WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 2021年度研究事業 疫病と窓

黒石いずみ(建築理論家)
「窓をめぐる生活世界のコロナ考現学」

黒石いずみ(建築理論家)

14 Apr 2023

Keywords
WRI session

公益財団法人窓研究所は、当財団が関係した研究の成果を共有するため、2022年4月23日(土)に「WRI session 研究報告会2022」をオンラインで開催し、その第二部では「疫病と窓」をテーマにした4名の研究者・建築家による研究成果報告を配信しました。本記事は登壇者のひとりである黒石いずみ氏(建築理論家)の講演内容を再構成したものです。

 

 

2019年から現在まで「コロナ考現学」と題し、コロナによる生活様式の変容と地域環境の変化について、学生や山形の高校生、地域の方々と協力して取り組んでいます。今日の発表ではまずこれまでの研究についてご説明し、そして2021年に行われた生活学会のコロナ特別研究委員会で行った住まいに関する議論についてお話しします。
これらの活動の中で、コロナの影響が窓にどう現れているかについて、4つの視点から考察します。最初の視点は、メッセージボードとしての窓、あるいは視線と遮光と換気が交錯する中間領域としての窓の役割についてです。2番目の視点は、居住者が窓をどう思い、どう感じているのか、あるいはどのような心理的関係をもっているかについて、学生におこなったスケッチアンケートを元に考察します。3番目は、歴史的な視点です。窓と生活の関係を取り上げてどのように扱われてきたかということです。ここで藤井厚二の話を少し取り上げます。4番目は、コロナ考現学のなかで感じた地域差についてです。東北の事例をご紹介させていただきます。
そしてこれらの視点での考察のまとめとして、最後に、コロナ禍で再認識された「心の窓」の意味についてお話をさせていただきます。

  • 黒石いずみ氏

コロナ考現学で考えた窓
2019年からのコロナ考現学の中で当初気になったことは、マスクの着脱や人々が歩く時に連れ立つ人の数、ファッションの変化、そして閉店しているお店が非常に増えたことでした。また、コロナのなかで人々がどのように関係性を維持しているのか、そのメッセージの出し方や、街や玄関先で立ち話をする人の様子、それから子どもたちを連れて公園で遊ばせるグループの様子などが気になりました。
ワクチンの普及や感染の数、接触距離のことは制度上よく取り上げられるのですが、やはり数の問題だけではなく、多様な世代が居住する都市環境のなかでは、人々がどのようにお互いに心理的な交流をするのか、その交流の場がどうあるべきかという問題が一層重要になったと思います。ここでお見せしている絵は学生とのコロナ考現学調査の成果です。

どのような店舗も、ただ閉めるだけではなく、お得意さんやいろいろな方に対するメッセージを提示しています。いろいろな場所が立ち話の場所になり、飲み屋やカフェなども地域の集いの場、いわゆるアジール(逃げ場)になっているというのが印象的でした。
そのメッセージについて調査した事例を幾つかお見せします。

これは横浜の小さな商店街ですが、非常に多様なメッセージの出し方があります。共通して横浜市から出ている注意喚起もあり、その混在ぶりには住民の心理的配慮が伺われます。

渋谷のセンター街でも、その多様なメッセージの出現が顕著でした。東京都の感染防止のステッカーがコピーされてよれよれになったものがお札のように貼られてあり、実際の感染予防の状況は直接反映していない制度的なメッセージと、非常に細かな個別のメッセージの出し方に、お店の個性が現れていることが分かりました。

これらの観察で得た、メッセージ性やアジール性の問題を含めて、日本生活学会の大会では、尾見先生もお招きして議論を行いました。住まいへのコロナの影響について議論したグループでは、次の4つが指摘されました。
1番目に、住宅のなかで、仕事と家族生活との共存や接触機会の調整が必要となり、郊外への転居やレイアウトの変更、遮音や空調の改善が行われ、あるいは外部の仕事空間の普及が進みました。特に深刻なのは、ゆとりのない環境で家庭内暴力が増加したり、鬱(うつ)になる学生が増えたりしたことです。家庭は決して安全な場所ではないということです。
2番目に、高齢者施設への訪問が限定されて、年老いた両親が会えないうちに亡くなってしまったり、学校の給食や学童の停止のせいで母親が就労できず生活が非常に困窮したり、家族の営みが弱体化している状況が改めて明らかになったことです。
3番目に、ネットカフェやそれに類する場所が閉鎖されて追い出された人たちがホームレス化し、その救済をしようにも困難だったことです。日本では人権としての居住権が十分保証されていない問題が明らかになりました。
4番目が、困難な時でも人々は交流を求めていることが明らかになった事です。小さな中間領域がアジールとなり、それが高齢者支援や地域防災に重要だということが認識されました。
以上のように、コロナ禍では住まい単体の問題だけではなく、地域との関係や個人と他者との関係が非常に重要だということが明らかになりました。

