WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載窓からのぞく現代台湾

第4回 辺境の小窓 馬祖・前編

田熊隆樹 (Fieldoffice Architects)

24 May 2022

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Taiwan

台湾の北西、中国大陸に限りなく近いところに、馬祖
マーツー
列島がある。台湾の中心地があのサツマイモ型の本島とすれば、そこから一番遠い場所のひとつ、いわば辺境である。
ここで年越しをしようということになった。今回は台北から飛行機に乗り、列島の中でも大きな南竿ナンカン島という島を目指す。天候によるのか汚染によるのか知らないが、ミルクティーのように茶色く濁った海を見下ろしていたら、1時間くらいで到着した。
冬の馬祖は、想像していたよりずっと寒い。度数の高い高粱酒をちびりと飲み、身体を暖める。オフシーズンなので観光客はほとんどいないし、まるで自分たちだけが間違ってこの島に来てしまったかのような、静かな数日間だった。

  • 馬祖列島・南竿島の古い集落と東シナ海を見下ろす

空港に置いてあった地図を手に取ると、主要な見どころの半分くらいは軍事施設である。防空壕やトーチカを開放したものや、地下坑道などがたくさんある。馬祖は、20世紀後半、金門島とともに中国国共内戦の軍事拠点とされた島なのである。中心から一番遠いということは、台湾(中華民国)側の最前線ということでもあった。海の先に福建省が肉眼で見える距離にあり、かつて何発もの砲弾が撃ち込まれた島である。軍事施設が主な観光資源というのは悲しいような気もするが、これも台湾の歴史と現代の観光需要が生み出した、まぎれもない離島の姿である。

 

バイクで適当に島を巡っていると、崖下のトーチカをそのまま使っているカフェがあった。迷彩柄の四角い建物からは地下に続く長い穴が掘られ、そこを歩いていくと海にせり出したトーチカに着く。コンクリートの塊には小さな穴が開けられている。ここからかつて兵士たちは敵を監視し、砲撃していたのだろう。そんなところでカフェラテが飲めてしまう現在である。

真っ暗な空間にわずかに開けられた穴から外を見る。砲撃と監視という明確な目的に向かってつくられたものではあるが、その窓は身を守る道具としての建築の、原初的な姿であるのかもしれないと思う。

  • 監視や射撃用のトーチカの穴

島の頂上付近にある軍に関する展示館の隣には、現役の兵士が海を監視する施設があった。話を聞くと、30代後半と見える彼は一日中ここで有事に備えているのだという。孤独だ。しかし、重要な任務だ。最前線も最前線である。とにかく、一日中こうして海を見る、そんな人生もあるのだ。おそらく海を越えた中国側には、この兵士と180度向きを変えた、また同じような姿の兵士が同じく一日中海を見ているのだろう。彼らの仕事がこれ以上忙しくならないことを願ってやまない。

 

島には古い集落が結構残っている。密に立ち並ぶ切石積みの民家は、台湾本島では見たことのないものだ。この島の大部分は白沙花崗岩でできており、その地質はむしろ中国大陸に属する。台湾本島にも様々な岩石が分布しているが、その大部分は山の中にあり、人が栄えた低地には煉瓦造の建築が発達した。かつて山地には原住民による石造建築が見られたが、いまはほとんど姿を消してしまっている。
分厚い石壁で強い海風・寒さから身を守る馬祖の民家の屋根は軒が極端に短く、飛ばされないよう石で押さえられ、ずんぐりとした壁面には小さな窓がポツポツ開けられている。妻壁が立ち上がった「うだつ」部分も強風対策だろうが、最上部の反りの形のバリエーションには、台湾の他地域にも見られる閩南ビンナン(福建省南部の略称)建築の面影がある。

