第13回 タシュクルガン「天窓の記憶」(後編)
19 Jul 2017
翌朝、予定通りダンディの家に行くと、彼と同い年くらいのもう一人の男が合流した。タバコを一本吸い終え、3人で家を出る。
到着したのはダンディの家と同じような石造りで黄土色の泥を塗った家であった。そこには様々に着飾った老若男女がおり、なにやら祭りでもはじまりそうな雰囲気であった。
家の中に招かれると、例の中央の部屋(この家ではピンク色を基調としている)に人が集まり、その部屋の奥にもっとも派手な格好をした若い男女が座っている。みんながその男女の周りを取り囲んでいるのを見て、僕はタジク族の結婚式に招かれたのだと気づいた。昨日出会ったばかりの見知らぬ日本人を結婚式に呼んでくれることに驚いたが、しかし彼らの家の使われ方を見るのに、これほど幸運なこともない。
新郎新婦の座る一角はピンクのレースの布で隠されていて、見えるようで見えない場所がつくられている。
そしてやはりこの部屋には天窓がある。幾何学模様で縁取られた美しい天窓から、強い光が射している。
子供から老人まで着飾った村の人々が続々と訪ねてくる。来た人からこの部屋に入ってきて挨拶をする。挨拶の仕方も、若者と年寄り、男と女で使い分けているようであった。
挨拶を終えた人は座っておしゃべりしたり、お菓子を食べたりしている。離れたところには男専用の控え室のような場所があり、全員タバコを吸いながらずっと話していた。することのない僕はいろんな部屋をぐるぐると観察したり、絶え間なく注がれるお茶を何杯もすすった。
しばらくすると軽トラックに乗せられて、5、6頭のヤギが連れてこられた。これが今日のご馳走になるようだ。男たちがその中から3頭ほどを選び、「例の部屋」に連れてゆく。ここで全員両手を胸の前に出し、一人の老人に続いて呪文のようなものを唱える。これからヤギを食べるため、神への感謝のようなものなのだろう。この時、決して広くないこの部屋には40人くらいの人々が集まっていた。それを終えるとヤギは家の前で殺され、結婚式のご馳走となっていった。
ヤギの処理や料理の様子を見ていると、家の中から音楽が聞こえてきた。部屋を覗いてみると、部屋の真ん中で2、3人の男女が両手を広げて交代で回りながら踊り、太鼓と笛がリズム(日本の祭りの音楽に似ている)を刻んでいる。祝いの宴である。この部屋では中央が一段下がっている(ダンディの家もそうだった)ため、真ん中での踊りを、周りの人が座って見るという宴のかたちが出来上がっている。天窓からの光も踊りの伸びやかさを支えている。
この間、見たかぎりでは新郎新婦はずっと定位置に座っており、少し覗いてみるとボウルに入った小麦粉を2人で混ぜる儀式のようなことをしていた。日本の結婚式における「ケーキ入刀」に相当するものだと想像した。
以上のように、想像した通り、タジク族の結婚式では、家の中央にある天窓を持った部屋においてすべての重要な儀礼が行われていた。ダンディの家で感じたこの部屋の重要さを証明するような出来事であった。そんなことを思いながらさっきまで生きていたヤギの肉を食べた。
結婚式をあとにして、村まで歩いて帰った。村の家々にはやはり必ず天窓があった。少し飛び出ているものやガラスを嵌めただけのものなど、つくり方は様々だが、その天窓の下で、これからもそれぞれの家族の大切な出来事が過ぎ去っていくのだろう。
田熊隆樹/Ryuki Taguma
1992年東京生まれ。2014年早稲田大学創造理工学部建築学科卒業。卒業論文にて優秀論文賞、卒業設計にて金賞受賞。2014年4月より早稲田大学大学院・建築史中谷礼仁研究室修士課程在籍。2014年6月、卒業設計で取り組んだ伊豆大島の土砂災害復興計画を島民に提案。2015年度休学し、東は中国、西はイスラエルまで、アジア・中東11カ国の集落・民家をめぐって旅する (台湾では宜蘭の田中央工作群にてインターン)。