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連載 窓語アラカルト

VOL.1 日本語における窓

植田康成

19 Aug 2013

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言語学者 植田康成が世界各国の「まど」の語源に迫る。窓という言葉の概念がどのように拡張されていったのか、その過程を探る。本コラム連載開始にあたり、Vol.1 日本語における「窓」を掲載。

 

1.  はじめに

前号では、諸言語における「まど」 (日本語の「窓」に相応するもの) を表す語の語源を3つに類型化した。各々の類型は、本来「まど」が果たしている機能「採光」、「換気」、「展望」の内、どの側面に焦点を合わせて命名しているのかにもとづいていた。今後の連載では個別の言語における「まど」を表す語を具体的にみていく。 日本語における「窓」は、語源が「目の戸」であることから、3つめの「展望」機能を重視するタイプに属する。

まずは、日本語の表現形式における「窓」を、主に形式と意味の観点から言語学的に確認する。諸言語の「まど」を表す語や表現と比較対照するために不可欠な準備作業である。 (2.言語学的観点から見た日本語の「窓」)

次に、日本語を母語とする人々が「窓」をどのように捉えているのかについて考察する。 (3.人間の認知過程から見た日本語の「窓」)
表に現れている言語現象の根底に人間共通の認知過程が働いているなら、「まど」を「目」と関連させて表現している言語文化圏では、「まど」はどのようなものとして捉えられているのだろうか。そのような「まど文化」考察のための基盤形成も念頭に置きつつ言語分析を試みる。

 

2. 言語学的観点から見た日本語の「窓」

言語形式としては、単一語、複合語、イディオム表現、ことわざの4つが確認の対象となる。

単一語

単語としての「窓」そのものが該当する。この語の意味や成立に関しては、前号の語源比較の過程で述べた。

複合語

「窓」という語をひとつの構成要素とする語のことである。「窓明かり」や「窓枠」のように「窓」が頭に来る「窓-」タイプと、「飾り窓」や「裏窓」のような「窓」が最後に来る「-窓」タイプがある。『広辞苑』によると全部で19ある「窓-」タイプは、意味的に6つに分類できる。すなわち、
1.光の通過場所としての窓 (「窓明かり」、「窓の月」)
2.窓の構成要素 (「窓枠」、「窓木」)
3.後半の名詞化された動詞の目的語 (「窓塞ぎ」)
4.窓との空間関係 (「窓際」)
5.窓の付随物 (「窓掛け」)
6.婉曲あるいは慣用表現 (「窓の中」)
である。

「-窓」タイプに関しては、窓研究所の検討によれば、
1.機構
2.形
3.素材
4.位置
5.建築物
6.環境
7.行為
8.その他

の8つに分類されている。

それらは言語学的に見ると、当該の「窓」をそのように命名した根拠を示すものでもある。これらの複合語を見ると、「窓」そのものの進化過程で、窓を構成する諸要素のヴァリエーションが考案され、変化した部分や新しい機能を強調する形で命名されていることが分かる。

イディオム表現

表現形式が固定しており、それ自体が完結した文ではなくフレーズであるものを指す。多くは比喩的イメージを伴っている。日本語における窓を含むイディオム表現は、全部で11ある (『日本国語大辞典 第二版』 (2006) ) 。たとえば、「まどの下学問」「まどの蛍」「まどの雪」などは、全て学問勉学に関する表現である。窓のそばで戸外からのわずかな光を頼りに勉学に励む姿が、転じて「苦学する」という意味で慣用的に使用されている。

ことわざ

完結した文 (あるいは文章) の形で、教訓、生活の知恵を伝える。小学館『俗信ことわざ大辞典 第一版』 (1982) と『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』 (2012) を参照すると、「窓」を含むものが全部で8つある。

たとえば、「 桑の葉を軒や窓に刺しておくと落雷しない 」などは、生活の知恵を伝えるものである。

窓本来の機能、目的から逸脱した形で窓を利用することを戒めているものとして、「 窓から出たり入ったりすれば死ぬ 」や「 窓からものをやりとりすると罪人になる 」がある。また「 目玉の腫れ物は流しの窓から握り飯を貰って食えば治る 」なども、病気を正常でない状態と捉え、それを窓を本来の使い方から逸脱した形で用いることで対処し、いわば「 毒を以て毒を制する 」効果を得られると教えている。もっとも、これらは地方で言い伝えられているものであるようだ。それぞれ岩手、福岡、青森で採集されたことが記載されている。
風習やしきたりを守ることを促すものとして、「 葬式を窓や石段の上から見れば近所に不幸がある 」や「 金神の方向に窓を開けると悪い 」 (その年、金神のいる方角を避ける建築上の風習の一つ) などがある。

