17 Jan 2017
movie “The Birth Canal”
柱間装置とは柱と柱の間に取り付けられる建築の部位すべてのことをさす文化財用語である。具体的には、壁、障子や襖など各種建具などがあげられる。木造軸組の建築においては建具に限らず床に敷かれた板や畳、そして天井も基本的には同様の装置的思考で構成されており、日本建築はその柱間装置の多様性によって、空間的豊かさが生み出されてきた。窓学・柱間装置の文化誌では、この「柱間装置」をキーコンセプトとし、日本建築史上の建築物を題材として調査を行っている。
比叡山にある日吉大社は、天台宗の護りの神である。琵琶湖をみおろす東のふもとに位置する神社では、毎年、山王祭(さんのうさい)が開かれる。人々はふもとの親格の神輿一対を山の社におし上げ一ヶ月を待つ。これによって男女神のエネルギーをえた神輿は、ふたたび担ぎ手たちによってふもとへと下る。山頂の神的領域で溜められたエネルギーが、俗世へ放たれるクライマックスがはじまる。本映像”The Birth Canal” (産道の意)は、その様子を紹介したものである。
Text content ─The Birth Canal─
〈はじめに〉
〈日吉大社について〉
〈山王祭について〉
〈山王祭と柱間装置〉
〈はじめに〉
日吉大社は、琵琶湖の西側と京都との境に位置する比叡山にある。琵琶湖を見下ろすように比叡山のふもとに鎮座するその神社は、同山にある天台宗延暦寺の護りの神として古くから崇められてきた。同社は全国で約3800社以上(i)を数える日吉・日枝神社の総本宮として知られる。山王祭 (さんのうさい) は毎年日吉大社にて行われる祭である。そこではこの地に日吉大社でまつられる神々が降りてきた当時の様子を再現したとされる儀式がとり行われる。この祭は時代とともに様子を変えながらも、その根幹は今に受け継がれている。
柱と柱、あるいは建築と建築の併立は、そこに「間」 (ま/in-between) という閾 (しきい) 、領域を発生させる。古来より人々はその間に特別な意味を見出してきた。それは山王祭の舞台となる日吉大社の多くの場所に意識的にしつらえられている。
たとえば八王子山という小高い山は日吉大社境内の最も高い場所に位置する聖所である。そこには神の依代(ii)とされる巨石「金大巌 (こがねのおおいわ) 」がある。そしてその両脇に、この巨石によりそうように二つの社殿が作られている。その社殿は急な斜面での建設を成立させるために、建物を空中に浮かばせる立体的な土台を組み上げる懸造りによって建てられている。金大巌とそれを挟む二つの懸造りの社殿によって生み出された「間」は、いわば神的なエネルギーが蓄積される領域となっている。
山王祭の際には神の象徴的な乗り物である神輿 (みこし) が二つ、ふもとから担ぎ手たちによって担ぎ上げられ、その山上の二つの社殿内に一つずつ一ヶ月ほど安置される。これによって神の降臨と神のエネルギーを得た神輿は、一ヶ月後、ふたたび担ぎ手たちによって、ふもとへと下る。山頂の神的領域において溜め込まれたエネルギーが俗世へ解き放たれることで、クライマックスが生まれるのである。
(i) 諸説あるが、ここでは須藤護「日吉山王祭と山の神信仰」龍谷大学国際文化研究第15号2011年3月の社数を参考とした。
(ii)依代:神が宿る対象物のことをさす。樹木・岩石・御幣などがその対象となることが多い。
〈日吉大社について〉
日吉大社は比叡山東麓、滋賀県大津市坂本に鎮座している。比叡山延暦寺の鎮護神として知られ、「山王権現」とも呼ばれる。仏教が日本へ伝来した際に神社との融合がすすめられた神仏習合(i)の時期に、日吉大社は天台宗と融合し多くの人々からの信仰を受けた。その後、天台宗の普及とともに各地に日吉大社の分霊社が広がり、総本宮としての地位を確立した。
日吉大社のはじまり-八王子山と金大巌-
日吉大社がふもとに広がる八王子山は、有史以前からこの周辺の信仰の対象であった。この八王子山の頂近くには巨石、金大巌 (こがねのおおいわ) がある。その名は朝方に巨石に太陽の光が当たり黄金色に輝いていたことに由来しているという。人々はその巨石に崇高さ、そして特別なエネルギーを感じたのであろう。八王子山自体が聖なる対象として信仰されるなか、特に金大巌は山の神が宿る依代として特別な存在となった。今でもこの地に元来から住む山の神を祀る場所として、金大巌の両側には社殿が建てられ、毎年行われる山王祭では重要な神事が行われる舞台の一つとなっている。
