第17回 シェムリアップ 「洪水と床」(後編)
08 Feb 2018
砂にタイヤをめり込ませながらフラフラと進んでいた自転車は、湖にたどり着く前についに進まなくなった。川辺の砂地に、雑然と建物が並ぶ集落が広がっていた。
訪れたのは8月半ばであったが、トンレサップ湖はまだここまでは拡張していなかった。道沿いには仮設的なテントが多く、商店もあるようで人々で賑わっている。
湖に近づくにつれてだんだん高くなる川沿いの高床住居を追いかけてきたが、ここにきて様子が一変した。湖には近づいているはずなのに、高床がない。何が起きたのだろうか。
よくよく見てみると、このあたりの家は舟型になっていた。舟にそのまま壁を立て、屋根を載せてゆらゆら浮かんでいる。川を下るにつれて徐々に高くなっていった高床が限界をむかえたため、この一帯では大部分が川に浮かぶ水上住居になっているのである。上記写真の舟型住居は草の屋根や壁など古そうな姿をとどめており、陸地に打ち付けた杭にロープをつないで位置を固定している。小舟が横付いているため、移動はそちらでおこなうのだろう。
家の前面は、先ほどの高床住居のように跳ね上げ窓を採用している。しかし窓というよりは壁全体が跳ね上がり、開放感のある吹きさらしの空間になっていた。
平安時代の蔀(しとみ)戸の開放感にも似ているが、そもそも蔀戸は引き戸のない時代の簡単な窓として同じように発生した、多雨地帯の窓の原型なのかもしれない、と想像をめぐらす。
舟型になっていない一見普通の平屋の家々も、よく見るとドラム缶や木材を束ねた「浮き」によって浮かぶ水上住居であった。そのため集落には家の「基礎」であるドラム缶を大量にストックしている場所もあった。
自転車を引きずりながら歩いていると、30歳くらいの若い男性に声を掛けられ、ある水上住居を訪問することができた。小舟をつたって、家に入る。
束ねた細い木材によって浮かぶこの家は、5年前に建てられ、現在5人で住んでいるという。家の入り口は壁のない開口部分で、扉はなくオープンになっている。例のごとく、壁全体が跳ね上がることで明かりを取り入れており、この一番明るい入り口付近が家族の集まる場所になっている。ここも細い木材の軸組にトタンを打ち付けた非常に簡素なつくりである。
案内してくれた男性によれば、ひどいときは床上浸水することもあるという。そのためか、衣服や生活の道具の多くが梁や柱に引掛けたり、吊下げられている。テレビ台やスピーカーなど重いものはさすがに床に置かれているが(水がきたらどうするのだろう?)、あまり床にものを置くことがない。
高床の限界から水に浮かぶことを選んだ人々は、今度は生活の道具をいかに水から守るかを考えなければならないのである。
目の前で少年がハンモックに揺られている。これも水から寝床を守るためなのであった。動く湖の影響力は様々な尺度で、人と床との関係性をつくっている。
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。修士論文早苗賞受賞。2017年5月より台湾・宜蘭の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。