16 Feb 2015
ディテールを窓から読み解く
ビル用高性能サッシ
〈二重サッシ〉
アルミサッシにも高い性能が要求されるようになって、断熱・気密性能向上のための二重サッシが登場した。最も初期の実施例として、単層のサッシを二重に組み合わせたもの(ホテル日航の辷り出し・嵌殺し二重サッシ、1959年、図12)があるが、1つの枠に戸を二重に取り付けた本来の二重サッシの例(ポーラー化粧品銀座ビルのブラインド入りサッシ、日軽アルミ、1960年)もある。いずれも既製商品ではなく個別の建物の特注品であった。
〈複層ガラス用サッシ〉
ガラス自体の断熱性を向上するために複層ガラスが生産されるようになったが、このために框の厚さを大きくした(ただしサッシ枠の外寸は従前と同様の70㎜)製品の初期のものとして、不二サッシ「FR-Aペア」(引違い・嵌殺し、1961年)などがある。当時としては特殊な製品であったが、その後は一般のサッシで複層ガラスの使用が可能になっている。
〈断熱サッシ〉
金属製サッシには断熱性の弱点になるという問題がある。サッシの枠を内外で分割して断熱材を挟む方法はヨーロッパでは主流であったが、我が国では1955年に使用例がある(日本軽金属、札幌)。
1962年に不二サッシから発売された「アルゼックウィンドウ」(図13)は、スイスアルミ社からの技術導入による製品で、アルミ材の問に断熱ゴムを挟んでヒートブリッジを避けた断熱サッシであり、札幌地方法務局合同庁舎が最初の採用例である。なおカタログでは、開閉方式に片開き・両開き・嵌殺しの他に「ピボマテック窓」なるタイプがあるが、これが単なる内倒しかドレーキップ(内倒し・内開き複動)かは未確認である。この製品は、引違い(ニューアルゼック、1975年)や、枠と戸をともに断熱したタイプ(1979年)へと改良されたが、1982年には西ドイツ・フーク社からの技術導入による「フーク70」、「フーク100」に主力が移行した。これは樹脂注入・硬化後にアルミ材の一部を除去して熱橋を遮断するタイプである。
また日軽アルミでは、別の押出型材の間を樹脂で埋めてつないだサッシを開発し、札幌トヨペット(1969年)で採用された。こうした高度の断熱性を追求した製品は、主として北海道で使われた。寒冷地用製品にはさらに断熱性向上が図られ、1982年には枠見込み160㎜で内窓に複層ガラスを用いた二重サッシ「FT-160」が発売され、さらに2年後、外窓が複層ガラスで内窓がアルミまたは塩ビサッシの「FT-200AL」、「FT-200 OPV」にモデルチェンジされている。
〈ブラインド封入高性能サッシ〉
1964年に、二重窓にブラインドを封入した断熱・気密サッシ「エルミン窓」(図14)が、スイス・インデックス社からの技術導入で住友軽金属工業によって国産化された。これは30年ほど前にスウェーデンで開発された木製ブラインド封入二重窓が、当初は部分的に、後に全体が、アルミニウム化されたもの。冷房のない北欧用の製品のため自然換気は必須であり、水平軸回転で15°以下の任意の角度で開けておくことが可能である。さらに外面の清掃用に180°回転し、二重窓の部分はメンテナンス用に開く機構になっており、竪枠と下枠が曲線でつながっているのが外観上の特徴である。初期の使用例に朝日放送ビル(316枚)などがあり、国鉄車両(食堂車、寝台車など)で採用されたブラインド内蔵二重窓「コンビット窓」は、この応用形である。
ブラインドを封入した二重サッシには、他にも類似の技術導入の例があった。不二サッシの「サンエックス」(1968年)はオーストラリアからの技術導入であり、縦軸回転・横軸回転・嵌殺しがあった。二重ガラス内部の結露は不可避と考えられており、排水用に小さな孔が明けられていた。
〈気密サッシ・防音サッシ〉
縦軸回転サッシ、エアタイトサッシなどは1963年頃から開発されているが、一般のビルで気密性が意識されるようになったのは、ビル空調が普及しはじめた1969~70年ごろからである。開き窓では特別な機構がなくても気密性確保は可能であったが、当時まだ多く使われていた片引き・引違いサッシではグレモン金物によって気密を確保するものであった。
1972年には、不二サッシから引き違い完全エアタイトサッシ「トップエース」が発売された。これは四周に気密材を配してハンドル操作で戸を引き寄せる機構である。片引きサッシには既にあったが、引違いでは最初であった。このように、当時はビル建築でも引違い窓が多用されていた (窓を開けて換気や清掃をしていた) ことが分かる。
翌年には、昭和鋼機も引違いエアタイトサッシ「ハイグレード360」を発売した。しかし、1974年にはBL認定部品の防音サッシが発売され、メーカー間の競争も激しくなったため、特殊部品を得意としていた同社はこの分野から撤退することになり、この製品も廃止となった。
断熱サッシとして開発された製品でも、枠が一体形式の場合などでは、むしろ防音サッシとして使われた。例えば日軽アルミの製品では、一体枠二重サッシ(1972年)、ゴムで絶縁した分離枠二重サッシ(1976年、日本軽金属に吸収後)などは、防音サッシとして使われることが多かったようである。
サッシおよび関連製品の多様化
〈カーテンウォール時代〉
