23 Oct 2018
ミラノから東に車を走らせ、ヴェローナを北に抜けると、イタリアで一番大きな湖であるガルダ湖が見えてくる。さらに湖沿いを北へ走り続けるとトレンティーノに到着する。ここはトレンティーノ=アルト・アディジェ州に属する県で、オーストリア、スイスとの国境に位置するため、イタリア語とドイツ語が公用語として認められている。小高い山脈に挟まれた谷地のため、夏でも涼しい日が続く。イタリア人だけでなく隣国からも避暑地として利用され、ツーリングやサイクリングなどを楽しむ人々の姿が見られる。
第2回目は、ここトレンティーノの貴腐ワインと自然を活用する窓についてご紹介したい。
貴腐ワインとは、貴腐菌(ボトリティス・シネレア)と呼ばれる、発酵のための菌をぶどうに付着させてつくられる、甘口のデザートワインの一種である。菌はぶどうの表面を保護しているワックスの層を溶かし、果実の水分の蒸発を促す。そうすることで、糖分が凝縮され独特の味わいが生まれるのだ。貴腐ワインはその希少性ゆえに高級なワインとして知られている。
一般的な貴腐ワインがぶどうの栽培中に貴腐菌を繁殖させる一方、トレンティーノでは収穫後に屋根裏部屋で貴腐菌を繁殖させる。その特殊な製法から芳醇な味わいをもつと言われている。
トレンティーノの貴腐ワインは「ヴィノ・サント・トレンティーノ」(Vino Santo Trentino)と呼ばれ、地域固有の白ぶどうである「ノジオラ」によってつくられている。ワインは、スローフードに登録される地元の生産者たちによって、今も伝統的な方法で生産されている。
「ヴィノ・サント」(Vino Santo)の由来には諸説ある。ひとつは15世紀から19世紀にヴェネチア商人達がギリシャのサントリーニ島の甘口ワインを仕入れる際に原産地のシール「SANTO」のマークをつけていたという説だ。当時は醸造技術が発展していなかったため、サントリーニ島のような日照量の高い島のワインは甘口であった。このワインは、修道用のミサに使用されたことで人気が出たとされ、イタリア、さらにはロシアにまで輸出されるようになったという。
もうひとつは、ヴィノ・サントが病気を治すことのできる聖なる(=Santo)ワイン(=Vino)として命名されたとする説だ。ミサの際に余った甘口ワインは、当時その治癒力から薬がわりに使用されていたと言われている。
トレンティーノでの貴腐ワインの生産が始まったとされる17世紀頃、トレンティーノはハプスブルク家(オーストリア)の領下であったため、それらの多くがオーストリアやドイツの市場で出回った。しかし、第一次世界大戦でオーストリアが敗北し、トレンティーノがイタリア王国へ統合されると、その生産需要は激減してしまった。今ではトレントにある110ヘクタールあるぶどう畑のうちのほとんどを国際的なピノ・ノワールやシャルドネなどの品種が占めており、貴腐ワインに使われる固有種の「ノジオラ」が占める割合は、その1.5%にしかならないという。
このワインの正確な生産地はヴァッレ・デイ・ラーギ(Valle dei Laghi)、直訳すると“湖の谷”と呼ばれるエリアにある。その名の通り、この地域には小さな湖が谷間の南北に点々と位置し、細く長く流れる川がそれらとガルダ湖をつないでいる。山々が周囲からの冷たい風を防ぐため、冬は2〜3℃、夏は23〜25℃と地中海沿岸部のような気候になるという。
そんな中で、スローフードに登録される6組の生産者が今も伝統的な方法でトレントの貴腐ワインを生産している。4組の生産者を訪れたのだが、そのうちジーノ・ペドロッティ(Gino Pedrotti)さんの生産方法をご紹介したいと思う。
ペドロッティさん一家は、カヴェーディネ湖周辺の傾斜地にある緑の茂みに囲まれた、日当たりと風通しの良い小さな畑を所有することで、自分たちで栽培からすべての工程に携わっている。
「ノジオラの栽培は他の品種のぶどうの栽培と比べて気を使うんだ。水はけや風通しがとても重要なんだよ。」
とペドロッティさんは話す。
水はけをよくするため、ペドロッティさんは石灰質砂岩である土壌の部分に石積みの段々畑をつくっているという。また、風通しをよくするため、コンクリート柱に対して斜めに木の角材を取り付けた、この地域独特のY字型のパーゴラ(ぶどう棚)を使用している。
