アトリエ・ワン『コアハウス 板倉の家』
24 May 2013
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「コアハウス/板倉の家」とは、日本の建築家・建築関係者による東日本大震災の被災地復興支援ボランティアグループであるアーキエイドによる、牡鹿半島のための地域再生最小限住宅の開発プロジェクト。設計をアトリエ・ワンが担当し、塚本由晴氏にきいた。
竣工したモデルハウスの感想
塚本 自分で言うのもなんですが、コンパクトで住みやすそうです。小さいけど窓がいっぱいあって、色んな方向に視線が抜けます。板倉は木の分量が多いので、重くならないか、閉じ込められた感じにならないかと心配しましたが、軽やかに仕上がっています。民芸調や和風になるんじゃないかと危惧している方もいたのですが、結果的には自分達が普段設計しているものと似た雰囲気になり、良かったなと思ってます。
“窓”の使い方のポイントは
塚本コアハウスでは予算が限られている方に、まずは小さい家を建ててとにかく浜に戻ってもらって、仕事が軌道に乗ったら増築してもらえる形式を考えました。漁村での暮らし方に配慮して掃き出し窓が多いことと、増築する際に窓を潰さなくて良いことにその特徴が現れています。増築方向は押し入れや勝手口にすることで、もう一列部屋が繋がっても採光、通風条件が悪くならないわけです。外に面している窓を変えずに済めば増築のコストも抑えられますし、建物の表情や、外との関係もあまり変えずにすみます。あとは、小さい建物なので、できるだけ四方八方に視線が抜けるようにしています。小さい分、周りの環境の変化を感じやすいことは、大きい家にはない小さい家の利点です。
規格化された“窓”との上手な付き合い方や、可能性について
塚本 プロポーションが良いというのは、色々な配慮が均衡して物事がうまく行っている、気持ちの良い状態です。窓のサイズが規格化されているのであれば、それを使った全体が良いプロポーションになるように、「周り」を工夫すればいい。 例えば、1間の大きさの窓自体は、そんなに大きいわけじゃないけれど、2間に対してなら半分ですから十分大きく開いてる感じがします。更衣室とロフトの窓も、上下2段に揃えておくことによって、外から見ると高さ4メートルの大きな窓があるように感じられます。配置の仕方とか、組み合わせ方によって、標準のサイズの窓であっても十分に解放感とか、ゆったりした感じを出せると思います。
「そと」と「なか」の間の場所を充実させる“窓”
塚本 牡鹿半島の場合、窓に独特の装飾があるとか、独特な開閉機構があるということではないのですが、漁村では海が見える窓と、日当りのいい窓が何よりも大事です。そして、その外側には働くための場所としてちょっと作業する場所、荷物を置く場所があるとか、そういうふうに人の気配が外に出てくるようなものとして、窓はあると思うんですね。漁村って、道があって、庭があって、建物があってという関係ではなく、道があっていきなり建物があるので、窓と道がすごく近いんです。つまり、窓辺に人の振る舞いが出てくることが多いんです。この家でも、できるだけそういうふうになるように、建物の両端の窓前に縁側、それから長手側に土庇、勝手口にも庇があって、「外と中の間の場所」を充実させています。小さい建物ですが、内外の境界である閾は充実しています。
「モノやシステムの持っている良さ」を引き出すこと
塚本 住宅などは特別でなく普通でいいと思うんです。ただ普通なものにも良いと悪いがあるということです。何が「良い普通」かというと、その物が使命をしっかり果たして、いい状態で使われて、生き生きとしている状態です。まるでその物が喜んでいるような状態。私はそこに関心があって、希少価値のない普通のものでもそれが喜ぶような使い方や、周りの関係を作れば良いと思っています。 例えば砂浜って結局、砂と海水ですよね。どちらも物としては特別なものではないけれど、それがドバっと広がってせめぎあっていると、こちらも走り出したくなるような楽しさが出てくるわけです。コアハウスは「板倉」工法ですが、やっぱり柱と柱の間に板が欠けずにズバズバ入り、そのモジュールに合わせて窓が納まっているので、小気味いいわけです。「モノやシステムが持っている良さ」を引き出すというか、使い尽くすことができれば、板倉だって自分達のものになるという感じはしています。
「標準の窓」であっても、それが非常にいい位置にあったり、効果的に使われると、その窓の良さというのはこちら側を気持ちよくさせる
塚本 楽しいっていうのは、楽しいものと一緒にあるからです。以前、環境哲学の本で読んだのですが、池に泳いでいる魚が気持ちよさそうだと、それを見る自分もなごんだり気持ちよくなるという話です。近代的自我では魚じゃないのだから、魚の気持ち良さなど分かるわけないということになりますが、環境哲学ではある環境において、何かがのびのびとしている状態は、「環境」との関係として別の主体にも伝わると考えます。自分の意識として感じられなければ体験したことにならないという考え方は、主体の自立性を絶対視し過ぎている。それに対して主体も環境との間の相互浸透し合う関係の中で、なんとなく成立しているとする考え方を発展させていくと、泳いでいる魚の気持ちよさは伝わると。それが環境を通したコミュニケーションであるということでした。
「標準の窓」であっても、非常にいい位置にあったり、効果的に使われていれば、その窓の良さが人を気持ちよくさせる。板倉のシステムも健康な形で使われていれば、それはやっぱり人を気持ちよくさせる。そういう関係性の問題だと思うんです。今回の震災で東京の建築家の何が変わりますか?という質問を受けます。たぶん1番目に見えて変わるのは、庇を付けるようになることだと思います。アバンギャルドというか、表現を頑張っている建築家は、えてして伝統的な建築が持っていた部位やディテールを外していこうとします。モダニズムなんかはそうやってきたわけです。でも今回の震災は、何のために、誰のために建物を作るのかという根本的な問いを建築家に突きつけた。使い勝手のこと、環境負荷のこと、メンテナンスのことなど考えれば、庇をつけた方が問題が楽になる。窓だって庇があれば水密も遮熱も負担が減って、ディテールにもテンションがかからないわけです。「テンションがかからない」ほうが、寛容でおおらかな建築になり、人間にとっても楽になる。私たち (アトリエ・ワン) は以前からそういうふうに造りたいと思ってやってきましたし、これからもそうして行きたいと思っています。
塚本 由晴/Yoshiharu Tsukamoto
東京工業大学大学院准教授。貝島桃代とアトリエ・ワン主宰。東京工業大学大学院博士課程修了。博士 (工学) 。ハーバード大学院客員教授、UCLA客員准教授、王立デンマーク美術アカデミー客員教授、BIArch (Barcelona Institute of Architecture) 客員教授、コーネル大学visiting Criticを歴任。実作にミニ・ハウス、ハウス&アトリエ・ワン、BMW Guggenheim Lab、など。著書に「メイド・イン・トーキョー」「図解アトリエ・ワン」「空間の響き/響きの空間」「Behaviorology」など