WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 スローフードと窓

第5回 北イタリア・モデナの
“伝統的な”バルサミコ酢

正田智樹(研究者)

14 Jan 2020

ぶどうから造られる果実酢で、イタリア料理には欠かせない調味料、バルサミコ酢。北イタリアの都市モデナでは中世より貴族や皇帝の間で疲労回復や消化剤の薬として使用されていた。モデナがバルサミコ酢発祥の地といわれるのは、バルサミコ酢の原料となるぶどうの品種[注1]にとって土壌や地形、気候の条件が最適であったこと、そしてバルサミコ酢を熟成させる際に必要な温度が最適であったことが挙げられる。

中でも今回とりあげるモデナのバルサミコ酢は“伝統的な”バルサミコ酢と呼ばれ、通常のバルサミコ酢とは区別されている。違いはその生産方法にある。普段スーパーなどで目にするような一般的なバルサミコ酢の場合、木樽で3、4年ほど酢酸発酵させた後に、ワインビネガー[注2]、着色料、香料、カラメルなどを添加して造られるが、“伝統的な”バルサミコ酢は何も添加せず、10年以上もの年月をかけ、木樽で熟成されることで生み出されるのだそうだ。これらは厳密にはスローフードに登録されていないものの、“伝統的な”バルサミコ酢として認定されるためには、欧州連合によって定められた厳しい審査をクリアし、D.O.P[注3]に認められる必要がある。

こうした方法でバルサミコ酢の生産をおこなうのが、今回目指す醸造所「アチェタイア・セレニ」だ。蒸留所まではアペニン山脈の麓に点在する丘陵地を縫うように、坂道を何度も上り下りしなければならない。醸造所を訪れたのは10月頃で、ちょうど紅葉でぶどう畑が色づき始めた頃だった。

  • 赤と黄に色づくモデナの丘陵地の景色

丘陵地の景色を眺めると、赤と黄の色づき方の異なる葉がおおよそ半分ずつ畑の面積を占めていることに気づく。これは「トレビアーノ」と「ランブルスコ」と呼ばれる白と赤の2種類のぶどうが栽培されているためだ。品種が違えば、葉の色づき方も違う。異なる品種で各丘陵地の作付面積が均等なのは、なるべく日照量や地形条件を揃えるためだろう。バルサミコ酢の原料にはそれらのぶどうをそれぞれ1対1の割合で混ぜ合わせて使用するそうだ。

こうしてモデナ市内から南方に20分ほど車を走らせ、醸造所に到着すると、造り手のフランチェスコ・ルイージさんが出迎えてくれた。フランチェスコさんは20世紀初頭に自身の曽祖父が始めたこの醸造所を引き継ぎ、現在もオーナーの父と共に昔ながらの製法を守りながらバルサミコ酢の醸造をおこなっている。先代から残る1500種類もの木樽や伝統的な生産技術を多くの人に知ってもらうため、アグリ・ツーリズモ(農泊)を取り入れ、製法の見学や食事にバルサミコ酢を提供している。さらに海外への輸出も積極的におこなっているそうだ。

  • 斜面地に建つ醸造所

醸造所は斜面地に建っており、2階部分に設けられたエントランスを抜けると正面に熟成庫がある。下った1階には収穫したぶどうの圧搾機やぶどうを混ぜ合わせる機械、アルコール発酵のためのステンレスの樽が配置され、裏のぶどう畑と行き来できるようになっている。まずはこの1階部分で、10月半ば頃に収穫した2種のぶどうを混ぜ合わせ、その後圧搾と煮沸をおこなう。ぶどうはステンレス製の樽で一旦アルコール発酵され、その後添加物のない“伝統的な”バルサミコ酢のみが、2階の熟成庫に移動されるのだという。

こうしてアルコール発酵を終えると、次に酢酸発酵の工程に入る。2階の熟成室を見てみると、木製の大架構の屋根の下に、いくつもの木樽が大きさの順番で横一列にずらりと並べられていた。夏が来るとぶどうはまずその中の一番大きな樽に入れられ、そこから樽を移動しながら順々に発酵を進めていく。一般的なバルサミコ酢の場合、機械を使用し1日で発酵を終わせるが、“伝統的な”バルサミコ酢では、好気性の菌である酢酸菌を木樽の蓋から入ってくる空気と徐々に反応させ、80〜120日もの時間をかけてじっくりと自然に発酵を進める。

  • 2階の熟成室。大きさの順にいくつも樽が並べられる

順々に樽を移動させるため、バルサミコ酢を熟成させる樽にはワインなどのそれと違って蛇口はついておらず、円形にくり抜かれた上部から果汁を出し入れする。夏の間、こうして空気と接触をさせることで果汁の5%が蒸発し、発酵と熟成が促される。

