第0回 古今東西のマドソト建築
加藤耕一 × 大西麻貴+百田有希(o+h)× 伏見唯
30 Mar 2022
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伏見 今日はシリーズ「マドソト 外の風景こそ主役」を始めるにあたって、窓の外の風景について語り合っていきたいと思います。まずは企画の主旨から。
このウェブサイトでは、窓を文化としてとらえ、窓についての記事をたくさん掲載しています。そのなかでどのような記事を新しく掲載するのか。窓枠のディテールなど、窓自体の情報を扱うのも重要ですが、いっぽうでそもそも窓を穿つモチベーションのひとつは、「外に見たい風景があるから」なのではないかと考えました。そこで、窓の外の風景(「マドソト」と命名)が魅力的な建築を、シリーズとしてこれからいくつか掲載していくことになります。
今回はそのシリーズ開始にあたって、「マドソト」がおすすめの建築を持ち寄っていただいて、そこから窓の外の風景を魅力的に感じる建築の特徴をあぶり出していけたらと思っています。みなさまに事前に準備していただきましたので、ご説明をお願いいたします。
産業と地形が濃縮された風景
大西 京都市北区にある北山杉を生産している中川という集落について、ご紹介したいと思います。ご存じかもしれませんが、床柱などに使われる細くて真っ直ぐな材をつくり、園芸林業とも呼ばれる林業をずっと続けてきた特殊な集落です。谷筋の地形に沿って家々が立ち、林業に従事する人たちがお住まいになっています。その家の窓からの風景が印象的なんです。
伏見 谷の両サイドに植わっているのが、北山杉ですか。
大西 そうです。両側の斜面沿いに北山杉が植わっていて、山で育てられているときから、なるべく節ができないように鋭利な刃物で枝打ちをして、傷口がなるべく早く閉じるようにつくられています。まるで林に生えている樹木がそのまま床柱になるような、特殊な育て方をしている、京都ならではの林業です。
この斜面地に立っている家には、谷側と山側に「エンデ」の庭と「ツマド」の庭と呼ばれるふたつの庭があります。エンデの庭は谷側にあるので、窓の外には谷の向こうの山が広がり、自分たちが育てている北山杉が植わっている情景が美しく見えるんです。しかも、ほかの家からの視線をさえぎらないようにそれぞれの家の高さが抑えられていて、みんなが山を借景にできるように集落が出来上がっています。ツマドの庭のほうは目の前に石垣がありますが、そこから水が出てきます。それを使った池があり、そこに光が落ちてきて、それはそれですごく美しい。
伏見 きれいですね。しかも美しい風景というだけでなく、自分たちの生業の風景なんですね。
大西 はい。部屋から北山杉が見え、木材問屋や商売の相手の人が泊まる離れからも見えますから、いわば天然のショールームにもなっています。もちろん自分たちの誇りである山を見たい、見せたいということもあるのだと思います。
仕事上管理するための窓でもあるし、自慢の仕事を見せる窓でもあるし、地形に合わせた風景を楽しむ窓でもある。こういうことがつながっていて、ひとつの窓からの風景が林業の街のあり方とも一体となっているのがおもしろいと思っています。
伏見 その場所の産業や地形の特徴が風景に表れていること、そして近景と遠景のふたつがあること、その辺りが学びのポイントですね。百田さんはいかがですか。
風景のフレームとしての建築
百田 京都市左京区の蓮華寺をご紹介します。京都の市街地から少し離れていて大原に抜ける途中にあります。鴨川がふたつに分かれて高野川という川になるのですが、その近くにあるお寺です。庭がすごくきれいなんです。空間体験も印象に残っていて、まずはじめに内部の暗い空間に通されて、そこで靴を脱ぐ。そして暗がりから書院に入ると一気に視界が広がって明るい庭が現れるんです。暗いところから光の当たる庭を見ると単純にきれいだと感じます。
伏見 書院が暗いからこそ、庭の緑や紅葉が映えていますよね。
百田 緑が畳に鈍く反射していて、陰から光に変わっていく、あのグラデーションが魅力的なんですよね。すべてが明るい光の中では経験できないので、明暗の対比が生み出しているものなのだと思います。高橋康夫先生が、「京都の路地の奥は空間的にも時間的にも奥だ」という話をされていますが、お寺の奥にある庭に接したときも、現在なのだけど、遠い過去とつながっているような、そんな感覚になるのではないかと思いました。
