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連載窓語アラカルト

奄美編 島口(徳之島母間方言)における「まど」

植田康成

10 Aug 2022

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言語学者 植田康成が世界各国の「まど」の語源に迫る。窓という言葉の概念がどのように拡張されていったのか、その過程を探る。今回は奄美群島の一つである徳之島の方言「島口」(しまぐち)における窓を考察する。

 

平山輝男編著『奄美方言基礎語彙の研究』(角川書店、1986年)の「まど(窓)」の項は、「[madu](名)窓はなかった。」(677頁)との一行で終わっている。つまり、昭和59(1984)~60(1985)年頃 1、島口(徳之島亀津方言)には、共通語の「窓」に該当する表現はなかった。表現がなければ、当該の表現が指示する対象そのものも、「まど」という概念も存在しなかった、ということである。このことは、筆者の母語である徳之島母間方言においても同じである 2

 

かつて、島で一般的であった茅葺きの家には、木の板からなる「やどぅ[jadu](家戸)」 3はあった。しかし、ガラスが嵌め込まれた「窓」はなかった。茅葺きの家は、「やどぅ」の部分を除けば、壁も茅でできているのが普通であり、窓枠を取り付けることはできなかった。10~15センチ幅の板を数枚張り合わせたものを、茅の壁に開けた空間に立てかけて、その板を開け閉めすることで、光を取り込んだり遮ったりしていた 4

「まど」なるものが島の家に取り付けられるようになったのは、木組みで、屋根はトタン、あるいは瓦で覆われ、壁も板壁からなる家が普及するようになってからである。その「まど」も、当初は、ガラスが嵌め込まれたものではなかった。上述したような板を張り合わせ、タルキ材で半畳の大きさの枠をつけたものであり、「半窓」という名の、窓とはいいがたい、まさに「半ばの窓」であった。窓敷居があり、開け閉めが簡単になったというのが、利点であった。締め切ると、光はもちろん、外気も殆ど入ってこなかった。とはいえ、部屋が密閉されることはなく、隙間は十分あった。亜熱帯の地であれば、適度の風が入り込み、その方が却って好都合でもあった。

経済的に比較的豊かになるにつれ、島の家々にも、ガラスを嵌め込んだ「半窓」(半畳の大きさの窓)が増えていった。そしては、アルミサッシの窓、雨戸が取り付けられるようになった。かつて普通であった板を張り合わせた雨戸、半窓は、今では、納屋、倉庫といった建物に取り付けられているくらいである。

さて、島口における「窓」という言葉については、どうであろうか。

島口の「まどぅ[madu]」は、「まど[mado]」が音変化したものと考えられる。共通語の[o]は、島口では[u]となる場合が多い。(一例:共通語:思う[omou]→うむゆん[ʔumujun](徳之島母間方言))

「まー[ma:]」は、開いているところ、間である。島口では畳語的になるが「えーまー[ʔe:ma:]」 5という表現もある 6

えーまー[ʔe:ma:]」は、共通語「開ける、開く」に対応する島口の動詞「えーゆん[ʔe:jun]」の語幹「えー[ʔe:]」に、名詞「まー[ma:]」が接続したものである。つまり、「開いた隙間」「開いた空間」という意味である 7。そして、「えー[ʔe:]」は、時間的な意味に転用され、さらには、「人間関係」という抽象的な意味も持つようになっている 8

 

他方、「ど[do]」については、どうか。江戸時代初期のいわゆる薩摩藩の「琉球侵攻」(1609年)以来、琉球列島の島々の主要産業となっている黒砂糖生産であるが、その原料の砂糖きびを圧搾する圧搾機が設置されて、当該の作業が行われる所が「くんまんどー[kʔummando:]」であった。圧搾機を動かす動力源として、牛が稼働されていた。

そして、かつて、荷を担ぎ、あるいは背負って、遠距離を運ぶ途中で、休憩する場所が、やすぃみんどー[jasïmindo:]」(休憩所)であった。つまり、「どー[do:]」は、「所」「場所」を意味している 9。なので「まど[mado]」は、「空いている場所、空いている空間」を意味している。つまりは、光が入ってくるところ、空気が出入りするところ、そこから外部が見えるところ、ということになる。その「まど[mado]」が音変化して「まどぅ[madu]」となっている。

かつて島の景観を成していた茅葺きの家 10には、形態的には、共通語の「窓」に該当するものはなかった。しかし、光が入ってき、空気が出入りする「開いたところ」は設けられていた。その隙間は「えーまー[ʔe:ma:](開いたところ)」と呼ばれ、「まど」の機能を果たしていた。「まど」のプロトタイプは存在していたのである 11

 

以上、徳之島母間方言の証例に基づいて、「目」や建造物としての「戸」と関連付けられる以前の「まど」(「まどぅ[madu]」)という言葉の成り立ち、意味論について、私見を述べてみた。

 

 

