第33回 エジプト・ナイル編
「ナイルを駆け抜ける」
10 Dec 2020
カイロを数日歩き回った後、エジプト最南部のアスワンに飛んだ。ここから知人、そしてドライバーと共に、ナイル川沿いを10日間ほど、カイロに向けて北上する。公共交通機関で一人旅を続けてきた自分には快適すぎる移動だが、道中には警察を伴っての移動が義務付けられている地域もあり、治安が不安定なエジプトのような国ではこうした移動が好ましい。
この道中、ナイル川沿いに点在するいくつかの古代神殿に立ち寄った。その内部は、どこも奇妙な彫刻やレリーフで埋め尽くされていた。それはカイロで訪れたエジプト考古学博物館を思い出させた。博物館は何やらごちゃごちゃとしていて、誰かの倉庫に迷い込んだようだった。
そこには石やら宝石やらによって拵えられた、動物と人間の混じり合う奇想天外な像の数々が並んでいた。人より大きなものから指先ほどのものまで、サイズもさまざまだ。それらは今まで見たどんな古代美術よりも「無邪気さ」を感じさせた。人間の体に鳥やワニの頭を乗っける、ということを思いついた人が三千年も前にここにいたということ。そのことが可笑しく、愛おしくさえ思えた。乱雑なショーケースに囲まれながら、この圧倒的な具象の中で生きていた古代人を想像する。
そしてナイル川沿いの古代神殿にもまた、レリーフやその見せ方の工夫によって、徹底的にビジュアルで何かを伝えようとしてきた痕跡が残されていたのである。2000年も3000年も昔に刻まれたレリーフのひとつひとつを解釈しようとすれば気が遠くなる。しかし窓を切り取って見てみれば、我々にもまだ取りつく島がある。
古代神殿について語れるほどの知識はないが、開口部をめぐるさまざまな建築的工夫から、なんとかそれに迫ってみたい。
初めに訪れたのは、アスワンから少し北にあるコム・オンボ神殿だ。紀元前300年ほどに建てられた神殿であるが、驚くことに全く同じ神殿空間が並置され、二つの神を平等に祀っている。日本の宇治上神社も同じように3神を並置していることを思い出し、なるほど神社みたいなものかと勝手に納得すると、古代神殿にも親しみが湧いてきた。
入り口から眺めると、奥にいくほど床が上がっている。武家が書院造において、連続する室の床高を段々と上げ、荘厳な空間をつくったのと同じである。ここではそれに従って天井も段々と下がり、レリーフの施された門型の開口部を何重も隔てることで、パースペクティブがさらに強調される。最後には神輿を安置していたという石に視線が集まる、とても細やかで高度なテクニックだ。2000年以上も前に、すでにこんな劇的な空間が追求されている。
次に訪れた都市・ルクソールのカルナック神殿(紀元前1500年頃-)では、クリアストーリー [1] の起源といえそうな高窓を見つけた。現在は天井の多くが崩落してしまってその効果も薄れているが、石を切り出した縦格子の窓から注ぐ3000年前の光は、砂岩の柱に力強く刻まれたレリーフを照らしていたことだろう。柱の太さと梁の極端な短さによって見たことのない空間になっているが、後のキリスト教会、そして現代にも通じる窓をもっていると考えると、3500年前の建築も、まったく縁遠いものでもないらしい。
さらにナイル中流域にあるデンデラ神殿では、レリーフとの関係をより密接にもつ窓を見ることができる。こちらは屋根も崩壊せずよい状態で保存されており、神殿内は真っ暗だ。正面に並ぶ巨大な石柱の間は途中まで壁で埋められ、上部は開け放たれている。中から見返すとその開口部から入る光によって天井のレリーフがはっきりと照らされるのを見ることができる。おそらく古代人もそうだったように、しばらくボーッと上を見上げてしまった。
次に見つけた窓は、小さな穴へ向かってすぼまった開口部の内側に、太陽とそこから降り注ぐ光が浮き彫られていた。ロンシャンの礼拝堂の窓にも通ずるような形であるが、ここでは入り込む光とレリーフが一体となり、本当に太陽がそこにあるかのように錯覚させる。
窓は複数あり、小さな階段の踊り場に、階段の延長のような角度で設置されている。人々はこの窓に向かって吸い込まれて歩いていくかたちになる。
階段が螺旋状にグルグルと続き、暗闇の中を上へ上へと登っていく。そして最後にたどり着いた屋上の小部屋の天井には、天窓がぽかんと開いていた。天窓の内側には、ベッドに横たわるミイラが彫られている。さらに床にも、穴が開いている。それは魂が吸い取られてゆく、あるいはUFOが地球人を連れ去る瞬間を想像させる。グルグルと上がってきた神殿の動線は、こうして最後にこの窓から天空へと抜けていくのであった。ローマのパンテオン、パラーディオのヴィラ・ロトンダ、吉阪隆正のヴェニス・ビエンナーレ日本館……いくつかの建築たちが頭をよぎる。
だがここまでくると、興味深さより、怖さが湧き上がってくる。古代では限られた人しか見られなかったであろう空間に、簡単に入れてしまう現代の不思議。何か見てはいけないものを見てしまったような気持ちを抱えながら、車に戻った。
砂漠の中をふたたび車に揺られながら、考えた。建築的工夫の大体は「エジプトが全部やっていた」のではないか。ナイルを南から北へと駆け抜けて肌で感じたことは、そんな圧倒されるような感覚であった。大河が砂漠を潤すように、なにか大きなものが、
無邪気さも、ときに怖さすらも感じさせる、人の手によるあらゆるものの集合体。それを「文明」と呼ぶのかもしれない。
注
[1] クリアストーリー: 建築の上部に設けられる採光・通気窓。教会などによく見られる。
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。修士論文早苗賞受賞。2017年5月より台湾・宜蘭の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。