また振り返ってみると、蓮華寺にはいろいろな季節に行っているんですよね。京都の山麓のお寺では、人工的な庭と山裾の自然が一体となってひとつの風景をつくっているので、蓮華寺の池も池でありながら川の一部でもあり、移ろうものの一部なんです。だから訪れる時期によって表情が違います。とくに冬に行くと、本当に透き通った水があって池底まで見える。そういう変化が感じられるのは、大きな自然の流れと人間がつくりあげたものとが一体になった結果なのではないかと思い、すごく好きですね。
伏見 建築家の横内敏人さんも以前、京都は建築というより庭がよい、という主旨のことを言っていました。その代表格が蓮華寺。確かにそうなのですが、書院から見ているから庭がさらによく見えているという気もしますね。
大西 この書院がよいのは、座敷の柱と縁の柱が少しズレているところなんですよね。
百田 そのことで、有機的に見える。柱の配置に動きがありますね。
伏見 建築が、庭をよりよく見せるためのフレームになっているということなんでしょうね。
百田 フレームという点では、チャールズ・ムーアらのシーランチ・コンドミニアム(1965年)も印象に残っています。
2年前、ちょうどコロナ禍になる直前に行く機会がありました。敷地が太平洋に面した崖沿いの別荘地ですから、窓からは海が一面に広がって見えますが、その窓がいわば大きな出窓として建物に張り付いているんです。太平洋に向かって張り出したL字型の窓辺空間ができています。すごく心地よかったのは、L字型の端部に背もたれがあって、そこに寝転がれるんですよね。そうすると、室外と室内の境界線上に自分の身を置きながら、海や夕日を眺めることになる。なんというか、風景と一体になっている感じがしたんです。風景をフレームで切り取っているのですが、そのフレームの中に自分も入れるというか、その体験が印象深かったんです。
伏見 なるほど、黒い影のフレームの中におふたりが入っていますね。蓮華寺もそうですが、手前の空間が暗いことで外が際立ち、それを強化する建築的な特徴がみられます。外によい風景があればつねに魅力的とも言い切れず、その魅力を増すシークエンスを生み出すことが重要なことがわかりますね。
西洋建築にマドソトはない?
伏見 西洋建築ではいかがでしょうか。
加藤 そうですね、今回はまず専門の西洋建築史のなかから探してみました。自分のフォトライブラリーから探したのですが、窓の外を撮っている写真がぜんぜんないのですよ。そのなかで見つけられたのは、パリから北へ少しいったエルムノンヴィルにあるジャン=ジャック・ルソーが晩年を過ごした有名な庭で、その広大な庭に面してつくられたシャトーから撮った写真です。これは明らかに庭を見るためにつくられた窓ですが、これくらいしか見つけられませんでした。正直に言うと、ぜんぜんないということが、むしろおもしろい。
伏見 見つけられないということは、おそらくそのことが西洋建築の特徴の一端なのだと。
加藤 そもそも私の専門は中世のゴシック建築ですから、窓はステンドグラスなので窓の外を見ないのが前提ですよね。しかしゴシック以外でも見つけられない。少なくとも宗教建築のようなモニュメントだと事例がほぼない。
今回のテーマを聞いて考えたのですが、古い時代の建築ではそもそもガラスが使われない場合が多かったわけですよね。とくに一般の住宅レベルだと、ガラスがない窓ばかり。雨風をしのぐためにロウなどで水を弾くようにした布でふさぐ場合もあったようです。そうすると布を通過した光は採り入れるけれど、そこから風景は見えないわけです。モニュメントの窓にはガラスを入れますが、開閉すると危険だからか、だいたいははめ殺しです。そして透明度の低い色つきのガラスになっている。そうしたなかでは、外を見せることをあきらめていくのではないか、という仮説に至りました。風景というよりも、光を採り入れることが窓の主目的だったのが昔の西洋建築ということなのかもしれません。とくに宗教建築は中で完結された世界を築いていますね。
伏見 古代の寝殿造など、昔から吹き放ちで庭と接してきた日本とはずいぶん違いますよね。先ほどのルソーの例など、西洋でも庭を見るような建築が出てくると思いますが。
加藤 透明度の高い大きなガラスで庭を見るというのは、ヴェルサイユ宮殿(1682年)以降なんですよね。ヴェルサイユがひとつの転機になって、庭を見せる窓が生まれた、といえるかもしれません。今回のマドソトの文化は、西洋ではヴェルサイユ以降に庭とセットで生まれたということかと。
百田 ヴェルサイユは庭も人工的ですよね。そこにも、山と自然につながる日本の庭との違いがありますね。
伏見 思い返してみると、ヴェルサイユの荘厳な意匠に圧倒され、室内にいるときはあまり外の庭を見た記憶がないです。
加藤 あの鏡の間から庭が見えるはずなんですよ。ただ、私も鏡の間から庭を撮った写真はもっていない(笑)。
伏見 鏡の間自体に意識が向いてしまいますよね。庭と室内、どちらの華も負けじと咲いていて主従がない印象です。庭のために黒子となるような日本建築とは異なりますね。