注釈

1 「はじめに」で、「この調査は、昭和59年5月(試行調査)、同年7・8月(本調査)、昭和60年3月(補完調査)にわたって実施した。」(2頁)とある。

2 「島」という表現は「村」、「集落」、「出身地」を、「口」は「ことば」を意味する。従って、「島口」は、「集落、村、出身地のことば(方言)」を意味する。他方「徳之島を含む各島々のことば(方言)」も意味している。

3 「やどぅ[jadu]」は、共通語の「家の戸」に由来すると考えられる。「家」は島口で「やー[ja:]」であり、「やのと」が「やどぅ」となったと解する。
「やどぅ」は、島口(徳之島の方言)では、「家の戸」という意味から離れ、家の出入り口や壁に備え付けられた畳1枚(一畳)、あるいは畳半分の大きさ(半畳)の板を張り合わせた「と」(板戸)そのものを意味している。
敷居をつけて2枚、あるいは1枚の「やどぅ」を左右に開け閉めできるようにしたものを「あまどぅ[ʔamadu]」と呼んでいた。家から取り外した「あまどぅ」は、家の中に降り込む雨を防ぐ働きを失うことになり、「と」そのもの、「やどぅ」ということになる。「やどぅ」は、ときには、敷居から取り外して、応急の担架として使用されることもあった。

4 筆者の子供時代、牛小屋(「うしやどぅい [ʔusïʔjadui]」)の出入り口には、軒下から吊り下げられた筵(むしろ)1枚が、「と」の役目を果たしていた(「やどぅい[jadui]」は、共通語の「やどり[jadori]」が音変化したものと考えられる)。

5 「えーまー」「えー」「えーゆん」の⾳表記について。語頭の「え」は、島⼝では声⾨閉鎖、あるいは喉頭破裂⾳を伴って発⾳される。⾳声表記では[ʔe:ma:][ʔe:][ʔe:jun]となる。上述の『奄美⽅⾔基礎語彙の研究』には、「開ける」は[ʔe:jun](24⾴)、洞窟は[je:](44⾴)と表記されている。語頭の[ʔe]⾳は、共通語の⽿には、「ぃ」が伴った拗⾳として聞こえる。そのため[je:]と表記されていると解する。

6 島⼝でも「空いた時間」つまり「暇」は「ひま[hima]」という。[hima]は、[ʔe:ma]から⾳変化したものと考えられる。空間的表現が、時間表現に転⽤されているのである。そしてまた、「まどぅ[madu]」は、いわゆる「まど」という建造物、概念が島⼝に取り込まれるまでは、もっぱら「空いた時間」、つまり「暇」を意味する語として使⽤されていた。話者にも依るが、建造物については[mado]、空いた時間を意味するときは[madu] と区別されている場合もある。

7 徳之島に鍛冶が⾏われるようになったのは、明治時代後期のようである(泰⼭⼀郎「徳之島に於ける鍛冶屋、ワープロ原稿のコピー」)。当初その鍛冶業は、⻲津集落内の隆起珊瑚礁の下にあった半ば洞窟(「ぃえー[ʔje:])といった場所で⾏われていた。その場所を「かんじゃぃえー[kandʒaʔje:]」といっていた。「かんじゃ」は 「鍛冶屋(かじや)」である。つまり「かんじゃぃえー[kandʒaʔje:]」とは、「鍛冶屋岩⽳」(上記泰⼭⼀郎⽒のコピー)という意味である。

8 時間的な意味の⽤例:「ういが やんめぇぬ くさとぅい しゅるえー、わーや ゆいわちぇ しーどー [ʔuiga jammë nu kusatui ʃuruʔe: , wa:ja juiwatʃë ʃi: do: ]」(あなたが庭の草取りする間、私は⼣ご飯づくりをします)。抽象的な意味の⽤例:「ありとぅぬ えーや うがしがり ゆたくねん[ʔari tunu ʔe: ja ʔugaʃigari jutakunen]」(あいつとの関係はそれほど良くない)。

9 「⽬処(めど)」が⽰すように、「処(ど)」は「所」の意である。「あしびんどー[ʔaʃïbindo:](遊び場)」という表現もある。

10 茅葺き(「げぃあぶき[gïabuki]」)といっても、茅以上に藁が材料となっている。藁と茅が層を成し、茅が表に成るように葺いてある。

11 「まど」は、基本的に、採光(光が入るようにする)、換気(空気の出入りのため)、展望(外部の状況を見る)という3つの機能を果たしている。

植田康成/Yasunari Ueda 1948年、鹿児島県大島郡徳之島生。神戸大学文学部哲学科卒業、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。千葉大学人文学部助手及び講師、九州大学教養部助教授、広島大学文学部助教授、2001年より広島大学大学院文学研究科教授、2013年同退職。博士 (文学) 。専門は現代ドイツ語研究。とりわけ、日独慣用表現の対照研究及びカール・ビューラー (1879-1963) の言語理論を中心とする研究。ドイツ社会言語学、応用言語学 (外国語教育) 。近年は、日独イディオム対照研究の成果にもとづいて語彙学習に対する提言を行うことを目指している。

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