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連載 第15回 ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 2016 「en: アート・オブ・ネクサス」

増田信吾/増田信吾+大坪克亘 『躯体の窓』

増田信吾/増田信吾+大坪克亘 (建築家)

27 May 2016

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Architecture
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世界最大の現代建築の祭典のひとつであるヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展。2016年の日本館のテーマは「en: アート・オブ・ネクサス」。出展作家、会場デザイナーたちは、そのテーマをどう捉えたのか。また、彼らの考える、建築においてのさまざまな「窓」のすがたとは。実作を例に、話を伺った。

 

金野千恵 (以下:金野)  それではまず、自己紹介をして頂いてよいでしょうか。

増田信吾 (以下:増田)  大学を卒業して、パートナーの大坪 (克亘) と一緒に設計し始めて今9年目になります。この物件『躯体の窓』 (2014) は、施主が若い設計者と仕事をしたい、と若手建築家を探していて、SDレビューなど日本の若手建築家向けのコンペティションを見て話を頂きました。この建物の用途は少し変わっていて、週末は別邸として、平日はロケーションスタジオとして貸し出す、というプログラムです。この物件のインテリアはトレンドによってどんどん更新されていくので、そのデザインは請け負えないと判断しました。しかし自然光に関してはとても重要視していたので、窓の設計を任せてもらいました。

  • 『躯体の窓』©増田信吾+大坪克亘

金野 お二人は、SDレビューでの鮮烈なデビューの印象が強くて、あの美しい世界観を共にしたい、というお施主さんが出てくるのはとてもよく理解できます。今回お邪魔するまで、これが写真スタジオとして使われているというのは知りませんでした。今、少しの間この空間を体験していますが、室内にモノが少なくて、このファサードの大きさ、明るさの全体を体験できるのは、そういった用途が理由でもあるのですね。ところで、このファサードの方角はどちらを向いているのでしょうか。

増田 窓は南側の庭に面したファサードに増築しています。敷地に対して南側に庭を取り、北側に寄せて建物を配置する一般的な配置計画です。施主は庭を緑いっぱいにして建物内部との関係をもっと自由にしたいと仰っていたのですが、この一般的な配置計画だと、南を向いて正面に建つ住宅や塀の影で、冬はほとんど陰になります。そのため、この建物より高く設定した窓ガラスが光を庭側へ反射し、明るさを分けてくれるのではないかと考えました。

金野 そうですね、南面配置という北半球の住まいの一般的な回答では、庭のひとまとまりの面積としては最大化されているけど、皆、必ず影も引き受けている。庭が最大化された、という価値にとどまらず、その質にこだわって設計が発展しているというのは、とても面白いなと感じました。最初にお施主さんにプレゼンしたときは、どういった反応でしたか。

増田 僕たちはいつも半分ヒアリングに近い感じでプレゼンするのですが、初回に「こういうことですか」という提案をしたら、先方の少し違うなという感じがあったんです。それで翌月この案を持って行ったら「ああ、いいですね」という感じでした。

金野 とはいえ、普通に「じゃあ、庭の質を変えよう、そのために建物との境界に着目しよう」といっても、なかなかこういった着眼にはならないと思います。一般的には、やはり建物の輪郭の中でその回答を見つけようとする気がします。どのようなプロセスで今回の内容になったのですか。

増田 僕らは実は一般的というか、普通のことを事務所内で話しています。例えば、なるべく明るくしたいとか、オープンにしたいとかいうことになると、サッシは邪魔な存在になります。窓を開けているのに、サッシやカーテンレールが残って半分しか開かない。そこで「なるべく開く」という形での詳細設計はあるかもしれないですが、それは大きく考えると状況としてはそんなに変わらない。手すりも残ってしまいます。だったら、はじめからサッシも手すりも大事なモノとして扱って設計していく必要があります。

それから、スケールの関係性は大切にしています。たとえば、内部からの論理で決まった開口部は外部スケールからすると、小さ過ぎて生活感が出過ぎてしまい、おおらかな庭での体験とは合いません。かといって大きく割り付けてしまうと、次は内部での体験が不自然になってしまうので、細かくありながらも、大きく存在することが大切だと思いました。そこから、ガラスの厚みと重量、それを支えなければいけないスチールの見付けと重量、そして人が簡単に自然と開けられるようにするバランスを考えました。屋上の高さから地面レベルまでカーテンが通っているので、カーテンレールが開口部にはありません。サッシも、割付けも開口部に収まらないので、閉めたときもなんとなく開いている。ただ境界を弱くして外側とつながっているようにしていくのではなく、様々な事柄の関係性を紡いで全体性を帯びさせていくことで、この場所を実現できないかと思っていました。

金野 引違いの開口は、日本の木造建築の条件の中で発明された魅力的な形式だと思っていて、私もとても好きなのですが、その「半分残る」という機構としての特徴は、普通、前提として受け入れてしまいますね。しかし、その前提から素直に疑っている。そうやって、まずどこにスタートラインを引くかが、お二人の特徴だなと感じます。さらに、引き違えるという行為がギリギリ人間の手元に残りながらも、「いわゆる人の動かす引違い窓」という概念を逸脱している。そのバランス感覚が、本当に魅力的だなと感じます。既存の建物が持っているスケール感だったり、既にこういう開口があることとか、そういうモノとの対話というのはどのようにされているのでしょうか。