研究室のメンバーと共に行ったコロナ考現学では、上記の問題の他に、山形県の高校生との交流でわかったことがあります。山形県の場合、木造の戸建ての家が非常に多く、多世代同居が多いこと、そして農家では職住近接が普通でした。多世代居住や職住近接がコロナ禍での生活の持続にどのような効果を持つかについては、もう少しきちんと考えなければいけません。しかし自然の豊かな場所が感染を避ける上で効果的だというだけではなく、パンデミックによる住まいの問題は、戦後の都市化や近代化による豊かさの追求そのものが原因になっていることは明らかに分かります。上記の4つの問題と地方と都市の住まいの状況の差は、我々の住宅観が歴史的に蓄積してきた矛盾を明らかにしました。

窓を通した居住者と外部環境との関係の変化
そこで、そのような問題や生活環境の変化について、若い世代が感じていることを、特に窓との関係性という視点でスケッチアンケートを取りました。そこでも、メッセージ性、アジール性、中間領域での心理的交流などの問題が重要であることがわかりました。

コロナ禍での過ごし方、外部に対する姿勢という点で、学生は4つのタイプに分けられました。1つ目は部屋に閉じこもり、昼夜の生活が逆転して非常に内向化したというタイプです。部屋の中のことをより考えるようになった反面、中は安全だが外は危ないという極端な認識になったという答えもありました。

 

2つ目は、孤立した限定的な外部との接触をベランダでおこなうタイプです。確かに、街を歩くとベランダの洗濯物が前よりも増えていることに気が付きます。ベランダで外部には接するが、それ以上外に行かない。

 

3つ目は、自然の魅力を再認識しているタイプです。窓から外を見る機会が増えたため、空がきれいだということに気付く。太陽がありがたいということが分かる。ベランダに出てそこで暮らしてみてもいいな、寝てもいいなと感じる。確かにベランダでキャンプをする人も増えています。

 

最後は、スケッチに窓枠がはっきり描かれていることからもわかるように、感染を恐れて接触の仕方は限定して内部と外部を明確に区切りつつ、外部に行きたいという意欲を改めて抱くようになったタイプです。

現代の住環境は遮音性が向上し、個室化も進んでいます。多くの学生は感染を恐れて閉じこもり内向化している一方で、自然環境や家族、身近な人とのつながりの価値を再認識しています。両方向の矛盾する心理的状況が窓の周りに発生しているということが分かりました。

住環境の計画史
このような状況の背景として、窓が住宅計画上どのように位置付けられてきたかを歴史的に検証しまました。特に心身バランスと衛生科学がどのように窓や環境の概念を変えたのかということを考察しました。

これは藤井厚二が審査員として参加したコンペの図面です。ここで1等になったのは日本風の木造住宅でした。食堂とリビング、書斎が一体化し、椅子、机式の洋風の家族室と子ども室が南面しています。幅広い縁側で庭とつながり、隣には多用途の和室が2間連続しています。また台所や風呂、便所、玄関は北側に設けられ、欄間を生かして季節ごとに快適な自然換気をつくりだすと説明しています。そして縁側からの採光と、畳の部屋による平面の可変性が重視されています。つまり、単純に欧米のモダニズムに従うだけではない、和風の住宅の仕組みを生かした健康な家が可能だという提案です。

住宅の近代化の考え方に大きな変化をもたらしたのは、1930年から戦後にかけての農村や都市の住宅改善の動きです。冷害に伴う飢饉(ききん)や三陸津波からの救済、また戦時対応、兵力増強のために行われた、積雪地方農村経済調査所や東北地方農山漁村住宅調査の企画で、東北更新会の事業を継承して、今和次郎と同潤会は、東北の民家の構造や経営の問題だけではなく、衛生問題に重点を置いて、採光、通風、採暖、排煙、吸湿、排水の改善提案を行います。

実験住宅を作って、左のように非常に窓ガラスがたくさん使われた住宅を提案しています。両方の事例とも窓ガラスが多いことが明らかです。当時の東北の農村では寒さや経済状況によって開口部が不足していたため、採光のためにガラス窓の面積を増やそうとします。
しかしここで疑問が持ち上がります。窓ガラスのように高価なものが当時どれくらい入手可能で、防寒性能としてどうであったのか。このプランには、実践可能性の問題があり、結局モデル的な実現にとどまったようです。しかし、戦時中から戦後へかけての住宅の小規模化と機能の単純化、採光や衛生機能の重視は進みます。

ここに取り上げたのは西山夘三の住宅図面です。左は彼の同潤会の自宅のアクソメ、真ん中は7.5坪の国民住宅案、右は70年代のnLDKの集合住宅調査結果です。西山夘三は戦時中に営団技師であった時の研究で、農家の土間は不衛生だと批判します。戦後、住宅の因習を排除しようとして浜口ミホは、玄関は無駄だと言います。1970年代のnLDKへの変化は、彼らの戦後の提案を基にした51C型をを基礎として個室を増やしたものです。結局、戦時中の面積の縮小化や科学的衛生概念の重視によって、地域性や歴史的習慣から自由になった、単純化された機能のパターナリズムが浸透したことで、規模が拡大し、個室は増えても、歴史的な住まいや暮らしに含まれていた、包摂的な合理性は否定されたままだったことは、否めません。

