WINDOW RESEARCH INSTITUTE

連載 藤森照信の「百窓」

藤森照信|第五回
旧閑谷学校講堂の〈火灯窓〉
日本らしくない日本の窓

藤森照信(建築史家・建築家)

22 Feb 2023

Keywords
Architecture
Essays
History
Japan

古今東西の建築を見て回った建築史家の藤森照信氏が、日本全国の歴史的建築から、よりすぐりの魅力をもった「窓」を1件ずつ紹介するシリーズ企画。5回目に取り上げるのは旧閑谷学校の講堂に並ぶ〈火灯窓〉です。日本の伝統建築では異色とも映る装飾性をもったこの窓の形状は、いつどこで発祥し、どのような経緯で広まって、この学校で採用されることとなったのでしょうか。

 

 

壁に穴を開けて光や風を通すのを窓というなら、日本の伝統的建築に窓はなかった。細い木の柱で屋根を支えるだけで壁体というものがなかったのだから当然だろう。しかし一つだけ例外があり、鎌倉時代、壁の一部に穴をあけたヨーロッパ流の窓が出現している。その名は、

「火灯窓」。

火灯口とも花頭窓とも華頭窓とも書き、その頂部が炎や花弁のような形状を見せるから、著しく非日本的な印象を与えずにはおかない。

  • 旧閑谷学校・講堂の火灯窓

疑う人は、岡山県の〈旧閑谷学校(しずたにがっこう)〉の例を見てほしい。柱と柱の間に固定した厚板で壁を作り、窓台と窓枠をはめて、ヨーロッパ流の窓をちゃんと作っているのが分かるだろう。しかし今日私たちが見慣れた長方形の窓と違い、ここには窓台を除いて直線が無く、すべてが曲線で構成されている。窓枠は、立ち上がりはやや太めの曲線を描いてスーッと上昇しながら細くなり、肩のあたりで突如クネクネと曲がる花弁状へと突入し、一クネ、二クネ、三クネして窓の中心軸に到達すると、反対側からやってきた枠と合体し、先をピッと尖らせて終わる。

クネ・クネ・クネ・ピッ。もし頂部もクネって花弁状に終わると普通のアーチと同じになり、そこで動きは止まってしまう。見た人のイメージのなかでさらなる上昇を、天にいたる上昇を続けるためにはピッが欠かせない。

  • 旧閑谷学校・講堂の外観。入母屋造の屋根は、備前焼の風合いに似た窯変瓦で葺かれている

そんな思いを込めて生まれたこのヘンな窓について、建築家は学校の建築史の授業で習うから知っているが、普通の人もどっかのお寺で見た記憶はあるだろう。「どっかのお寺で」は本当で、住宅にはこんなヘンな窓は不要だし、簡素を旨とし直線を好む神社にも似合わず、寺院にしかない。それも宗派は限られ、禅宗の寺がもっぱら。

禅宗寺院の必需品と化したのは、鎌倉時代に中国から禅宗が導入されたとき、禅宗の器である禅宗建築の“しるし”として入ってきたからだ。

神道と異なり、国家鎮護の宗教としての性格の強い仏教は、大きな政治・社会の変革のたびに新しい姿を見せる宿命をもつ。天皇や貴族のリードした平安時代が終わり、かわって武士の時代である鎌倉時代が始まると、武士たちは自分にふさわしい新しい宗教とその器を中国に求め、禅宗が導入された。禅宗の禁欲的なまでの厳しさと座禅による内省性が、常に死を意識して生きることを求められる武士にとってふさわしく思われた。

 

  • 講堂の火灯窓を外から見る

同じ仏教でも、平安時代をリードした浄土教と鎌倉時代の禅宗とはまるで性格が違う。浄土教は “南無阿弥陀仏”と唱えれば極楽にゆけるとし、そればかりか平安貴族たちは宇治の〈平等院〉に見られるように、この世に、池と緑に囲まれたたおやかな浄土庭園とキンキラの仏像と朱塗りの華やかな建築からなる極楽浄土を現出させ、そこに遊んで片時の悦び(法悦)を味わおうとした。対し禅宗は、岩や硬い板床に座しての瞑想こそ是とし、庭も、岩と砂を主役とする石庭と化す。

今は禅宗の器として新たに導入された建築のことを禅宗様建築、そして平安時代までの建築を和様建築と呼ぶが、名称が違うだけあって造りも大きく異なる。禅宗様建築の部材を下から上へとたどると、礎石は「礎盤(そばん)」、入口は「桟唐戸(さんからど)」、窓は「火灯窓」、欄干は「連子窓(れんじまど)」、組物は「詰組(つめぐみ)」、梁は「海老虹梁(えびこうりょう)」。そして虹梁や「木鼻(きばな)」には「絵様(えよう)」と呼ばれる装飾彫刻が刻まれる。

これらの下から上まですべて新しい造りのなかで一番目立つのは、軒を支える組物が柱の上だけでなく柱と柱の間にも入る「詰組」と、今回主役の「火灯窓」。

 

