24 Nov 2015
異文化の窓 40年間の調査と軌跡
インドネシアの南西、ニューギニア島の東半分を占めるパプアニューギニアは、ソロモン諸島と同じくエリザベス女王を元首とする英連邦の一員である。東南アジア最高峰のウィルヘルム (4,508 m) には熱帯なのに雪が降り、低地から高地まで気候の変化と部族の伝統によってさまざまな住居タイプが存在する。
Queensland大学からの研究費で1975年、首都ポートモレスビー周辺,中部沿岸ラエから中央高地のゴロカ、マウントハーゲン周辺、北部沿岸マダンからセピック河流域を調査した時の写真を見ながら、住居内外の融通無碍な境界についての考察を試みる。
ジャングルの中の“高さ制限”
ニューギニア中部の山岳地から下り、セピック川は熱帯雨林の低地を蛇行しながらゆったりと流れる。洪水時の避難所でもある宗教的な集会所“精霊の家”でさえも周囲の樹林より高くしてはダメという環境優先型の“高さ制限”といえる。
日常的な危機管理
日常的な村の集会や祭りでこの巨大な高床に集まっていれば、洪水の時すぐ対応できる。日本でもお寺は高いところにあったように、小学校などは高台に作り、登下校を体力作りの一助とすれば良い。
村のシンボル“精霊の家”
最近では観光化されているものもあるが、セピック川流域では、村のシンボルとして、部族の伝統的装飾を施した“精霊の家”が散見される。その土地の水位に応じて、土間であったり、高床であったりとさまざまで、それも洪水の時には下部が水没してカヌーで出入りする。
ニューギニア流の陰影礼賛
京都の格子、すだれ、暖簾は、陰と影をきめ細やかに楽しんでいるが、セピック川流域の、この不思議な隙間や、紐暖簾を透して、暗い内部から熱帯の陽射しを垣間見ると、暑い外にいるよりも陰影にいることの心地よさを痛切に感じる。
水と仲良く暮らす
セピック川流域では水と仲良く暮らすことが大切で、ぬかるみの時には椰子の丸太つたいに歩き、水没している時にはカヌーで行き来するので、カヌー作りは男たちの大切な仕事である。
乾季の高床
乾季には高床の足元がまる見えとなり、伝統的で立派なお屋敷と、最近の簡易住宅の違いが一目瞭然となる。簡易住宅の方には前後にベランダが有り、それなりに住み心地は良さそうとも言えるが、脚柱の傾き具合が心配。
新しい庶民住宅
学校の先生一家が住む家は、ログハウスのように小径木の横張り、近くの瀟洒な家は縦張りで、ちょっとモダンで清潔な家を伝統的な家作りの技術で作った庶民の小住宅。
海岸の浅瀬に建つ伝統的水上住居
サイクロンが発生しない熱帯では海が静かなので、沿岸に水上集落が散見される。伝統的に、湿地を避けたり、漁業に便利という理由から水上に住む人達があり、浅瀬を歩いたりカヌーを足としている。脚柱にはアイアンウッドと称する堅木を使う。
海辺の新しい水上住居
伝統的な水上住居と共存するように、新しい水上住居群も多く見られる。中でも、首都ポートモレスビーの近郊の水上集落Hanuabadaは、計画的に桟橋が作られていて、電気や水も引かれている。
第2の都市ラエから、ハイランドハイウェーと称する幹線道路で高地のゴロカ、マウントハーゲンへ向かう途中、村も家も無い所に小屋が有り、人が集まっている。周辺の小さな村から、僅かな収穫物を持参して物々交換したり、車の人達に売るのである。
ハイランドの伝統的な“家”
寒さの厳しいニューギニア高地では、火を中心に、こじんまりと、閉鎖的に住むという感じの家が多い。特に寒い時には、貴重な財産のとしての子豚も同居するとのこと。正に漢字の“家”の語源そのものである。
ハイランドの家作り
作り始めは薄い内壁だけで、簡単に建てることが出来、この外に板を幾重にも建込み、屋根もしっかりと葺くので、最終的には寒さに耐えられる家となる。内壁の素材は、pitpitと呼ばれる葦の一種を開いたものを編んで作ったものであり、さまざまな模様にしている。
八木幸二/Koji Yagi
建築家。1944年愛知県一宮市生まれ。1969年東京工業大学建築学科卒業、同大助手。OTCA専門家派遣 (シリア田園都市省) 、クインズランド大学研究員、オクラホマ大学客員助教授、MIT 客員研究員、東京工業大学教授を経て、現在京都女子大学教授。