発されるのは、サッシに限らず多くの製品に共通である。アルミサッシの場合も、PC(プレキャスト・コンクリート)やALC(軽量気泡コンクリート)の躯体構法に対応した専用製品が作られるようになる。

日本住宅公団では住宅の大量供給のためPC構法を積極導入したのに対応して、PC版(打込み)用のサッシが各社で生産されるようになった。KJ部品(公共住宅用規格部品、日本住宅公団や供給公社などの公共住宅用に開発された良質で安価な部品)は1960年に発足し、アルミサッシは1966年にその対象となった。不二サッシは集合住宅用のPC専用サッシ「FPC-1」(図版16)を大成プレハブと提携して1968~1971年に製造しており、1969年~70年にはKJ部品のPC専用サッシ「PC-KJ」を生産していた。これはKJ規格品の一般製品「KJ-A」と同一断面であり、後に一般RC用製品「FRS-70」で兼用される。

  • 図版16 PC版用サッシ、不二サッシ「FPC-1」(1968)
    PC版の製作時に打ち込み枠として取り付けられ、雨仕舞性能確保のため、サッシ枠を躯体に深く食い込ませている。同社資料から。

新日軽も1977年の大成パルコン用の製品以降、本格的にPC用アルミサッシを生産しているが、これはRC用の枠をそのまま用いて、戸(サッシ業界では「障子」と呼ぶことも多いが、JASS 16 の正式呼称は「戸」)だけを住宅用に変えたものである。トーヨーサッシも、ゼネコンからはコストダウンのため専用枠の開発を要求されたが、PC版にも既存のRC用枠で対応していた。

当時は集合住宅が多く建設されていた時代であり、工業化システム(主としてPC構法)が多く開発されていた。筆者の研究室では躯体構法システムの動向調査をしたことがあるが、1960年代から80年代に国内のゼネコン各社で開発されたシステムは、雑誌(『建築技術』1966~88年、『施工』1969~88年)の調査では127システムに及んだ。しかしその後、PC版を用いた集合住宅の多量建設時代は終わり、1990年頃までには専用サッシは作られなくなっていたようである。なお、マンション用・学校用など、建物種別などの用途別対応製品が発売されるようになるのは、1969年からである。

<半外付けサッシ>
1970年に発売された外付けサッシに続いて、1973年には半外付けサッシが発売された。これは不二サッシと三井ホームが、外付けと内付けの利点の両立を図るために開発した製品であり、外付けの長所である二重窓化が可能であること、そして、内付けの長所である丈夫さを生かし水切りを後から付加する必要がないなどの特徴がある。その後、サイディング等の乾式納まりの増加とともに、半外付けサッシは主流となった。

<ツーバイフォー構法用サッシ>
1974年の枠組壁工法(ツーバイフォー、以下「2×4」)の導入に伴い、1975年に不二サッシとトーヨーサッシが2×4用サッシを発売した。不二サッシは三井ホームと提携して製作した。またトーヨーサッシは、米国から2×4の技術を導入して国内で販売する事業を展開することになり、そのためのサッシが必要になった。日本軽金属(後の新日軽)も、1977年に三井ホームと提携した製品を発売した。1981年には2×4構法の共通仕様書ができて専用サッシの寸法も規格化され、各企業ともその仕様書に従った製品を作るようになった。

<LGS用サッシ・サイディング用サッシ>
八ウス55コンペ(1976年、後述)が実施された頃、軽量鉄骨(LGS)用サッシが登場した。LGS用サッシは低層建物用で、戸建住宅や工場などに使用された。1976年に不二サッシが発売した鉄骨用サッシ「FR-70SC枠」は、RC枠・ALC枠・LGS枠のバリエーションを持って広範囲の用途に対応できる製品であった(図版17)。それ以前は一般型のサッシをCチャンネルに取付け、曲げ物の接合金物を用いることで対応していた。

