第4回 烏鎮・「景区」外の家 (後編)
08 Nov 2016
「あなたの家」「あなたの家」と繰り返しながら、景区外の町を爺さんと40分ほど歩いたと思う。その間に何やら新しい大きな建物の建設現場を見たり、舗装されていない細い道を歩いたりと、観光地とは違った生活のシーンをたくさん見た。ついに爺さんの家らしい場所にたどり着いた(あとで気付いたことだが、僕は「あなたの家」という単語さえ間違えていた)。
その家は平屋で、レンガを積んだ壁を白く塗った閉鎖的な家であった。屋根の瓦は景区で見た古い建物と似たようなもので、よく見るとレンガの積み方も似ている。景区外といってもそこに共通点はあるように思えた。ここも一気に建てられたのだろう、周辺にも同じような家が並んでいる。
家に入ると靴を脱ぐ玄関のような場所はなく、すべて土間のような空間であった。日本の家に慣れている僕には、家の中という感じがしない。爺さんの奥さんらしき女性が、竹と籐でできた気持ちの良さそうなイスに座っていた。突然やってきた異国の若者に戸惑いながらも、僕の持っている中国語会話の本やスケッチを書いたノートなどを物珍しそうに眺め、中国語で話しかけてくれる。理解はできないけれど、僕の訪問は迷惑ではないみたいだ。はじめて見知らぬ土地で見知らぬ人の家に上げてもらった。夫婦に了解をとって、僕は実測してみることにした。
家の中は、居間を中心として左右対称になっていた。入口扉と正面に二つ窓があるだけで、中はかなり暗い。後方は倉庫のようで、日常的に使われるのは居間と調理場、そして寝室の3部屋だろう。非常にシンプルな家である。
調理場のかまど横に開けられた窓も単純で、防犯のためか格子が設置されていた。景区内の木の窓や扉のような装飾はそこには見られず、機能だけが必要とされているようであった。真っ暗な部屋で、差し込む光のまわりにかまどや流しが集まっている。
ふと、自分の入って来た入口を見返す。驚いた。
窓にくらべ、あきらかに過剰な大きさの、寺院にでもあるような重々しい木製の扉がそこにはあった。この家の最も重要な場所が、この入口であることを語っていた。
透かし彫りなどの装飾こそないが、同じ開口部といえ、機能だけの窓とは違う意味を持つことはあきらかだ。
夫婦はなんと寝室まで見せてくれた。中はテレビや服、タンス、何か入った箱などでいっぱいだが、しっかりと整頓されている。「大事なものはすべてここにある」といった空間で、寝室への入口も木製扉でしっかりと施錠できるようになっていた。居間につながる4部屋の中で、この寝室だけがこのような重々しい扉をもっていた。奥の部屋の木製扉は開け放しになっていて、調理場と倉庫には扉さえなかった。
ひどく単純で、一気に建てられたであろう「景区」外の家。観光客に見られることもなく、歩いていたら見過ごしてしまう彼らの暮らしの中には、窓や入口といった開口部の中でも、大事な場所を選んで重い木製扉をつける意識がある。それは景区内で見た木製建具の装飾に対する意識のおもかげだったのかもしれない。
お礼をして帰ろうとする僕を、夫婦は大きな入口扉から笑顔で見送ってくれた。
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2014年4月より早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程在籍。2014年6月、卒業設計で取り組んだ伊豆大島の土砂災害復興計画を島民に提案。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する (台湾では宜蘭の田中央工作群にてインターン)。