
22 Oct 2026
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古今東西の建築を見て回った建築史家の藤森照信氏が、日本全国の歴史的建築から、よりすぐりの魅力をもった「窓」を1件ずつ紹介するシリーズ企画。13回目に取り上げるのは、兵庫県西宮市にある松山大学温山記念会館のクラウンガラスです。玄関脇にある窓には、微妙な歪みを持った小さな丸いガラスが並んでいます。窓用ガラスの最も古い形状とも言われ、中世ヨーロッパで広く用いられたこの材料が、昭和初期に建てられたスパニッシュ様式の邸宅で、なぜ復活したのでしょうか。
ガラス窓の長い歩みにさして関心のなかった若い頃、白井晟一が昭和13年に手がけた伊豆長岡の〈歓帰荘〉を訪れ、各所に嵌められた採光用のガラス窓を見て、奇妙なガラスに気付いた。ガラス窓のガラスは、ステンドグラスを除いて四角なものだとばかり思っていたのに、そこには丸いガラスが、それも何故かごく小さいのが、鉛の枠に嵌められていくつも並んでいる。
のちにガラスの歴史について学んで、丸い小さなガラスのことをクラウンガラスと呼び、このガラスこそ古代ローマに発する世界の窓用ガラスの最古の形状であることを知る。小さな円盤状で、中央に小さな突起がつく。
ガラスの歴史は極めて古く、古代エジプトやメソポタミアに発し、ガラス工芸品として隆盛したにもかかわらず、窓用の板ガラスの生産は大きく遅れ、古代ローマで初めて実用化している。
しかし、古代ローマの遺跡をいくら訪れても、実物にお目にかかったことはない。ポンペイの遺跡の博物館にはあったかもしれないが、記憶はない。
幸い、古代ローマに始まったクラウンガラスは、ヨーロッパでは中世まで作られ続けており、製法も記録され実物も残っているし、今でも古式で再現するガラス工芸家もいる。
私も一度、体験させてもらった。吹き棹の先に溶けたガラスを付けるところまでは全ての吹きガラス器作りと同じだが、この先が異なり、吹いて膨らんだガラス球の頂部に鉄棒をくっつけ、吹き棹からは切り離す。すると切り離された箇所に穴が開いた状態になり、鉄棒をグルグル回すと、遠心力で穴は広がり、ついには平らになる。この段階で鉄棒から切り離すと、中央に突起のある厚さ数mm径10cmほどの小さな円盤が生まれる、はずであったが、シロートにはこうはいかない。30cmくらいは広がったものの、厚さが2cmにもなり、窓用板ガラスとしては使えない。現在のプロは、数mmの厚さの径50cmほどまで吹けるそうだが、なぜか中世のクラウンガラスの実例は、全て径10cm程度に過ぎない。ガラスの質の問題なのか、古代ローマ以来の習慣という職人世界に固有の力のせいなのか。理由は分からない。
クラウンガラスの実例について述べたい。ヨーロッパ中世の建築といえば、11、12世紀のロマネスク建築、13、14世紀のゴシック建築の二つとなるが、訪れてもほとんどクラウンガラスを見ることはない。こう思い出しても、イギリスで少々、イタリアはもう少し多く、出会ったくらい。
まずイギリスから。中世のゴシック様式のイギリスにおいての簡略版をチューダー様式といい、木造による質の高いチューダーを見にバーミンガム近くの田舎地帯に訪れた。木造チューダーは、同じ木造でも日本の伝統的木造とは印象がだいぶ違う。屋根と軒が見る人の視覚を占有する日本に対し、イギリスのものは壁面が前面に出て、その壁面に縦の柱が林立し、山形の妻壁が露出して、ゴシックならではの垂直性を強調する。
室内においては、林立する柱の間に大きなガラス窓が嵌まり、そこにたくさんクラウンガラスが並んで使われていた。しかし、小突起の有無は、写真からは判断できない。あったかもしれないし無かったかもしれないが、思い出せない。
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玄関脇のクラウンガラスを用いたアーチ窓 -
内側から見たクラウンガラス
イタリアはどうか。イタリアは古代ローマの伝統が強く残り、とりわけヴェネチアは、中世のヨーロッパのガラス生産と工芸の中心地として栄え、今も、ガラス工芸といえばヴェネチア。