1976年頃、積水ハウスの軽量鉄骨造住宅に新日軽の製品が使用された。積水ハウスは在来構法とは異なる1mモデュールであるため、部品は特注サイズになるが、一般にプレファブメーカーはそれぞれ専用のサッシを使っている。トーヨーサッシも1983年頃に鉄骨造用サッシを発売している。木造住宅用サッシに雨戸一体枠型などの製品が出たのと同様に、鉄骨建築用にもサイディング用などのバリエーションが求めらるようになって、1975年にはサイディング用サッシが発売された。

  • 図版17 LGS住宅用サッシ
    LGS下地・石綿セメント波板仕上げ壁用のサッシ、不ニサッシ「FR-70SKD」。波板用のアタッチメントを交換すればALC造にも転用可能。1989年のカタログから。

<ALC住宅用サッシ>
軽量気泡コンクリート(ALC)の国産化は、1962年にスウェーデンから技術導入された「シポレックス」が最初であり、1978年頃からは住宅にも使用されるようになった。ALC版の幅寸法は600㎜であり、専用サッシの幅は600㎜の倍数である。不二サッシではALCビル専用サッシ「ALC-60」を1971年から1976年まで生産していたが、その後はFR-70シリーズの製品「FR-70ALC」(図版18)に統合された。

三井軽金属化工(1985年トーヨーサッシグループ入り)が1978~79年頃、旭化成のALC住宅用のサッシを発売した。当初はRC用サッシをALC造に転用していたが、ベーベルハウスの生産増に対応して、施工性・水密性などを考慮したALC専用枠を開発したものである。ただし発売時点では、量はまだ微々たるものであった。

  • 図版18 鉄骨ALC造用のサッシ、不ニサッシ「FR-70ALC」
    断面はLGS用サッシと類似である。ALC造用の特徴は、ALC版のサイズ(600㎜)の倍数に合わせた寸法と、シーリング用の受座が出ていること。1989年のカタログから。

「ハウス55」(1976~79年度、高品質で低廉な住宅の供給が目的の通産・建設両省共同の「新住宅供給システムプロジェクト」、延床面積100㎡の住宅を昭和55年時点で500万円台で大量供給可能を目標)に採択された「ミサワホーム55」には、日軽アルミの製品が使われた(1980年)。ただしミサワホーム55は同じ軽量気泡コンクリートでも「PALC」と称し、通常のALC版とは製法や寸法が異なる。なお日軽アルミからは、通常のALC用サッシも1981年に発売されている。

開閉方式
<開閉方式の多様化>
サッシの開閉機構にも多様化・多機能化した製品が開発されるようになり、1980年前後からは住宅用サッシの開閉方式の種類も増えた。1985年には、立山アルミニウム工業から1つのシリーズ製品に用意された様々な開閉方式の窓を連結することで多様な連窓にできる「コンビネーションサッシ」が発売され、翌年には専用の出窓も組み合わせられるようになった。また、1988年には温度センサー・雨センサーを内蔵した電動開閉式のガラスルーバーサッシも開発された。さらに、1989年には三和シャッター工業から、西ドイツからの技術導入による、ハンガーローラーを使って店舗や住宅等の大開口部のフルオープンが可能な、「横引き折り畳み戸」が発売された。バブル期にはビル用サッシで様々な複数の開閉方式を持った製品が開発されている。

こと住宅用に限れば、サッシの開閉方式は引違が圧倒的に多い。一時期、台所に上げ下げ窓を付ける場合には大手メーカーには製品がなく、設計者は名も知らないようなメーカーの製品を探すか、特注で作るなど、苦労を強いられたものである。しかしその後、上げ下げ窓も住宅用に復活し、出窓などには開き窓が多用されヨーロッパ型の複動サッシも普及するなど、開閉方式にも多様化がみられる。余談だが、スチールサッシ時代にも、住宅用の「引き開きサッシ」なる製品が作られていた。これは4枚扉の中央の2枚の戸を両端に寄せると、2枚1組で外開きとなる、複合作動タイプであった。この連載では対象外だが、スチールサッシ時代の (ビル用) 製品にも、現在では見られない変わった開閉方式があった。現在のビル建築では空調設備が前提で窓を開ける事が殆ど無くなったが、当時は換気・清掃のために窓は開閉が前提であり、開閉方式の工夫もあった訳である。