こうして育てられたぶどうは、充分に熟した9月下旬に収穫され、その後ワイナリーに併設する乾燥室である屋根裏部屋へと運び入れられる。この屋根裏部屋は集成材を用いた木架構を用いてつくられており、湿度60%に保たれている。風通しを良くするため、ぶどうは金網のある木枠のついた木枠のパレットに置かれていた。
「9月から11月にかけて屋根裏の窓を開けるのは、ガルダ湖から吹く風を取り入れるためなんだ。温暖なポー平原から北に向かって吹く風はガルダ湖を抜けることで湿気を含むようになる。その風は谷を抜けて、ここまでやってくるんだよ。そうすることで、ぶどうを乾燥をさせながら、同時に菌による発酵を促すことができる。我々は昔からその風のことを『オラ・デル・ガルダ』(ガルダの時間)と呼んでいるんだ」
このように乾燥室である屋根裏部屋では、窓から発酵に必要不可欠な貴腐菌と風を取り込むことで、乾燥と発酵がおこなわれている。2か月間にわたる「ガルダの時間」を経ることで、ノジオラは独特の香りと甘みを持った貴腐ワイン「ヴィノ・サント・トレンティーノ」になる。
屋根裏部屋の窓の配置を見ると、部屋の中央に内倒し式、そして東側には大きな両開きの掃き出し窓(室内の床面まで開口がある窓)がそれぞれ配置されている。
少し歴史を遡り、トレンティーノで貴腐ワインの乾燥・発酵室についての文献を調べてみた。文献が出版された1920年代当初の写真を見ると、やはり大小の両開きの窓が上下に柱の間に連続して並んでいる。そこから取り入れた風を利用して、木枠の中に敷かれた藁の上でぶどうを乾燥させている。特定の季節、温度、湿度、窓の向きといった気象や地形、建築の配置が「オラ・デル・ガルダ」というひとつの言葉に集約され、トレンティーノでの貴腐ワインの生産方法が大切に継承されていることが分かる。
同じ貴腐ワインを生産しているフランチェスコ・ポリ(Francesco Poli)さんの乾燥・発酵室を訪れてみても、やはり木架構の屋根裏部屋で、南側に両開きの窓が配置され、中央に木枠に入ったぶどうが置かれているのが分かる。
11月を過ぎ、「オラ・デル・ガルダ」が吹き終わると、それまで全開になっていた窓は、換気のための中央の内倒しの窓を除いて、全て閉じられる。
その後ぶどうは、翌年の3月末から4月末のイースターの時期まで、数か月かけて屋根裏で乾燥させられる。こうして乾燥されたぶどうからは80%程度の水分が失われ、糖度が高まる。水分が失われるため、15キロのワインをつくるためには、100キロものぶどうが必要だという。前年の11月ごろ訪れた際にはまだ水分が残っていたが、白ぶどうは徐々に水分を失い始めていた。ぶどうを光に当てると、琥珀色でとても綺麗だ。
その後、圧搾されたぶどうは、地下にある熟成庫のオーク樽の中で6〜7年間発酵・熟成される。コンクリート造の熟成庫は、地下の冷気と湿気を活用することで、一定の温度と湿度を保つことができるのだ。
こうして出来上がったワインはぶどうの琥珀色にオーク樽の木の色が移ったような色をしている。口当たりはまろやかで、蜂蜜やレーズン、ヘーゼルナッツのような香りが口いっぱいに広がる。ちなみに品種名の「ノジオラ」はイタリア語でヘーゼルナッツを意味するノッチョーラ(nocciola)が由来と言われ、ビスコッティと呼ばれるナッツなどが入ったビスケットと相性がいいのだそうだ。
「ヴィノ・サント・トレンティーノ」生産工程
トレンティーノでのぶどうの栽培は山々に囲われた谷地でおこなわれることで、周りから吹く寒風を防いでいる。また、南からの温かい風の通りを良くするために、東西方向にY字型のパーゴラ(トレンティーノのパーゴラ)が配置される。そして、屋根裏部屋につくられた窓からオラ・デル・ガルダと呼ばれる湿気や菌を含んだ風を一定期間取り入れることで、乾燥・発酵がおこなわれる。その後、コンクリートの地下室で冷気と湿気を活用し、さらに発酵・熟成をおこなう。
正田智樹/Tomoki Shoda
1990年千葉県生まれ。転勤族の父と共に、フランス、インドネシア、中国、ベルギーを高校卒業まで転々と移り住む。2014-15年には東京工業大学塚本由晴研究室にて「WindowScape3 -窓の仕事学」で日本全国の伝統的なものづくりの工房の調査を行う。2016-17年イタリアミラノ工科大学留学。現地ではSlow Foodに登録されるイタリアの伝統的な食品を建築の視点から調査。2017年東京工業大学建築学専攻修士課程修了。2017-18年Slow Food Nippon 調査員として、日本の伝統的食品生産を調査。2018年-現在、竹中工務店設計部在籍。