そのポツポツは、古いものほど小さく見えた。集落の中で見た最小の窓は倉庫のような小屋に開けられたおよそ20cm四方くらいのもので、中に木戸がはめ込まれている。さすがに小さすぎると思う。こんな小さな窓にどれだけの意味があるのか分からないが、それでもやはりここに開けなくてはならなかった理由があるのだろう。この島では、その強風と寒さからむしろ窓を開けないことがスタンダードであって、必要最低限までそぎ落とされた形として、こういう極小の窓が現れるのだろう。必要最低限の合理性という点でそれは、軍事施設に通じるものがある。

 

その後ろには、少し大きくなった窓が綺麗に並んでいる。ある時代から、楣石(開口部上部に渡された石)を手に入れることが容易になったのだろうか。あるいは暖房設備が発達したことが関係しているのかもしれない。とにかく、馬祖の民家の窓はどんどん大きくなっているようだった。

 

もちろん、ここにはコンクリートの住宅もたくさん見られる。その中には石積み民家に擬態して一見古い住宅と見分けがつかないものもあるが、窓の大きさと楣石の有無でそれを見抜くことが可能だ。コンクリートになると当然、窓はさらに自由に、大きくなっていく。
小さな窓から徐々に大きく、そして自由になっていく様を同時に見られるという点では、馬祖の集落は建築の進化過程を見ているようで面白い。この強風の島には、カーテンウォールまではなかなか定着しないと思うけれど。

 

さらに集落を歩いていて目につくのは、エアコンの室外機や給水タンク、テレビアンテナなど、外から供給されるインフラがむき出しになっていることだ。集落にはドカンと銀色の給水タンクが鎮座し、各家につながるパイプの数はすでに取り返しのつかないことになっている。かろうじて開けたはずの小さな開口部の前には室外機が取り付けられ、白い管が生き物のように民家に潜り込む。このどうにもならない光景の悲哀は、古い集落にはつきものであり、外と内をつなげる役目を負っている窓はいつもそうした被害を受ける存在なのである。

  • 集落にドカンと置かれた給水タンク。うしろにはRC造の住宅
  • 室外機の管が小さな窓に潜り込む

日も暮れるころ、民宿に着いた。集落というより、崖際に数軒建てられた家のひとつで、もともと住宅だったものを改修した建物らしい。黒や黄色の石がバラバラに積まれた壁は、人間の手垢の残る民家という感じがあって好感がもてる。宿の主人によれば、築年数は100年くらいだという。彼は続けて、ここでの少年時代の頃のことを話してくれた。

 

「子どもの頃は中国からの爆弾がボンボン来たんだよ。
知り合いも死んだ。
みんなそれで台湾に引っ越してしまって、
戻って来た人は少ないね」

 

爆弾を恐れて島を出る、そんな生活は想像もつかない。しかしそんな話を聞いていると、彼らの民家はやはり軍事施設と同じような役割を果たしていたんじゃないかと思う。島民たちは長い間、石積みの頑丈な民家に開けられた小さい窓から、島の頂上で海を見ていたあの兵士と同じ景色、いやもっとひどい景色を見ていたのだろう。

  • 民家を利用した民宿

さて、大晦日である。台湾では旧正月のほうが大事といえども、各地で年越しイベントが開かれる。馬祖でも、どこかから歌手が来て歌う、小規模なイベントが開かれているようだった。しかし寒すぎるので、宿でその中継を見る。暖かな石積みの家の中にいると、近くで行われているはずの中継の映像は、どこか遠くの国の出来事のように見えた。
そうしてそのあとは、夜の海の音以外には何も聞こえない暗闇の中で年が明けていった。

 

後編へつづく)

田熊隆樹/Ryuki Taguma 1992年東京生まれ。2017年早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程卒業。大学院休学中に中国からイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する(エッセイ「窓からのぞくアジアの旅」として窓研究所ウェブサイトで連載)。2017年より台湾・宜蘭(イーラン)の田中央工作群(Fieldoffice Architects)にて黃聲遠に師事。2018年ユニオン造形文化財団在外研修、2019年文化庁新進芸術家海外研修制度採用。一年の半分以上が雨の宜蘭を中心に、公園や文化施設、駐車場やバスターミナルなど様々な公共建築を設計する。

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