<複合動作サッシ>
1957年頃、ドイツ大使館にピヴォマチック・ウィンドウなる製品が輸入された記録がある。また、1964年にスイスアルミ社との技術提携で発売された不二サッシの断熱窓「アルゼック」シリーズの製品名にも、「ピボマテック」なる記述がある。これらはドレーキップ(内倒し・内開き兼用)と思われる(第4章参照)。こうしたヨーロッパタイプの複合作動窓には他にもいくつかの種類があるが、一般的なものとしてはヘーベシーベ(戸をせり上げてから片引き)がある。こうした複動サッシが輸入されるようになるのは1975~76年頃からであり、1981~1982年頃には国産化されたが、売れ行きは1982~83年頃から伸び始め、1990年ごろには一般化したようである(図版19)。

  • 図版19 NKドレーキップフェンスター
    国産化されたドレーキップ式サッシ。この製品の性能は、強度:440kgf/㎡、気密性能:0.05㎥/hr・㎡、水密性能:200 kgf/㎡、遮音性能:30dBと表示されており、(換算不能な気密性以外は)現在の尺度で見れば中程度。日本建鉄、1981年カタログより。

<電動開閉>
木造住宅用の既製品として、電動式建具で最初に登場したのは、窓の電動シャッターである。サッシメーカーではトーヨーサッシが最初(1980年)に木造住宅用電動シャッターを発売しているが、昭和60年頃からは各社とも電動シャッターを製品化している。

ガラス戸自体の開閉の電動化は、主に高所にあるものや、開閉操作が重くて面倒なものに適用され、セキュリティーの目的でも使われる。基本的にオペレーターが付くものはハンドルの回転動作を電動化することが可能である。電動化自体はさほど困難な技術ではなく、オーダーメイドではかなり前から作られていた。天窓製品の電動化は1986年の新日軽の製品が最初であり、電動ルーバーは各社とも1988年から発売している。

<開閉式ガラスルーバー>
開閉式のガラスルーバーは、1969年頃、明治アルミが木造住宅用の開閉式ガラスルーバーを「シャロジー」という商品名で販売したのが我が国最初のように言われているが、これは住宅用に限った話であり、ビル用には早くから国産化されていた模様である。アルミ化以前には、我が国のスチールサッシの創始者とも言うべき田島壱號氏が1954年頃、既にビル用の製品を作っていた。また、1962年に不二サッシがアメリカのフェントロン社からの技術導入でビル用ガラスルーバー窓「ジェラシー」 (フランス語の”jalousie”には「嫉妬」と「鎧戸・ブラインド」の両方の意味がある) を発売し、日本住宅公団辻堂団地に採用されたが、気密性の不足や馴染の無さもあって、3年後には廃止になった。

明治アルミの特許が切れると同時に、各社一斉に同種の製品を売り出している。住宅の水周りなどで多く使われたが、住宅の熱性能の全般的な向上が進んだ現在では、気密性の問題から一般のサッシに交換しているケースも多いようである。

<内はずし式サッシ>
室内側へ戸(ガラス戸・網戸)が外れる引違いサッシが1976年に開発され、1981年に発売されている。これは開閉操作ではないが、戸の外れによる落下事故対策と、面格子付き窓や両側が入隅になった窓のメンテナンスを考慮した製品である。戸の脱落対策には落下防止金物が使われることが多いが、落下事故は皆無ではない。内はずし式にすれば落下の危険性は無くなるが、普及率は低いようである。

 

真鍋恒博/Tsunehiro Manabe
1945年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、1973年東京理科大学工学部建築学科専任講師、1975年同助教授、1993年同教授、2013年同名誉教授。工学博士。2000年日本建築学会賞 (論文)受賞。専門分野:建築構法計画、建築部品・構法の変遷史。主要著書:「図説 近代から現代の金属製建築部品の変遷 第1巻 開口部関連部品」 (1996年、建築技術) 、「建築ディテール 基本のき」 (2012年、彰国社) 、「図解建築構法計画講義」 (1999年、彰国社) 、「住宅部品を上手に使う」 (1992年、彰国社) 。

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