また、八王子山のふもとに位置する日吉大社の社殿は背後に八王子山を礼拝する方角へ向けて建てられている。これらの社殿は近世初期に焼失したが、再建後も中世までの神社形式をよく残している。日吉大社は八王子山と金大巌に対する信仰と関係深い神社群であった。
日吉大社山王七社について
日吉大社は多数の社が集まって成立しており、多いときには境内・境外に216社もの社があるとも言われた。そのなかでも信仰対象として安定した地位を確立している社が七つある。これらは「山王七社 (さんのうななしゃ) 」と呼ばれる。まず、八王子山の上に金大巌をとりまくように牛尾宮と三宮の二つの社殿が建っており、これを合わせて「奥宮 (おくみや)」 と呼ぶ。
また、ふもとには五つの社殿がある。牛尾宮と三宮から勧請(かんじょう)した神が祀られた東本宮 (ひがしほんぐう) 、樹下宮 (じゅげぐう) 、そして現奈良県の大和地方の三輪山からの神を中心として外来から勧請された神がまつられる西本宮 (にしほんぐう) 、宇佐宮 (うさぐう)、白山宮 (しらやまぐう) がある。これら山王七社の社殿は基本的に背後に八王子山を礼拝するように建てられている(ii)。
(i)神仏習合:日本の信仰体系の一つであり、日本土着の信仰 (神道など) と仏教信仰が混淆し一つの信仰体系として再構成された。これにより、神仏関係は緊密に協力しあう仲となったとされる。
(ii)現在の配置図をみると東本宮のみ異なっているようだが、創建当初は現西本宮の位置に東本宮社殿があったとされ、他社殿と同様の形式をとっていた。
日吉大社に見られる独自の鳥居「山王鳥居」
日吉大社にある鳥居は、他の神社のものとは異なった独特な形式である。上部に三角形の切妻の形が載った形となっており、「山王鳥居 (さんのうとりい) 」と呼ばれる。この鳥居は神仏習合、そして山王信仰の象徴であるとされる。日吉大社の山王鳥居は境内のみではなく境外の琵琶湖の畔にも建てられている。日吉大社で毎年行われる山王祭では、これらの鳥居を通過するように神輿が移動する。そして日吉大社を信仰する坂本の町全体が祭の舞台となる。
〈山王祭について〉
山王祭は日吉大社にて毎年とり行われる例祭である。この映画“The Birth Canal”は、その様子を紹介したものである。勇壮な祭事のなかで、日本建築の特質である柱間がいかに効果的に用いられているかを見ることができるだろう。
山王祭は3月からはじまる。神輿を八王子山頂へ担ぎ上げる「神輿上神事 (おこしあげしんじ)」 から、ふたたび神輿がふもとの定まった場所にもどる「神輿還御 (みこしかんぎょ)」 までの約一ヶ月半の期間に二十あまりもの神事がとり行われる。山王七社の各社には全部で七基の神輿があり、それぞれの成立経緯にもとづいた、役割が与えられている。
日吉大社山王祭の流れ
映画では、神輿を山頂に担ぎ上げ、約一ヶ月後にそれらを下ろし、ふもとで待ち受けている他の神輿とともに生誕を意味する儀式をとり行い、その後人格化された神輿たちがふもとの町々に幸いを与えるために巡行するまでのプロセスを描いている。それらをシークエンス順に説明する。
1. 3月の「神輿上神事」では、山の上の二つの社殿である牛尾宮 (うしおぐう) ・三宮 (さんのみや) に神輿が担ぎ上げられ、山の神を迎える準備が行われる。神輿の担ぎ手は駕輿丁 (かよちょう) と呼ばれ、坂本の各町内に鎮座する神社に関係する、地縁でつながった集団が担当している。
2. 牛尾宮・三宮に収められた二基の神輿には、その間に神の御霊が宿るとされている。そして、4月12日の「午の神事 (うまのしんじ) 」でふもとへと下る。これは、牛尾宮・三宮からふもとの大社へ神を移しふたたび祀った勧請 (かんじょう) という儀式を再現したものである。
3. 牛尾宮に祀られている神は大山咋神 (おおやまくいのかみ) 、三宮は鴨玉依姫神 (かもたまのよりひめのかみ) である。男女の神が祀られている。「午の神事」のあと、ふもとの東本宮 (ひがしほんぐう) の境内で礼拝を行う拝殿へ置かれるときには、神輿はそれぞれを交わるように突き合わされる。そして男女神の結婚を表す「尻つなぎの神事」がとり行われる。