1963年頃から、わが国でもカーテンウォールの開発・技術導入が行われるようになった。たとえば日本建鉄の例では、アメリカのハップ(Hupp)社との技術提携により、京王百貨店(1964年)、山口銀行(1965年)、世界貿易センター(1970年)などの納入例がある。アルミサッシの技術はカーテンウォールへ発展し、その変遷はアルミサッシと密接に関連するが、本稿では詳細は省く。
〈ストアフロント〉
1967年には店舗用サッシの不二サッシ「二ユーフロント」が発売された。店舗の外周壁にあたるサッシ(ストアフロント)は、一般のサッシとカーテンウォールの中間に位置する製品である。他のメーカーからも同種の製品が発売され、一般のビルの接地階から中小規模の店舗に至るまで、商店の外観は近代化された。
〈サッシ製品の多様化〉
1967年にはPC用のサッシが発売されるなど、アルミサッシ関連商品は多様化へ向かう。1968年、不二サッシが発売したビル用レディーメードサッシ「FR-200」は、ビル用サッシの代表的製品となり、同時にイージーオーダー製品なども用意された。
住宅用サッシの性能向上
〈気密性 下枠の工夫〉
初期のアルミサッシの下枠(皿板)には、在来構法の木製建具と同様に外向きの傾斜が付いたものが一般的であったが、気密性を目的とした階段状の下枠が主流になった。階段式下枠は1969年発売の不二サッシのビル用サッシ「FR-60」が最初のようだが、木造住宅用としては1971年のトーヨーサッシ「ニュー太陽」(図15)などの製品が発売された。階段式の下枠は、強風時に戸の框が階段状の枠の外面に押し付けられて気密性が良くなる点が長所とされているが、当時のサッシは気密性と言っても現在の製品に要求される性能とは水準が異なっており、寧ろ強風時の雨漏り対策が目的であったと解釈できる。
他社の多くもこのタイプの下枠に移行したが、従来の傾斜状皿板の方が構造的に簡単であり、クレームもほとんど出ないため、傾斜状下枠を変更しなかったメーカー(昭和鋼機など)もある。1981年には不二サッシが、清掃が楽なノンレールサッシを発売した。しかし構造的にもコスト的にも不利であり、障子の建て込みも大工が簡単にできるものではない等の理由で、普及には至らなかった。
〈防犯性 ロック機構付きサッシ〉
1968年、不二サッシが、上げ下げ方式のロック付きサッシ「電子ロックFK」を発売した。泥棒侵入防止のためロック機構を外側から見えない位置に取付けた製品である。しかし、大工がサッシ取付け時に位置が分らないため調整がしにくいという理由から、3年後には廃れた。なお「電子ロック」は美和ロック製のマグネチックタンブラーの商品名だが、機構としては磁力の利用で「電子」と関係はない。現在では「電子」は半導体制御を表す用語だが、この時代には先進的・未来的技術をイメージさせる語句であった。
この他にも、各社でダブルロック付きやストッパー付きのクレセントなど、防犯機構付きの製品が開発された。アルミサッシの普及で雨戸の無い住宅が増えたことにと関連づける見方もありそうだが、開口部は施錠なしが常識であった時代から防犯を意識する社会への変化が背景であろう。
〈防音性・断熱性 二重サッシなど〉
住宅用サッシの性能については、ビル用製品からは遅れていたが、オイルショック(第一次:1973年~、第二次:1979年~)を機に高まった省エネルギーの要求に対応して、住宅用サッシにも性能向上を図った製品が発売されるようになった。それまでは、住宅などと言うものはそもそも熱負荷計算の対象にはならないという認識が一般的であったと言う事もできよう。
木造住宅用複層ガラスサッシについてはアルナ工機が先発メーカーであったが、同社と旭硝子・日軽金・不二サッシの共同出資で、1974年に「日本複層ガラス」が北海道に設立された。
鉄道や道路沿いの住宅での防音サッシへの需要に対応した製品も開発され、1975年にはトーヨーサッシの防音断熱二重サッシ、1976年には木造住宅用の防音サッシ(新日軽「V防音サッシ」、不ニサッシ「FK防音サッシ」)が発売された。防音用の製品としてはすでに二重サッシがあったが、壁厚がそこだけ厚くなるなど納まり上の問題があったため、一重サッシでも防音を可能とする製品が開発されたものであるが、量的にはあまり使われなかったようである。また1979年には、吉田工業から三重サッシが出ている。
──この連載は、拙著「図説 近代から現代の金属製建築部品の変遷 第1巻 開口部関連部品」(1996、(株)建築技術)、および研究室の修士論文(小山田雅美君:1987、高橋拡君:1988、齋藤大輔君:2005、各年度)の内容をもとに再編集したものである。
真鍋恒博/Tsunehiro Manabe
1945年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業、1973年東京理科大学工学部建築学科専任講師、1975年同助教授、1993年同教授、2013年同名誉教授。工学博士。2000年日本建築学会賞 (論文)受賞。専門分野:建築構法計画、建築部品・構法の変遷史。主要著書:「図説 近代から現代の金属製建築部品の変遷 第1巻 開口部関連部品」 (1996年、建築技術) 、「建築ディテール 基本のき」 (2012年、彰国社) 、「図解建築構法計画講義」 (1999年、彰国社) 、「住宅部品を上手に使う」 (1992年、彰国社) 。