増田 これまでリノベーションをやってきた中で、既存の建物で「住めないね」と感じたものはほとんどありません。それは新築においても、今まで培われてきた住環境にも同じことがいえますので、そこに関しては不十分さは感じていません。この建物も問題を感じませんでした。だから既存のものにはあまり手を加えるわけでもないし、意識もしていません。建物や周囲とのズレた関係自体が意匠性を帯びているので、窓の寸法を決める基準も建物の開口部に合わせずに設計しています。高さも、1階の床から2階の手すりまでの高さを設定することで、下が決まって、それを上に反転しています。

金野 建築からは、非常に即物的に床スラブだけが抜き出されて、それに人間の行為に結びつける手すりを設定すると、窓の寸法が決まる。そうなると、建物の最高高さがいくつだったとか、それに対して新しいファサードはどれくらいの高さか、という関係の調整はなくなる、ということですね。

増田 そうです。とてもドライなんですけれど、状況が一変する転換点を各フェーズで見定め選択したいです。

金野 それが面白いですね。設計者というのは、多かれ少なかれ、全体像を念頭に、様々な要素をいかに統合するか、調整するか、という視点で設計していると思うのですが、この作品では、そういった操作の対象としての建築ではなくて、経験する部位や素材の集積としての建築、というふうに感じます。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルという生物学者が語っている「環世界」という概念を知っていますか。例えば、ダニという生物を説明しようとするとき、人間が見ている世界の中に居る客体としてのダニなのか、ダニが見ている世界として主体的にダニを説明するかでは全然違う、というような話があります。ダニは、哺乳類の出す酪酸という成分、その皮膚の触感と温度からまわりの世界を捉えていて、それは人間がダニの特徴を語るのとは全く違う次元でその特徴を言い当てています。

お二人の設計の思考はこれに近いような気がして、窓によってつくられる境界から考えると決めたら、その窓に絡んでくる手すりやカーテン、そのものの重さなどのディテールをすごく細かく見ている。逆に、そこに絡まない内装とか、建物自体の高さとか、そういったことはさて置いておく。そのドライさはなかなか勇気がいることなんだけど、そこを軽々とやっているという印象です。

増田 大坪と以前こんなことを話しました。部屋を探すとき、場所、サイズ、値段、使いやすさで大体絞り込めるけど、最後の決め手は窓の外に何があるか、何を取り込める窓があるか、ということだったりするよね、と。要は、部屋自体の空間性の問題よりも、外との境界線がどう空間性をゆるがしているか、そこを評価することのほうも価値になると思うのです。

金野 そこで意見が合うというのはお二人の特徴だという気がして、これまでの他の作品でも、境界とその先の風景、みたいなものをすごく意識してやっているのだろうと感じます。もしかしたら、そのような特徴が、クライアントの潜在的に持っているモヤモヤしたものを引き出しているのかなと。ある物事も視点を変えれば全体の価値が変わるという、そのポイントを見つけて、しつこいくらいの執着で問い直す。それでも残る、変わらない建築の価値みたいなものを、どこかで信じてやっているのかなと。

増田  そうですね。二人でやっていることもあるのか、ドライに終わる必要があるので、最終的に一つの価値として落とし込むことが重要になってきます。何か無理をして新しい建物にするのは、僕の中では不誠実だと考えています。それよりも、設計者として正しい立ち位置をプロジェクトの中で探すことが重要だと感じています。

金野 この作品は改修前の写真を見たとき、本当に衝撃を受けました。ファサードはカーテンウォールのビルの一角を切り取ったようで、特にトリミングされた写真ではスケールがなかなか掴めなかった。ものすごいちぐはぐ感というか、その跳躍が鮮やかだなと感じました。一方で、北側の通りに対しては既存の建物をより強く固く閉じている。例えば「街」というものは、お二人にとって、どういう存在なのでしょうか。

増田  「街」といっても様々なので、一概にいえませんが、この物件に関しては、北側が街道に接していてうるさいため、そちら側は閉めたいと施主からの要求がありました。結果的に、光は南側で確保できるため思い切って閉じる判断をしました。しかし、その裏側、南側の庭を介して周囲の家とはつながります。ここでは、その庭をよくすることが、周囲に対してもよいことでした。僕らは工事後もよく足を運んでいたので、近所の人たちと明るくなった庭の塀越しで話していました。

金野 これが本当に奥まった敷地であれば、理解できる気もするけれど、通りに面していることに、今日来たときに驚いてしまいました。建築の設計って、どこかで社会的な責任も背負っている気がして、こういう決断は私にはできないかな、と。