4. 翌日の「宵宮落し神事 (よみやおとししんじ) 」では、牛尾宮と三宮の子である若宮 (わかみや) の誕生を表す神事が夜に行われる。神輿の運動によって新たな生命が誕生する様子が、それらが安置された建築の柱間によって強調され、祭のクライマックスを迎える。
5. 以上の神事のあとは、ふもとの西本宮 (にしほんぐう) 、宇佐宮 (うさぐう)、白山宮 (しらやまぐう) と、外来の祭神がこの地に勧請された様子を再現した神事が続く。
6. そして最後に、七基の神輿は飾り付けられ、琵琶湖周辺の各町へと行幸する。神輿は境内の鳥居の柱間を抜け、参道下の鳥居、琵琶湖沿いにある鳥居をくぐって運ばれ、その後船に乗って琵琶湖内へと巡遊する。その後、船から降りた各神輿は町中を練り渡り、ふたたび境内の神輿庫へと還って行くのである。町内をめぐる神輿たちと彼らから幸いとエネルギーをもらう道沿いの人々の様子は大変リラックスして楽しげである。
山王祭は約一ヶ月半の期間をかけて毎年行われる。それは神の魂を若返らせるために更新 (みあれ) し、常に生命力に満ちていてもらうためであった(i)。
(i)景山春樹『神体山』(学生社、1971、東京)参照
〈山王祭と柱間装置〉
柱間が生み出す生命と祭
山王祭において行われる神事は、「間」が作り出す領域と深く関係している。
古来、仮設的な神の依代である神籬 (ひもろぎ) が、四本のか細い柱を立てることによって、その内側に神聖な領域を生み出すことであったのと同様である。
日吉大社の場合、八王子山上の二つの社殿とその社殿の間は金大巌のエネルギーが溜め込まれる領域となっている。そして山王祭の「神輿上神事」ではこの社殿にそれぞれ神輿が収められ、その後一ヶ月間を経て、エネルギーは神輿に伝播し、「午の神事」にふもとへと下される際には、高所から低所への移動による位置エネルギーから運動エネルギーへの変換によってさらに倍加される。
また新たな神の誕生を示す「宵宮落し神事」が行われる建築舞台の柱間はきわめて劇的な効果をもたらす。集合した神輿が各柱間に配置され集合することによって、その景色は神的なものとなる。これは神のことを柱という言葉で象徴することが多いこととも大いに関係している。男女の二柱 (神) から新しい生命が生まれるのである。
その後、これらのエネルギーは神輿の琵琶湖渡御とともに、鳥居が形成する領域 (=結界) を通過しながら、様々な領域へと伝播されていく。
柱間装置による結界と生命
柱と柱の間には、目に見えない結界が存在する。
このような柱間は、宗教建築において、俗の世界である現世と神の世界である常世(i)の境界としてもうけられ、特に祭祀儀礼の際には重要な役割を持っていた。その典型的な柱間的建築装置の一つに、神社特有の門である鳥居がある。山王祭において奥宮から出発した神輿は、琵琶湖へと参道にそって移動する。その道行きのなかで、神輿はいくつかの鳥居を通過する。山王祭では各鳥居を通過することで、神輿が神の領域 (日吉大社境内) から、神に仕える者の領域 (僧の住まいである里坊が広がる地域) 、そしてふもとにあって日吉大社を支える人々が住む坂本という地域、最後に琵琶湖の向こう側に広がる果てなき世界へと移動する。その際、鳥居は次の領域へと移動していくための門となっており、神輿に乗せられた神の力は様々な領域へと運ばれ、そのエネルギーをふりまくのである。
(i)常世:日本神話や古神道、神道において重要な世界観であり、現世と対峙関係にある。永遠に変わらない神域のことを意味し、死後の世界としてもとらえられる。
参考文献:
・景山春樹『神体山』(学生社、1971、東京)
・滋賀県「国指定史跡 日吉神社 保存管理・環境保全計画書」 (2009)
・嵯峨井建『日吉大社と山王権現』(人文書院、1992、京都)
・須藤護「日吉山王祭と山の神信仰」龍谷大学国際文化研究第15号2011年3月
中谷礼仁/Norihito Nakatani
建築史家。早稲田大学教授。本研究代表者。主な著書『今和次郎「日本の民家」再訪』瀝青会名義 (平凡社,2012) 、『セヴェラルネス+ 事物連鎖と都市・建築・人間』 (鹿島出版会,2011) 、『国学・明治・建築家』 (一季出版,1993)