窓の外に思いを馳せる
伏見 最後に私からの推薦。京都の高台寺時雨亭です。豊臣秀吉の死後、北政所ねねが秀吉を弔うために建てた寺院ですが、そのとき、秀吉が築いた伏見城の建築を移築してきたといわれています。そのひとつが2階建ての茶室・時雨亭です。茶席は2階にあり、ぐるっと開口部が設けられている。まわりは木々に囲まれていますが、南西方向に視線が抜け、京都の市街が見下ろせるように配置されているんです。この茶室をねねがどのように用いたのかはわからないのですが、隠居した後もここからの眺望で市街の現世にも思いを馳せたのではないか。南西のさらに先、ずっと先には大阪城もありますから、外の風景を見ることで、身体は高台寺にあってもねねの想いは、たとえば豊臣家の行く末にまで及んでいたのではないか、と想像をたくましくしてしまいます。高台寺の書籍には「窓外幽致(そうがいゆうち)」とあり、窓の外の趣きに引き込まれる建築であることが示されています。
大西 京都に住んでいると、山に登って街を見下ろし俯瞰的な視点をもつことで、街の全体像が感じられるということがよくありました。古代の和歌でも、天皇陛下が山に登って国見をするように、実際に俯瞰することで、考え方も俯瞰的になるというのは、よくわかります。
百田 修学院離宮でも、同じような体験をしたことがあります。庭の先の高台にある茶室を見ようと、その高台を登ったときです。階段を登っていくと、途中に茂みがあります。その茂みに入るとちょっと室内に入ったかのように囲われるのですが、そこを抜けると京都の街が眼下に広がるんです。そのときに感じ入るものがあって、遠く離れたものを見ると、それだけ想いも大きくなるような気がしました。
伏見 自分の心理と風景がかけ合わされるような、そういう効果も窓の外の風景にはあるのだと思っています。
加藤 外とつながっている話を聞くと、やはり西洋建築は外とつながらずに内部で完結してきたことにあらためて気づかされます。先ほどのゴシックもそうですが、ほかにも修道院の中庭も内側に向かってのみ開いている。古くは古代ローマのドムスもそうです。やはり中庭に開いて、都市には向かない。移り変わる社会と隔て、内部で完結した理想の世界をつくろうとしたのが、西洋のモニュメントだったのでしょうか。
大西 なんとなく京都は、内と外は明確にはなくて、奥だけがある、と感じることもあるんです。ずるずると全体がつながっていて、段々と内側のようになってきて、最終的にすごく内側にいるという感じです。その内側にいる感覚を閉じたものにするのか、もう一回メビウスの輪のように外とつなげるのか。そのための装置が窓なのではないかと思います。内側に進んだつもりが外側と接続して、永遠に続く奥があるような。
伏見 今日はいろいろな話をうかがえました。窓の外の風景は、室内にいながらも外の社会との再接続であるという話は、冒頭の北山杉の屋敷ともつながりますね。人間の心理と風景を重ね合わせる行為も、いわば社会のなかでの自分に想いを馳せるということなのかもしれません。西洋では、むしろ社会と縁を切ることで、内部の世界観の完成度を高めたという話にもなりました。
窓の外を見るという行為は、社会を見ることであり、もちろん社会に属している自分を見ることでもある。窓の外を見ている人物が、どこか思いにふけっているように感じるのは、そのためかもしれません。
加藤耕一
かとう・こういち/1973年生まれ。2001年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。東京理科大学助手などを経て、東京大学大学院教授。博士(工学)。専門は、西洋建築史、近代建築史、建築理論。
大西麻貴
おおにし・まき/1983年生まれ。2006年京都大学工学部建築学科卒業。08年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。08年大西麻貴+百田有希 / o+h共同主宰。横浜国立大学大学院Y-GSA教授。
百田有希
ひゃくだ・ゆうき/1982年生まれ。2006年京都大学工学部建築学科卒業。08年同大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。08年大西麻貴+百田有希 / o+h共同主宰。09~14年伊東豊雄建築設計事務所勤務。
伏見唯
ふしみ・ゆい/1982年生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了後、新建築社、同大学大学院博士後期課程を経て、2014年伏見編集室を設立。『TOTO通信』などの編集制作を手がける。博士(工学)。