  • 広縁に面した火灯窓。障子を開けた状態

火灯窓は中国(宋)から入るが、宋で新たに生まれた造形ではない、と私は見ている。理由は、禅宗は達磨がインドから中国皇帝の求めに応じてもたらしたものだからだ。

達磨は実在を疑う説もあるほど謎は多いが、インドの南部で悟りを開き、海伝いに東南アジア経由で中国にいたったと伝わり(南伝仏教)、エヴェレスト山脈の北の砂漠を経て中国にいたった北伝仏教とは異なる。洞窟のなかでの座禅は南伝仏教の特徴で、南伝仏教の建築の姿を今も唯一伝えるインド西部のアジャンターの遺跡を訪れると、火灯窓をしのばせる大窓が確かに遺っているが、クネクネはなく、代わりに「棰(たるき)尻」のような造形が付き、ピッはある。

こうして火灯窓はインドから南伝で中国に伝わり、鎌倉時代に日本に入り、その後、インドでも中国でも消えてしまったが、日本の禅宗寺院では作られ続ける。

 

  • 講堂の内部は、10 本の丸柱によって内室とそれを囲む庇(ひさし)に分かれている

以上、火灯窓と禅宗の繋がりをたどったが、しかし、火灯窓を最もよく今に伝えるのは禅宗寺院ではなく、旧閑谷学校である。これは、江戸時代の前期(1670年)に岡山藩の英明藩主として知られる池田光政が創設した上層町人と庄屋層のための学校で、武士のための藩校に対し郷校という。それも禅宗を旨とする学校ではなく、教育理念は儒教に基づく。

禅宗寺院のしるしを儒教の学校で用いるのも珍しいが、同じくらいに珍しいのはこの学校の中核をなす講堂の平面と屋根の形で、まず平面から述べると、中央に長方形の教室の中心部が画され、その四周を三列の列柱がぐるっと囲む。柱列に囲われた一番内側を、寝殿造においては「身舎(もや)」、その外側を「庇(ひさし)」といい、庇の板壁に障子入りの火灯窓が付く。そしてその外側にぐるりと回る場所を、寝殿造においては「孫庇」、普通の建築では「入側(いりがわ)」と呼ぶ。内から外に向かって、身舎、庇、孫庇と並ぶのが、平安時代に成立した寝殿造の典型的平面なのである。

次に屋根を見ていただこう。入母屋の三角形の切妻の立ち上がりの位置に段が付き、ここで大きく傾斜が変わっているのが分かるだろう。こうした珍しい屋根を「錣葺(しころぶき)」といい、これも寝殿造の特徴。

  • 講堂は四周を広縁が囲んでいる

池田光政が1670年に創立し、その後さまざまな施設が完成したのは、1701年から30年の間である。工事に心血を注いだ家臣を津田永忠といい、江戸時代中期の土木、建築史に名を刻む全国的人物にほかならない。学校に付設する煎茶用の茶室も津田の好みになり、名席として知られる。

それにしても建築に詳しかったのに、津田はどうして寝殿造と禅宗スタイルを取り混ぜて儒教の学校を造るような珍しいことをしたんだろう。

鎌倉武士は禅宗を好んだが、江戸期の武士は、社会秩序の厳守を旨とする儒教を尊んだため、そのトレーニングの場をどうつくるかが津田のテーマだった。しかし、儒教建築は日本に伝わっていないから、中国の孔子廟などの絵を参考にしたんだろうが、それも限界があり、中国から日本に最後に伝わった禅宗(以後、中国から新しい宗教建築も文化も来ていない)の一番目立つ火灯窓を中国風として採用したのではあるまいか。

 

なぜ寝殿造を採用したのか。秩序だった柱の並びと板敷きの床が好ましかった、と考えてはどうだろう。寝殿造には畳は敷かれず、ダダ広い板張りの床に丸柱が立つだけだった。すでに上層農民の間でも畳が普及していた江戸前期において、公共性のある板敷きの建築といえば剣の道場くらいしかない。剣の道場ではまず木の床を自分たちで雑巾がけしてから稽古を始めるから、清浄な木の床に精神鍛練の想を込めたのではないか。
火灯窓から入る淡い光は、鎌倉時代には武士の、江戸時代には選ばれた若者たちの背筋をシャンと伸ばす働きをしたのだった。

 

 

建築概要

旧閑谷学校 講堂 きゅうしずたにがっこう こうどう

設計者:津田永忠か?
所在地:岡山県備前市閑谷784
竣工:1673年(延宝元年)

旧閑谷学校は岡山藩主だった池田光政が庶民の教育のために創建した世界最古とされる公立学校。山間の地に設けられた校舎群は、整備された外構と一体となり、絶妙な景観をなす。その中心施設が講堂で、入母屋造・錣葺の大きな屋根は、備前焼の風合いに似た窯変瓦で葺かれている。火灯窓に囲まれた内部は、内室と入側の二重構造で、拭き掃除で磨かれた漆塗りの床面が鏡のように光を反射する。国宝。

藤森照信/Terunobu Fujimori

1946年、長野県生まれ。東京大学大学院博士課程修了。東京大学生産技術研究所教授、工学院大学教授を経て、現在は、東京大学名誉教授、工学院大学特任教授、江戸東京博物館館長。45歳より設計を始め今に至る。近著に『磯崎新と藤森照信の茶席建築談義』(六耀社)、『近代日本の洋風建築 開化篇・栄華篇』(筑摩書房)等、建築史・建築探偵・建築設計活動関係の著書多数。近作に〈草屋根〉〈銅屋根〉(近江八幡市、たねや総合販売場・本社屋)等、史料館・美術館・住宅・茶室など建築作品多数。

MORE FROM THE SERIES

RELATED ARTICLES

NEW ARTICLES