ところが面白いことに、この真ん中の西山夘三の7.5坪の極限的な国民住宅案には、都市部の町屋の通り庭の形が取り入れられています。西山の当時の文献をみると、食寝分離に関しても、衛生の問題で食べるところと寝るところの機能を分けるだけではなく、倫理的な問題を取り上げています。この通り庭も、地域と住まいとの関係を重視した提案だったのではないでしょうか。

農村地方の窓に見る住まいと地域の関係
現代の農村の住宅と都市住宅は、その生活様式や周辺環境の違いはまだまだ大きいままです。しかし今和次郎と西山は、スタンスは違いますが、地域の職住近接やその地域社会との関係性などのような地域的合理性を重視しています。そのような地域的合理性は今どのような意味があるのでしょうか。間取りや衛生、採光形式だけではなく、住まい手と周辺環境の関係の問題も含めて、民家調査の視点の変化を辿ってみました。

これは東北地方農山漁村住宅調査で、竹内芳太郎が東北6県を34年から41年にかけて回った地域の地図です。私はそれを現在たどりながら民家の現在を考えています。

竹内は養蚕農家の機能と空間の変化を研究していました。福島では現在も養蚕農家が残っており、住空間や、物置として活用されています。前述したように、開口部は多く、防雪の工夫を施しています。

1軒だけ偶然内部を拝見しました。60代のご夫婦が、昔はここに住んでいたが、新しい家を建ててからは物置にしているとお話をしてくださいました。そして、夏は涼しいし冬も暖かいので、電気代がかからないから、片付けて地域の集いの場所にしたいと話していました。民家は時代を重ね、今も人々の工夫で機能や住まい方が、社会とのコミュニケーションの仕方を更新し続ける強い建物であり、窓にはそれがはっきりと現れていると感じました。

ここで思うのは被災地の住宅です。防潮堤を作って津波を防ぐという考え方に基づいて大規模な防潮堤が各地に建設されましたが、一方で海を見るとことで自分を守るのが漁村の住まい方だという考え方もあります。安全や住まいの心理的な満足ということに関しては、今後はもう少し地域的な多様性や習慣を取り入れる事が必要ではないでしょうか。

以上のように、地域の人々は地域環境に適応し仕事の変化と暮らしを調整しながら、採光、通風、換気、中間領域を活用し、住まいを改善して生き延びてきたのだと思います。その民家の持続性を、今、もう一回見直す必要があるのではないかと思っています。

「心の窓」としての役割
最後に、私の大好きな住宅を紹介します。これは高齢のご夫婦が、地域の人たちに見守ってもらうため窓を大きく道路に向けて開け、中の様子もオープンにして、ご飯もみんなが気軽に入ってきて食べるようにしている例です。積極的に窓を開けることで地域とつながろうとする姿勢は、窓を通して心を開く、つまり心の窓となっています。コロナを経て、窓のそのような意味が再評価されていると思っています。

謝辞:文中に用いた学生のスケッチアンケートの作品は、青山学院大学総合文化政策学部の黒石の授業の受講者によるものです。スケッチを掲載させていただいた学生さんたち、福島の農家の内部を見学させてくださったご夫婦、「心の窓」の住宅の住人の方にも感謝します。

 

TOP: 黒石ゼミ・今泉結衣作

黒石いずみ/Izumi Kuroishi

1980年東京大学工学部卒業、1982年東京大学工学系研究科建築学専攻修士課程修了後、大谷幸夫研究室で設計業務に従事。東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程満期退学後、ペンシルバニア大学芸術学部で建築理論と歴史を学び1998年Ph.D.取得。青山学院女子短期大学、青山学院大学総合文化政策学部教授を経て現在福島学院大学教授。著書に『「建築外」の思考:今和次郎論』(ドメス出版、2000年)、Constructing the Colonized Land: Entwined Perspectives of East Asia around WWII(Ashgate2014年、日本生活学会今和次郎賞)、『東北震災復興と今和次郎:ものづくり・くらしづくりの知恵』(平凡社、2015年)など。共著に『今和次郎採集講義』(青幻社、2011年)、Introducing Japanese Popular Culture(Routledge、2017年)、『時間の中のまちづくり』(鹿島出版会、2019年)、Adaptive Strategies for Water Heritage(Springer、2019年) 、『「住む」ための事典』(彰国社、2020年)、 Design and Modernity in Asia: National identity and transnational exchange 1945-1990(Bloomsbury 2022)、 Interiors in the Era of Covid-19(Bloomsbury、 2023)など。翻訳に『時間の中の建築』(鹿島出版会、1999年)『アダムの家―建築の原型とその展開』(鹿島出版会、1995年)。Sensing Cities project(Daiwa Anglo-Japanese Foundation)で東京、NY、Londonの都市文化交流(2008年)、Design and Disaster(2014年)、 DOUJIN SHIBUYA(2020年)、「コロナ考現学」(2020年)、山形県新庄市との地域文化交流、気仙沼市の被災地支援活動や、渋谷、大和市、下北沢での地域活動をおこなってきた。

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