
第16回 赤レンガと弾痕 金門・前編
18 Dec 2025
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以前台湾の離島・馬祖島に行ったとき、年末年始に離島に行くのは「アリ」だと知った。ハイシーズンでない時期(離島の冬場はけっこう冷え込む)に訪れる島は人が少なく、ゆっくりとした時間が流れる。大晦日のローカルイベントも地味だが良い感じだ。台北の松山空港から飛行機に乗って、今回は金門島に向かう。飛行機から見える島の様子は、馬祖にあった寂しさがなく、意外にも賑わっているように見えた。台湾本島でよく見るRC造の建物の他に、赤茶色の瓦屋根を持つ建築のぎゅっと集まった集落がずいぶん残っているのが見える。
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飛行機から見る赤茶色の伝統集落
金門島は、馬祖島と並んで中国大陸に限りなく近い離島だ。廈門から3キロメートルくらいしか離れておらず、海岸からはもちろん大陸の高層ビル群がはっきりと見える。国共内戦のとくに激しかった1950年代前後に戦闘の舞台となり、残された多くの軍事施設の一部が観光地化されているのは馬祖と同じだ。
台湾全土に言えることだが、数多く残る古い民家が、昨今はネットで簡単に予約できる宿になっている。僕らはありがたい「伝統建築総民宿化時代」に生きている。かつての金持ちしか建てられないような建築に一泊数千円で泊まれてしまう事実に、僕らはもっと感動すべきだ。金門でも、集落ごとにいくつもの古民家が予約サイトに出てきた。ピンからキリまであるようだが、別々の集落の2つの宿を選んで友人たちと泊まることにした。
明の時代から続く最古の集落・金門城の宿につくと、現オーナーが案内してくれた。彼のひいじいさんが建てた四合院住宅だそうだ。屋根の棟が反り、先端を燕の尾のように尖らせた装飾を指さして、「これは燕尾と言って、位の高い人や役人にしか許されなかった屋根なんだよ」と自慢げに教えてくれる。格子戸の装飾は近年新たに塗られたようで、少しだけ趣がない。
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閩南建築の屋根棟には燕尾(左)と馬背(右)がある
台湾本島には手前の中庭をコの字に囲う三合院住宅が多く見られるが、金門では四方を囲う四合院形式が多い。それは、この島で古くから防犯が重要視されていたことを物語っている。そして富めば富むほどこの四合院が前に後ろに連なって、いくつかの中庭を持った住宅の集合へと発展していく。
集落を歩いてみると、建物の基本的なつくりが見えてくる。足元には黄色い花崗岩が積まれている。馬祖島ではこういう石がそのまま住まいとなったわけだが、ここではその上に赤レンガの建築が載ることになる。古い窓には花崗岩の枠や縦格子が嵌め込まれ、容易に壊せそうもない。また出入口と塀の関係も奇妙だ。門扉の高さに呼応して壁の高さも上下しており、壁に開口を設けたのではなく、開口に合わせて壁をつくったように見える。内部に段差がある建物では、その段差が窓の位置、そして屋根の高さにも現れ、外観から内部を想像させてくれる。そのような各要素に影響された凹凸のルーフライン、即物的な全体のまとめ方に、閩南建築を見る楽しみがあると知った。
もうひとつの大きな特徴は、建物の妻壁(「山壁」と呼ばれる)がしばしば屋根の高さを超えていることだ。日本建築は基本的に屋根が全体を覆うので、ずいぶん違った屋根のつくり方だ。これは、棟木や母屋、桁を直接支えるのがこの山壁であることに由来する。つまり閩南建築は木造+組積造の混構造なのである。
この目立つ山壁の上部に、自然と装飾が集中することになる。頂部には左官で拵えた波のような模様が多く、日本建築で懸魚(屋根破風板の飾り)に水の紋様が描かれるのと同じで、火災を防ぐためのまじないだろう。人間の考えることはどの国でもたいして変わらないのだ。
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石と薄いレンガを混ぜて積んだ壁
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屋根の反りが独特の地形に見える
島はバイクで十分回れる大きさだが、集落が多く見どころは尽きない。北西部の北山という集落についた。ほとんど人が住んでいないようで、さっきまで見てきた他の場所とはなんだか違う空気が流れている気がした。実はここ、1949年に「古寧頭戦役」の舞台となった集落らしい。
三日三晩の戦禍の激しさを物語るように、レンガ造りの建物には今も無数の穴が開いている。住民のほとんどが村を離れたことから、当時の住居が保存されている。ここで新しく宿や飲食店を構える動きも出てきているようだ。「離島と戦争をめぐる風景」はもちろん悲哀を感じさせるものには違いないが、現代台湾のたくましさを見る思いもする。
なかでも古そうな建物を見ると、窓は防御のためにレンガや石で埋められている。通風や採光のために工夫して開けられた窓も、戦いの中では命を危険にさらす開口部でしかないのかもしれない。そこにも容赦無く、銃弾は降ってきた。
しかしよくみるとこの建物、なんだか変なことに気づく。伝統的な閩南建築に、西洋風のフラットルーフの建物が並んでくっついているのだ。柱には洋風装飾が施され、ペディメントなども付随し、さらに窓上の小庇も閩南建築とは一線を画している。どうして台湾の離島に、こんなものがあるのだろう? 誰が建てたのだろう? 戦争の跡もそこそこに、僕はこの、馬祖島では見ることのなかった奇妙な折衷建築に目を奪われていった。
田熊隆樹/Ryuki Taguma
建築家。1992年東京生まれ。 2017年早稲田大学大学院修士課程卒業。 大学院休学中に中国からイスラエルまで、アジア・ 中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する。2017- 2023年まで台湾・宜蘭イーランの田中央工作群(フィールドオフィス・アーキテクツ)にて、公園や美術館、 駐車場やバスターミナルなど大小の公共建築を設計する。 2018年ユニオン造形文化財団在外研修、 2019年文化庁新進芸術家海外研修制度採用。