ヴェネチアでは古い時代のクラウンガラスに次の三カ所で出会っている。
一つはガラス細工で知られる近くの島のロマネスク様式の教会で、にぎやかな外観に比べれば地味ではあったが、窓には小突起付きのクラウンガラスが嵌まっていた。
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玄関ホールの階段
もう一つは、ヴェネチアン・ゴシック様式により飾られた〈ドゥカーレ宮(総督邸)〉で、一番重要な、“大評議会の間”は、窓全面を埋める大量のクラウンガラスから入り込む光が、豪華な天井の飾りを訪れた者に見せつける。
三つ目は、ヴェネチアのシンボルとなる大聖堂〈サン・マルコ大聖堂〉で、時期はゴシックよりさらに古く15世紀にさかのぼり、ローマ帝国東西分裂後の時期で、東ローマ帝国固有のビザンチン様式で飾られているが、時期も造形もロマネスク様式と重なる。ここの裏側の壁に穿たれた窓の一つには、見事なクラウンガラスが使われていた。淡い青と赤と黄の色彩が特別な仕上げであることを示し、中央の小突起も鮮やかに割肌を見せている。
以上のように長い歴史を誇るクラウンガラスであったが、産業革命を機に板ガラスが大量生産されるようになると、一気に廃れ、日本に西洋館が入ってきた明治の頃には忘れられていた。
それがどうして突如、木子七郎設計による昭和3年の〈新田長次郎邸(現・松山大学温山記念会館)〉で復活し、やや遅れて白井晟一による昭和13年の〈歓帰荘〉が続いたのだろうか。新田邸は全体はスパニッシュ様式でまとめられ、室内の一部にアール・デコ様式が加味されている。〈歓帰荘〉は、入口まわりはスパニッシュ、背後はチューダー、屋根と主室は縄文、という白井ならではの複雑骨折ぶりを見せるが、入口まわりからすると“この作品にはスパニッシュから入れ”と掲げている。
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2階和室にある違い棚と障子を組み合わせた円窓
二作ともスパニッシュを強く意識するには理由がある。1920年代、歴史主義様式を完全否定するモダニズム建築が登場し、世界の若手建築家の間に広がり始めた時、それまでの歴史主義に馴染んできた中堅以上の建築家たちは、活路をスパニッシュとアール・デコに見出している。スパニッシュは、歴史主義様式各種の中では、四角な白い箱型の外観といい装飾的ディテールの少なさといい、モダニズムの主張に一番近かった。アール・デコは、歴史主義がモダニズムの影響を受け、装飾的造形が幾何学化した様式であった。さらに、スパニッシュには、白い壁に小さな通気口を並べて窓とする伝統があった。
モダニズムの求める大ガラスの窓や水平連続窓に性の合わない建築家は、この時期、大ガラスの代わりに、小割りされたクラウンガラスとガラスブロックに活路を見出していたのではあるまいか。
木子と白井の二人は、モダニズムの隆盛を片目でにらみながら、スパニッシュとクラウンガラスに取り組んでいたにちがいない。
松山大学温山記念会館(旧新田長次郎邸)
設計者:木子七郎
施工:竹中工務店
所在地:兵庫県西宮市甲子園口1−12−31
竣工:1928 年
実業家で松山高等商業学校(松山大学の前身)創設者でもある新田長次郎が邸宅として建てたもの。松山大学に寄贈され、現在は研究会、ゼミナールなどを行う施設として利用されている。赤褐色の瓦を載せたスパニッシュ様式の邸宅だが、内部には洋室と和室が交じる。登録有形文化財。見学は要申し込み。
藤森照信/Terunobu Fujimori
1946年、長野県生まれ。東京大学大学院博士課程修了。東京大学生産技術研究所教授、工学院大学教授を経て、現在は、東京大学名誉教授、工学院大学特任教授、江戸東京博物館館長。45歳より設計を始め今に至る。近著に『磯崎新と藤森照信の茶席建築談義』(六耀社)、『近代日本の洋風建築 開化篇・栄華篇』(筑摩書房)等、建築史・建築探偵・建築設計活動関係の著書多数。近作に〈草屋根〉〈銅屋根〉(近江八幡市、たねや総合販売場・本社屋)等、史料館・美術館・住宅・茶室など建築作品多数。