 君が寝姿窓から見れば牡丹芍薬百合の花 」というのは、辞典の説明では「 女人の寝姿の美しさとなやましさを花にたとえて語調よくいったもの 」ということであるが、これは「 夜目遠目笠の内 」の言い回しにも似て、男性にある種の自己克服、自制心を求めているものであろうか。

外国由来のことわざもある。すなわち「 貧乏が戸口から入って来ると、愛は窓から飛び出る 」は、イギリスの”When poverty comes in at the door, love leaps out the window”を日本語に翻訳借用したものである。

とりわけ複合語についていえるが、言語の有する無限の創造性と、人間が言葉を助けとして思考していることを考えるなら、「窓」の進化が個々の言語の語彙を豊かにするとともに、それらが人間のアイディアやイメージを刺激し、さらなる「窓」のヴァリエーションを生み出していくだろうことを、言語学の見地から将来の可能性、展望として指摘することができる。

 

3.人間の認知過程から見た日本語の「窓」

ここでは特にイディオム表現をもとに、日本語における「窓」について考察する。前述のようにイディオム表現の多くは比喩的イメージを伴う。慣用表現としての「窓」をもとに、日本語を母語とする人々が「窓」を捉えるときの認知過程について考える。

「まど」が転義的に使われているものとして、「まどが開く」、「まどから鑓」、「まどを開ける」がある。「まどが開く」とは、損失が生じる、という意味である。「窓」が、本来閉じているべきところにある「穴」 (という表現自体慣用的なのだが) として用いられている。「まどから鑓」とは、思いがけない危険を意味する。ここでは、「窓」が、「壁」とは異なり、安全な「内部」が、敵のいる「外界」とつながる可能性を持つ無防備な箇所として捉えられている。「まどを開ける」とは、疱瘡のためにふさがった目が開き、鼻が通るようになることを意味する。「窓」が「目」や「鼻」に喩えられている。

日本語の「窓」の語源は「目の戸」であった。そこには二つの側面がある。まず、家を人間の顔と見なした上での比喩としての「目」である。しかし、上記のイディオム表現が意味するところから、それだけではないことが分かる。「窓」の持つさまざまな機能が「目」のそれに重ねられている。この機能について、さらに見ていくことにする。

「穴」としての窓

「窓」の開閉機能は、壁に「穴」が開く可能性を示唆する。「目」が、耳や鼻など人間の顔にある「穴」の中でも、自ら開けたり閉じたりできるものであることを考えれば、その関連性も理解できる。「まどが開く」のイディオムから分かるように、本来閉じているべき場所が開いていれば、それは損失としての「穴」と理解される。また、本来開いているべき時にそれが閉じていれば、それもまた不都合なことである。「まどを開ける」は、その状態が解消されることを表現している。

安全な内部、秘匿場所を象徴する「窓」

「まどから鑓」のイディオムから分かるのは、まずは、人間にとって住まいとは、雨風をしのぎ、外界の敵から身を守ってくれる安全な領域である、ということである。まどから鑓が入ってくれば、その安全は脅かされる。「窓」という語が「家」そのものを表す換喩表現として使用されている。たとえば「深窓のお嬢様」という表現にも同様のことが言える。「窓」が、大事なものを秘匿し、外部から守る場所としての「家」を象徴している。

「目は人の眼 (まなこ) 」という表現から推察されるように、日本語の世界では、「目」を、その人の人柄や隠された内面を覗くことのできる器官と考えている。そのような「目」の役割が、「窓」にも転義されている。

外界との接点としての「窓」

しかし、「窓」とは同時に、内を外界と結ぶ接点でもある。「窓」は内側から外を展望するために必要な箇所であり、それは人間にとっての「目」に関しても言える。だからこそ、病によって目が閉じている状態を不都合と捉え、それが解消されることを、「窓を開ける」と表現しているのであろう。

 

4.おわりに

日本語では、「窓」を「目」に喩えている。居住空間を身体になぞらえていることから、認知的に言えば、人間の身体を基盤として外界を捉えている。さらには、窓の開閉機能、大切なものを守る内部の象徴、外界との接点、という機能的側面においても、「目」と密接に関連させていることが分かる。 では、他の言語ではどうなっているのだろうか。次回からは、諸言語における「まど」を意味する語の言語分析にもとづく考察を試みていく。

 

植田康成/Yasunari Ueda

1948年、鹿児島県大島郡徳之島生。神戸大学文学部哲学科卒業、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。千葉大学人文学部助手及び講師、九州大学教養部助教授、広島大学文学部助教授、2001年より広島大学大学院文学研究科教授、2013年同退職。博士 (文学) 。専門は現代ドイツ語研究。とりわけ、日独慣用表現の対照研究及びカール・ビューラー (1879-1963) の言語理論を中心とする研究。ドイツ社会言語学、応用言語学 (外国語教育) 。近年は、日独イディオム対照研究の成果にもとづいて語彙学習に対する提言を行うことを目指している。

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