増田 そうですよね。むしろ街道沿いと建物の境目を設計する、ということもできたかもしれません。しかし、街道沿いはうるさいので、窓を開けるなど周囲も積極的に関係しようとする様子はありませんでしたし、歩道も50cmくらいしかないんです。ちょうど横断歩道の前でもあるので塀は取り払い、2m幅程度の空地を設けることを妥当としました。そのため、施主が街道と関係を切りたい、ということは理解できました。誤解を招くことを恐れずいうと、もう一つ重要なこととして意識しているのは、施主と立ち位置が重ならないようにすることです。施主と同じ立ち位置になってしまうと、趣味が合う、合わないという取り留めのない問題が発生するからです。どうやってデザインや設計の限界を超えるアイディアの提案を仕事として任せてもらえるかが、第一に大切だと考えています。そこを探して任せて頂けなければ、仕事として成立しないと思っています。

金野 仕事の範疇を的確に決めることで、そこでのパフォーマンスやクオリティーを高めていく。どうしても建築家は、統合する、全体像をつくることを念頭に置く気がしますが、お二人は自分たちの職能を発揮する範囲を設計するのが上手いなと感じます。今、私たちの世代の仕事はリノベーションが増えていますが、そのような判断ができないと空間が均質化してしまって、何というか、建築に夢を見られないなと感じます。

それから、南面配置みたいな、いわゆるごくごく一般的な住宅地のポテンシャルをどこまで引き出すかという意味で、この建物はある種の普遍性を持っている。特殊解として自立しているようで、波及範囲は広いなと思います。

増田 以前設計した住宅『リビングプール』 (2014) では幅木や基礎について考えました。幅木はとても理にかなっていて機能的なのに、建築家がそれを排除する方向に行くのは、空間の全体性に対して、雑味として捉えているからだと思うんです。でも、それは最初から考えておけばよい話だと思っています。基礎も後から付け加えていく要素ではなく、むしろ基礎というからには様々な意味合いで重要なのではないか。俯瞰的に建築の全体を考えるという従来的な方法も大切ですが、設計を試行錯誤する中で、切実さやリアリティーに埋もれながら要素や部分を凝視すること、それはミクロな視点なのだと思いますが、その両方の視点を持ちながら、全体を捉えたいと思っています。

金野 幅木は取ってしまって、床と壁面との境界を抽象的にぶつけるほうが簡潔に見えると思うのですが、幅木のような意味の強い要素を受け入れ、同時にそれを表現のキーにしている。

増田 そうです。スタイリッシュにしたいから、幅木を取ろうとしている自分が見えた瞬間に、萎える。

金野 お二人の作品は、緻密で具体的なものに迫る眼が特徴に感じられるけれど、実は客観的な眼が、バランスをつくっているのですよね。お会いする前、プレゼンテーションの絵だけを拝見していた頃は、ミニマルでスタイリッシュな空間を目指されているのだと思っていました。

増田 いえ、むしろ逆なんです。「ここくらいしか設計する必要ないぞ」というのが常です。

金野 実際の建築とは別に、これまでのお二人の展示は、対象物の切り取り方と、その精度がかなり特徴的だと感じています。今回のビエンナーレの展示をご説明頂けますか。

増田 僕らは5分の1の断面模型をつくります。そして、同じスケールで撮影した全体写真 (2m×3.5m) を展示する。とてもシンプルな内容です。模型で設計箇所をどう見せるかが重要なので、部分断面模型となっています。

金野 最初に増田さんたちの展示を想像したときに、この美しさと、ちぐはぐさを体感してもらいたいと感じました。結果的に、この大きな画面とディテールの見せ方は、お二人の視点を明快に示しているのではないかと思います。今回の日本館展示のテーマである、縁 (えん) という言葉は、辞書を開くと、つながり、血縁、縁側、などの意味があります。同時に、縁 (へり) とか境界という意味も出てきて、とても広がりがある概念ですよね。その「へり」という側面を非常にドライに建築的に伝えている。とても清々しくダイナミックな展示になると思います。

増田 楽しみにしていてください。ここでの縁は、庭と窓の関係のあり方とか、そこに人が関わったとき、人はどう接していくかというような抽象的なものです。この窓は、人の体よりも大きいので、使うものというよりは付き合うという感覚のほうが近い。場と人が対等な関係を築くことで、感じたことのないモノとの縁が生まれていくのではないかと思っています。

 

 

増田信吾/Shingo Masuda
1982年東京都生まれ。2007年武蔵野美術大学卒業。増田信吾+大坪克亘共同主宰。2010年から武蔵野美術大学非常勤講師、2015 fall Cornell University Baird Visiting Critic。主な受賞にJCDデザインアワード2011年、2014年ともに金賞、AR+D Awards for Emerging Architecture 2011準大賞、 2014大賞(UK)。
http://salad-net.jp/

 

 

金野千恵/Chie Konno
1981年神奈川県生まれ。2005年東京工業大学工学部建築学科卒業。同大学院在学中、スイス連邦工科大学奨学生。2011年東京工業大学大学院博士課程修了、博士 (工学) 取得。2011-2012年神戸芸術工科大学大学院助手、KONNO設立。2013年より日本工業大学助教。2015年t e c o設立。
http://te-co.jp/

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