WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 窓の路上観察学

サンフランシスコの一つ残し

18 Jul 2018

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『超芸術トマソン』の英訳者が窓目線で綴る路上観察記。いつもとは別の角度から街を見ると、新しい発見がある。意図せぬ動機から生まれた「窓芸術」の面白さをユニークな視点で語ります。

文=マシュー・ファーゴ

サンフランシスコ周辺でよく見かける、戦前に建てられた工場。

リーバイス発祥の地だけに、以前はここでデニムが生産されていたのかもしれない。この地域の工場はデニムと同様で、昔のもののほうが断然よいつくりをしている。

そして、工場にしては意外かもしれないが、こうした物件は窓だらけのものが多い。今のように安価な電力がなかったため、窓の面積が大きいと採光が合理的だったのだろうか。とにかく戦前のサンフランシスコでは工場の多くが、窓を並べられるだけ並べた、窓づくしの窓放題だったようだ。

21世紀に入るとシリコンバレーの開発が進み、その影響でサンフランシスコの物価が急騰した。するといつからか、廃墟化した工場を分割してつくるレンガ造りのリノベーションオフィスが流行りだし、街のいたる場所で工場が縦に、横にと分割されていくハメに。こうして比較的手間をかけずオフィスをつくれたのはよかったが、もともと出入り口がなかった場所につくるオフィスには、あらたに戸口を設ける必要があった。それならば一からつくるよりも、既存の窓を戸口に作り変えた方が構造的に安全だし、お金もかからない。

それだけを聞くと窓に失礼な話に思えるかしれないが、改装を担当した職人がいい加減な仕事を許したわけではない。あらたに設けられた戸口に目をやると、コンクリートで塞がれた窓の一部が砂色の塗料でていねいに塗られていて、その様子からは愛情すら感じられる。

それにもうひとつ、写真右の戸口をご覧いただきたい。「関東の一つ残し」とでもいうように、窓が一切れ、塞がれてしまった窓に混ざり、遠慮がちに取り残されている。しかも、窓枠はもとの胡桃色のままだ。敬老の心の現れか、戸口の色をわざわざこれに合わせているようにも見える。うまく説明できないが、職人気質を超えた、「なにか」が感じられる。

もしかすると、左の窓をふさいだときに、それまで百年近くたっぷりと差し込んできていた日の光が急に消え、それまでないがしろにされていた「窓」のありがたさに職人たちが気がつき、「おーい、与太郎。作業、止めてくれ!」と、カシラの一存で右側の窓の残りの一切れ窓を残すことにしたのではないか。と、勝手に小さな物語を考えたくなるような、そういう物件である。

 

 

路上観察学
身の周りのあらゆる事物を観察の対象として,無目的かつ無意識的な路上の物件の面白さをあるがままに観察しあるいは採集する行動,フィールドワーク。 1986年に赤瀬川原平,藤森照信,南伸坊らを中心メンバーに路上観察学会を結成。その調査研究は今和次郎,吉田謙吉の考現学の視点を原点に森羅万象を対象とする。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

マシュー・ファーゴ/Matthew Fargo
翻訳家、テクノロジスト。バークレー大学日本文学部大学院より博士号、ニューヨーク大学インタラクティブテクノロジー学部(ITP)より修士号を取得。近年では赤瀬川原平著『超芸術トマソン』の英訳、NNNNYのメンバーとして多岐にアート活動、iOSアプリ「EKIBO」の開発など、デザインと文学の共通性をあえて探らず、平行で活躍。

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