その後1年間かけて、熟成されたぶどう果汁の5%がさらに次の木樽に移される。こうして果汁は冬の間、順々にいくつもの樽の中を移動しながらゆっくりと熟成されていく。樽には、桑、樫、ジュニパー、ロビニア、チェリー、栗など実に様々な樹種が使われる。冬はバルサミコ酢の休息と熟成の季節だが、同時に木樽の香りを果汁に移すための大切な時期でもあるのだ。こうして樽の樹種を次々と変え、発酵に長い歳月をかけることで、それぞれの樹種の混ざり合った複雑な芳香をもつ薫り高いバルサミコ酢ができるそうだ。

  • “伝統的な”バルサミコ酢を造ることの手間と重要性を語るルイージ氏

「バルサミコ酢はこうして1年ごとに少しずつ小さな樽に果汁を移し替えながら熟成させる。だからここに並べられている樽の数は、熟成している年の数でもある。“伝統的な”バルサミコ酢には、最低でも12年間の熟成が必要とされているんだ」と、ルイージさんは語る。

そしてこの一連の発酵・熟成のプロセスに、窓が重要な役割を担っているのだという。窓辺に目を向けてみると、上部が開けられた内倒しの窓が熟成庫の壁を取り囲むように取りつけられていた。モデナは寒暖差が激しく、夏は平均31度、冬は0度にもなる。そのため、「1年を通して変化する外の気温と、熟成室の中の気温を近づけるために、窓は年中開け放っている」という。このように窓を開け放つことで夏は熱による発酵と蒸発、冬は冷気による休息と熟成をおこない、樽の内部で起きる微生物の変化を利用しているそうだ。

  • 内倒し窓のある熟成室
  • 1993年に使い始めたオーク材の木樽

熟成に一定の気温や湿度を保つことが望ましいとされているチーズやワイン、生ハムなどとは異なり、モデナのバルサミコ酢は季節ごとに変化する気温を利用して熟成をおこなっている。気温の変化を、窓を介して活用することで、この地域独自のバルサミコ酢は造られてきたのである。

こうして長い場合には25年もの歳月を経て、“伝統的な”バルサミコ酢はモデナ産であることを示す専用の容器に入れられ、完成を迎える。バルサミコ酢は艶やかな濃い褐色で、栓を開けると濃厚な独特の匂いが漂ってくる。モデナではこれをサラダや砕いたパルメジャーノ・レッジャーノチーズ(このチーズもモデナの名産だ)にかけるだけでなく、日ごろからお酢だけを小さなスプーンにすくって食べることもあるという。

  • “伝統的”なバルサミコ酢のみが、モデナ産であることを示す専門の容器に入れられる

日本のお酢を想像しながらバルサミコ酢を口に含むと、ぶどう果汁の新鮮な甘酸っぱさに驚いた。モデナの豊かな自然のなかで長い熟成期間を過ごしてきた、複雑な木の香りが口に残った。

注釈
1. ランブルスコ種、トッレビアーノ種、アンチェロッタ種が用いられる。
2. バルサミコ酢と同じく、ぶどうから造られる果実酢にワインビネガーがある。ワインビネガーが、ぶどう果汁に酵母を加えてアルコール発酵させた後、酢酸菌を添加して3カ月ほど酢酸発酵させて造られる一方、バルサミコ酢はその後さらに長期間熟成させることで造られる。
3. 保護指定原産地表示の略。特定の地域で生産された原料を、規定の製法を用いて生産された製品であることを示す。

 

 

「モデナの“伝統的な”バルサミコ酢」生産工程

  • 熟成室 アイソメ図
  • 広域断面図

バルサミコ酢の生産はトレビアーノとランブルスコの2種のぶどうが収穫できる9月半ばからおこなわれる。これらのぶどうは圧搾された後、1対1の割合で混ぜられアルコール発酵がおこなわれる。その後、醸造所の2階部分に位置する天井の高い熟成室に移動され、1年ごとに木樽の中を順に移動しながら熟成がおこなわれる。熟成室では内倒しの窓を年中開けておくことで、モデナの気温の変化を利用し熟成を進める。こうして夏は熱による発酵と蒸発、冬は冷気による熟成をおこない、10年以上もの年月をかけて“伝統的な”バルサミコ酢が完成する。

 

正田智樹/Tomoki Shoda

1990年千葉県生まれ。転勤族の父と共に、フランス、インドネシア、中国、ベルギーを高校卒業まで転々と移り住む。2014-15年には東京工業大学塚本由晴研究室にて「WindowScape3 -窓の仕事学」で日本全国の伝統的なものづくりの工房の調査を行う。2016-17年イタリアミラノ工科大学留学。現地ではSlow Foodに登録されるイタリアの伝統的な食品を建築の視点から調査。2017年東京工業大学建築学専攻修士課程修了。2017-18年Slow Food Nippon 調査員として、日本の伝統的食品生産を調査。2018年-現在、竹中工務店設計部在籍。

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